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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1386 人生を重く見過ぎない(9月25日)

 「たった一度の人生だから」とか「せっかくのかけがえのない人生」とか言う表現に出会う。人生を大事にするのはいいが、あんまり重く見過ぎると生きにくくなる人もいる。

 そんな人はもう少し肩の荷を下ろして、「たまたま生まれて来ただけ」「精一杯生きて死んでいくだけ」「他人と比べない」みたいな言葉も必要かもしれない。

 「人はただ生きてるだけで尊い」「何より大事なのは人生を楽しむこと 幸せを感じること それだけです」(オードリー・ヘプバーン)なんていうのは、著名人が言ったこともあるけど、なかなかいいなと思います。

 人にもよるとは思いますが、も少しお気楽に生きられるといいのにとは思います。どう考えたら生き易くなるのか、どう過ごせば幸せを感じられるのか、若い時はやる事一杯であんまり考える時間がないですが(それがプラスの場合もあり)、定年後は時間が比較的あるので考える時間はあるけど、時間があるだけに上手く落ち着かせないと却って悩みになったりする危険性もはらんでいる。

 では、考えなくて目を背けていればいいかと言うと、それではやっていけない人もあって、これがなかなか難しい。結局自分のペースで、自分の特性や環境にあった考え方や処世の在り方を探っていくことになる。

 ドクターもいいなと思った言葉や事例はメモするなどして、自分の参考にしてるのですが、身に付いてるような、まだまだなような、道は遠いなとは思うけど、やめるわけにはいかないし。皆さんとご一緒に歩んでゆければと思ってますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 ☆昨日は稲刈り後の田んぼの草刈りしました。この草刈りもしてもしなくてもいいような。何かやる事いるしう、身体動かしのつもりでやりました。結局こんな感じではないでしょうか人生全般、してもいいししなくてもいいしみたいなことを、精一杯というかじぶんらしくやる。

Dr.1385 夢や希望(9月24日)

 「夢や希望を持って」とか「夢や希望に向かって」とかよく使われるが、この場合の夢や希望の中身って何だろうか。〇〇大会で優勝するみたいなのやら、将来〇〇の職業(役職)に就くみたいなのが多いのではないだろうか。

 それに向かって努力をするのはいいけど、夢や希望が無くても生きられるし、夢や希望が叶っても人生がそれで終わるわけではない。大事なのは寿命まで機嫌よく生き続けることだと思う。

 ドクターにとっては「寿命まで上機嫌で生きる」が夢や希望なのかもしれないが、上機嫌に生きるのに具体的な目標やゴールがあるわけではない。むしろそういうものにはとらわれず、日々やるべきこと(一日をどう過ごすという意味では目標はあるけど、それとてこだわらない)ややる流れになったことをたんたんとでも出来れば機嫌よくやっていくに尽きる。

 齢を取ってきて選択肢が少なくなってきたからなのか、本当に将来こういう仕事に就きたいという意味での夢や希望はない。齢を取ってくると身体の不調や心の悩みが増えてくるというから、毎日を機嫌よく生きたいという意味での希望はある。

 そのためには、人にも喜んでもらえることをする、これまで自分を生かしてくれた大きな力に感謝して、自分の出来ること、自分がやる流れになったことは機嫌よくやっていこうという気持ちは強い。

 そして、このブログもそうだが、自分がやってみて、考えて見て良かったことは発信していく。他の人の役に立つかどうかはそんなに自信があるわけではないけど、ご自身に合わないと思われれば、やるやらないはその人の自由なので、そのあたりは発信者も割と気が楽だ。

 そんなわけで、今日の発信は「夢や希望が無くても生きられます」(特に特別な夢や希望なくても機嫌よく生きてる人がここにいます)というのですが、どうでしょうか。

 ☆この日は流れで(天候やスケジュールの進捗状況など)でこんなところへ行かせてもらいましたが、これはこれで結構面白かったです。

Dr.1384 市役所の仕事(9月23日)

 地域振興や地域貢献、移住者増加に関する仕事がしたくて市役所職員に応募する人がいる。気持ちは尊いと思うが、実際には市役所にはそれ以外もいろんな分野の仕事があり、どの部署に回されるかは分からない。

 内部から市役所の仕事を見てると本当に大変だと思う。全く違う部署に行くことがよくある。以前と全然違う仕事をよくやっておられると感心する。

 ドクターがやってきた教員だと、学校は変わってもやることはそう変わらない。教えることに限界を感じたり、飽きたりしたら、留学(教職員大学院進学も含む)や教育委員会へ転出するということもある。もちろん教育委員化の仕事に興味と意欲を持って転出しても良い。

 現役の市役所職員に、「どんな分野の仕事もやらなければならないから大変ですね」と言ったら、「自分のやりたい仕事と違っても、そこで学んだことが将来自分がやりたかった仕事に生かせることがある」「それよりも、教えることの厳しさ、先生の大変さを外から見ていて感じます」と言われた。

 仏像のマネ授業も含めて適当に学校生活を楽しんでいた身としては、肩身が狭い。外から見ると、先生の仕事も大変に見えるらしい。特にこの頃では、教職のブラック企業化が言われているので猶更だろうか。ドクターなどは、人の成長に関われる仕事のやりがい、転勤によって良くも悪くも人間関係を一新できる職場環境など、教職のしんどさよりも働きやすさを思うが、何事も外から見るのと中の人の思いは違うのだろう。

