Dr.1194 失ったものを数えない(2月16日)
職場の若者と話していて、ドクター「この頃はお昼はおにぎり一個です」、若者「そんなんでお腹すきませんか」、ドクター「食べよ思ったら食べられるけど、カロリー採り過ぎだから控えている。菓子パンも昔は良く食べてたけど、最近は食べないようにしている」みたいな話をした。
齢を取ると制限が多くなったり、若さや体力など失くしたモノが多くなったりするけど、失くしたモノを数えず残っているもの、逆に齢を取って得たもの(経験やこだわらない態度など)に焦点を合わせて生きて行きたいなどと話した。
人生でいつの時代が一番良かったですかと考えて「それは今です」と答えたいとは思うが。思い出して考えて見ても、どの時代にも良いことも悪いこともあった。今から思い返すと、良かったことの方が多く思い出すが、もう少し考えるとしんどかったことも思い出す。
いつの年齢でも楽しいこととしんどいことがあるということが、この齢になって分かる。だから楽しいことは味わい、辛いことはやがて終わると気にしない、こんな生き方ができつつあるのも齢を取った利点だろうか。
ともかくプラスを見て、いけるところまでボツボツ生きて行きたい。
☆市役所ロビーで行われている景観写真展。美しい面が写っている。それでいいんじゃないでしょうか。
Dr.1193 春は近いけれど(2月15日)
陽光が届くようになった。朝も早く開け、夕方も暗くなるのが遅くなっている。気温は寒いけれど春が近づいているということだ。
普通は春が近づいているのは良いことだと捉えると思うが、ドクターの場合もう少し複雑だ。冬で夜の闇が長いのは困るところもあるが、あんまり動かなくてよいという安らぎも感じる。
陽光元気な春、そして夏となると、田んぼ仕事も含めて、いろいろ活動的な季節となると思ってしまう。陰の冬、暗闇が多い冬は退屈な面はあるが、それはそれで安らぎの時間でもある。
人間勝手なもので、閑が続くと退屈を感じるが、ちょっと忙しいと忙しすぎる、休みたいなどと思ってしまう。
母も退院してから暇を持て余しているようだったが、この間から、通院診察、ワクチン接種、デイケア開始と続いて、忙しくってかなわんとぼやいている。忙しい言うても一日一つなんやけど。
その息子からなんかは知らんけど、ドクターの場合も、冬の暗さは退屈だけど安らぎでもある、春から夏の季節は活動的でいいけど忙し過ぎなんどと思ってしまう。勝手なものだ。
しかしまあ、これらも季節が巡るものは仕方がない。流れでやってくるものは乗って行くしかないと覚悟している。だから冬から春、春から夏と季節の流れを受け入れ、出来ること、しなければならないことを自分のペースでやって行くしかないですね。ボチボチ行きましょう、皆様。
☆市役所教育委員会ロビーに飾ってあるこの間の表彰式で使った花飾り。奇麗な花もいつまでももたない。何にも終わりがあって、始まりもあるということでしょうか。
Dr.1192 声で分かる(2月14日)
オンライン配信中の会場にたまたま入ってしまいスタッフ(市職員)と喋っていたら、オンラインで会議に参加されている旧知の方が画面の向こうからこちらに声をかけてくれた。「姿は映っていなかったけれど、声で分かりました」とその方は言っていた。
声やしゃべり方で個人が分かることはよくある。さらに言えば、しゃべる内容やその裏にある考え方もその人らしさが出てていて、なかなか変わらない。いつも攻撃的な人、自分の利益を第一に言う人、プラス思考で考える人、明るい人など個性があって、終始一貫しているように思われる。
それが顔かたち、声や考え方も含めてその人の個人的な特徴と言うことだろうか。だとしたら、なかなか変わらないとしても、より良い方向へ持っていきたい。
声質はともかく(鍛えればこれも変わるかも)、自分の喋る内容、考え方に気を付け、人の為、好意を持った愛あるものにすることを気を付けたい。
世の中にはいろんな人がいるので全て分かり合えるとはいかなくても、周囲にプラスをもたらす存在であることに気を付けて今日もボチボチ行きたいと思います。晩酌を楽しみに。飲み過ぎには気を付けながら。
☆地域のシンボル高城山。どこから見てもチョットだけ見ても直ぐにそれとわかる。自分の特質にも気を付けながら今日も自分らしく、高城山のようには行かなくても近づくことを目標に自分らしくボチボチ行きます。
Dr.1191 もの忘れ(2月13日)
物忘れには悩まされており、いくつかサプリを試したがどれも続かない。今回のサプリは6ケ月続いたらしい。もうそんなになるとは自分では勿論覚えていないが、この度脳力活性プログラムの修了証書が届いて分かった。
この脳力活性プログラムと言うのは、サプリと連動していて、サプリを毎日飲むとともに毎日ドリルをやるようになっている。ドリルと言っても簡単な足し算引き算の計算をしたり、古典を音読したり、頭脳パズルをしたりするもので2~3分でできる。
今回のサプリはこのドリルが付いているから続いたのかもしれない。特に足し算引き算の計算はだんだん計算スピードが速くなるのが面白かった。単に計算に慣れてきただけとも思えるが、計算スピードが徐々に速くなるのは興味深かった。それでも半年もやっていると、スピードアップも限界に来たのかこの頃では前よりも遅くなることも増えてきた。
昨夜話した村の先輩は、人間は歳をとると自分では若いと思っていても物忘れをはじめいろんな能力が落ちてくる、だから定年制があって後進に道を譲るという制度は理に適っていると言っておられた。いつまでも出しゃばらず引退したいが、村に若い者がおらず中々引退できないともぼやいておられた。どことも誰とも同じような事象が起きてるようだ。
☆折角届いた修了証書を奥様に見せようと思っておいて置いたら、それを忘れてその上に物を積んで物理的にも記憶の中でも埋もれてしまっていた。こんなことで修了と言えるのだろうか。ともかく物忘れと付き合いながらも生を続けて行かなければならない。この大事さはかろうじてまだ覚えている。
Dr.1190 アドリブ(2月12日)
市教委主催の功労者表彰式があって、表彰状を渡す役をやった。計画ではコロナ対策感染予防のため、表彰状の読み上げもせず、司会者の方から業績を紹介してもらって「おめでとう」と言いながら表彰状を渡すだけのだんどりになっていたが、急遽冒頭のあいさつをすることになった。
密を避けるため4回に分けて式典をやったので、あいさつも4回しなければならない。短めのあいさつで良かったので何とか終えることが出来たが、予定になかったことを急にアドリブでやるのはなかなか大変だ。
大変だけれど、あらかじめ決められたことをその通りやるより面白みはある。それに考えて見れば人生はアドリブそのものだともいえる。急にどんな展開が待っているか分からない。逆に、予定していたことが予定通りやってくるというのは安心かもしれないが、それでは生きるということになるのだろうかという思いもある。
予定違いは、予定していたことより悪いことが起こる時の対処が大変だ。大変だけれどやるしかない。すべてアドリブで。そもそもアドリブの語源はラテン語で「即興で、自由に、思うに任せて」と言う意味で最初は主に演奏や演劇で使われたらしい。
またまた「人生は流れ」の話になりますが、これも大きな時間軸で見るとその時々に起こる流れ(事態)に合わせてアドリブ(あらかじめ決めていた対応ではなく)でやって行くということであるともいえます。アドリブ力を磨いておかなければならないと考える人もいるかもしれないが、「流れ哲学」ではアドリブでとった対応も流れのうちなのでアドリブがうまく行ったかどうかなども気にせず、大きな流れに任せれば良いということです。まあみなさま、流れを信頼して安心して生きて行きましょう。今日もボチボチ機嫌よく。
☆文化・芸術・研究・スポーツ分野で活躍した個人・団体に贈られる表彰式。ドクターの姿勢がふんどりかえっているように見えるのが気になりますが、これは腰痛の人の姿勢です。偉そうにしているととられたら嫌ですが、人生アドリブ、いろんな人がいろんな風に言いますが、自分の評価も流れに任せて行くしかないように思っています。少なくとも自分はいつも自分の味方でいたいと思います。