 もちろん、市民に喜んでもらえる市役所の仕事のやりがいは大きい。仕事の幅の変化の大変さを思ったのだが、考えて見ると、学校を定年退職してからのドクターの仕事も、冒険教育指導者、講演家(これは残念ながら少なかった)、通信大学講師、社団法人職員(空き家相談担当)、市会議員、現職、これにウイークエンド百姓や地域の役職(まち協や水利組合等)etc.でいろんな幅のことをやらせてもらっているが、自分としては、そんなに違うという意識はなかった。

 目の前にやってくる事案に、自分の持てる力を総動員して当たっていく、その結果上手く行く場合もあるけど大概は厳しいことが多く、落ち込んだり、その落ち込みを少しでも和らげる考え方を模索したりに忙しく、総じていえば、流れでやる事になったことを精一杯でも自分らしく出来る範囲で機嫌よくを忘れずやっていくということだろうか。このスタンスはずっと変わらないような気がする。

 まあいろいろ考えると、どの仕事もやり甲斐も大変さもあるけど、自分の出来る範囲で精一杯、でも笑顔を忘れずボチボチやっていくことはそう変わりはないということでしょうか。

 ☆前にも見てもらったかな、稲刈りのドクター。今月のことだけど、もうちょっと遠くなった感じはするけど、いつでも百姓の仕事は内容は変われどもある。目の前のことにどう前向きに取りくむか、結局そのやり方考え方の向上を目指して生きているのでしょうか。まだまだ上達した感じはありませんけど。

Dr.1383 悪弊身に付きやすし(9月22日)

 この前に習慣について書いたが、今日は悪い習慣は直ぐに習慣になって抜け出すのに苦労するという話。

 ドクターがこの頃身に着けた悪弊がいくつかある。一つは尾籠な話で恐縮だが、夜中のトイレが増えたという話。これまで寝てから起きるまで途中は1回のトイレで済んでいたが、この前から2回になってきた。何時に寝ても同じような時刻に目が覚めてしまう。睡眠不足になるので何とか1回(さらに欲を言えば0回)に戻したいが、これがなかなか簡単ではない。

 次もあんまり格好の良い話しではないけど、晩酌の種類が増えたという話。これまでは、晩酌はビールの後に焼酎ということで済んでいたが、この頃、ビールの前に一口だけ生酒を飲むというのが習慣になってきた。はじめは息子が遺していったお酒がもったいないので時々飲んでみたが、今では習慣になってしまって、お酒は3種類になってしまった。

 最後の焼酎の時には、お菓子を食べるというのも習慣になっている。ご飯を食べた後なので、余計なカロリーだと思うが、これがなかなか抜け出せない。

 朝のコーヒー時の菓子パンを食べる習慣は何とかやめられたが、この頃菓子パンではないけど甘いお菓子を食べるのが続いている。これが元の悪弊に戻らないように注意しなければならない。

 このように悪弊は簡単に身に就くが、良い癖はなかなか身につかない。世の中甘くはないが、悪弊を遠ざけるためだけに一日を過ごす(大きく言えば生きる)のも何だかなと言う感じもする。ここは肩ひじ張らず、まあできるだけ悪弊はしまいにするようにがんばりましょう。ぼつぼつで、みたいな感じだろうか。

 ☆池の鯉(もとは金魚)に子どもが出来始めた。このこと(習慣と言うのとは少し違うか)はこれまで何十年もなかなかなかったことだが、良いコトが続いている。良いコト(習慣)が起こっていることも忘れないようにしたい。良いことを見落とすという悪弊は身に着けないようにしましょう。

Dr.1382 まずは一日(9月21日)

 いろいろと悩まれている方が周辺にいる。というより誰しも悩みはあると思う。何か手助けになることはないかと考えて、「私もしんどい時は先のことを考えず、先ずはその日一にを過ごすことを考えてやってきました」と話しかけた。

 どれだけ力になれたかは分からないけど、自分はそうして来たし、今でも油断すると直ぐに悩みやしんどさがやってくるので、基本的にはその日一日を機嫌よく過ごすことを心掛けている。刹那的な生き方といわれるかもしれないが、仕方がない。先ずは生き抜くことを考えなければならない。

 生きてるとまた、元気に夢や先の見通しを持って生きられることもあるだろうから、先ずは生き抜くために、そのしんどい時の自分が生き抜く考え方をしなければならない。しんどい時に自分を楽にする考え方や言行に余裕はない。きれいごとは言ってられない。命が続くことが最優先となる。

 まずはその日一日をやり過ごす、建設的ではないかもしれないが、長い人生の中ではありな生き方だと思う。そもそも建設的・積極的が良くて、消極的・ネガティブはダメだなどの価値観にしばられず、自分が生き易い考え方や生き方を見つけてほしい。

 一度きりしかない人生、かけがえのない人生、折角の人生という言葉も聞くが、そう気張らないで、生を受けた以上、それへの感謝は必要だが、自分の出来る最大限の貢献をしながら、調子の良い時にちょっとした楽しみを許してもらいながら、そこそこの満足を持って人生を終わる、それで十分ではないでしょうか。

 特に今しんどい人には、「先ずは今日一日を生き抜く」、この言葉を送ります。生き抜いていると、調子のいい日もきっとやってきます。まあ、ボチボチ行きましょう。

 ☆ささやかでもボチボチ機嫌よく、機嫌よく日々を過ごしたい、そう願うドクター。周囲のしんどい人の力にもなれれば嬉しいです。大したことはできませんけど。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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