ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.975 千客万来(6月5日)

 教育長室にはいろんな人がやってくる。教育長自身が出歩いてることも多いので、折角来ていただいたのに留守にしていることも多く申し訳ありません。かと思いきや、予定が変わってたまたま部屋にいる時に市役所へ来たついでに覗いていたという方とじっくりお話が出来る場合もある。そんな方や事前予約の方も含めて実に多くの人とお話が出来ている。

 話の中身は、分野は違うが、どれも大切なテーマや興味のあるコトばかりで、あっという間に時間が過ぎるものばかりだ。中には昔話や横道にそれる話や世間話もあるが、これら総称して「無駄話」も結構大事だと思っている。共通の話題で盛り上がることは、相手との距離を縮めるし、思わぬつながりや発展、閃きに繋がることもある。多くは無駄話で終わるが、そもそも人生にはその無駄というのか余裕・余韻・余幅が必要だし、考え方によってはそれらが生きることの本質かもしれない。人生あんまり意味や気合を込め過ぎては生きづらい。

 ☆空手や冒険教育や本市の小中高教育盛り上げについて等いろんな話題でお話ししたゲストの皆さん。他にも身内の市教委・市役所職員も含めて多くの人との出会いが続いている。多くの人に出会っていろんなお話をする、こんな面白く有意義なことはない。あれっ、もともと自分は人見知りだったはずだが、これもまあ流れ(その時の置かれた状況)で千客万来だったり孤独だったりする、それでいいんじゃないでしょうか。

Dr.974 日々変化(6月3日)

だいぶ熱くなってきた。田んぼの稲はしっかり根付き、黒豆畑の準備も進む。気候や景色だけでなく、何事も日々変化している。同じように見えても内実は入れ替わっているということもある。人の細胞なども日々変化して、はっきり何日間かは忘れたが、何日後かにはすっかり入れ替わっているらしい。記憶がはっきりしないのも、ドクター記憶力が日々変化(劣化)したからで、これも日々変化の一例だ。ドクター記憶力は昔は抜群で、一度読んだ漫画などは何年たってもチョット見ただけで最後が分かるほどで、二度読みの楽しみがないと自分の記憶力の良さを嘆いたほどだった。それがこの頃では何度読んでも新鮮に読める。その文脈から言うと(無理にそういう流れに持ち込んでいる感もあるが)お仕事の市HP教育委員会教育長ブログの形式も日々変化している(内容は大して変化がない)。市民の方からPDF形式が古いと指摘があったからだ。担当の方々が尽力してくださり、最近PDFではなくなった。何でもそうだが変わった直後は違和感があり、まだ馴染めない感があるが、今後徐々に改善馴染んで行きたい。記憶力やブログ形式だけでなく日々変化する世の中で、単に昔は良かった、前の方が良かったと嘆くのではなく、どんな変化も肯定的に受け止め、いつも「今が最高」、生涯の最高は「次作」(次変化)と言えるような生き方をしていきたい。そしたら人生の終わりに、今が最高、生きて来てよかったと思って終えることができるかもしれない。自分が生き易い考え方(人生観・哲学)を徐々に整えるように変化する、そんな自分の「日々変化」にもっていきたい。

 ☆64年間日々変化して今に至る。「流れ人生観」でだいぶ楽に生きられるようになってきたが、まだまだ道半ば未完成って感じだ。中途半端、大雑把、だいたい、いい加減っていうドクター人間性の本質は変化しないのかもしれない。

Dr.973 見かけでは分からない(6月2日)

テニスで華麗な戦績を残す大坂選手が全仏を辞退して大騒ぎになっている。本人の勇気ある決断に敬意を表するし、そっとしておいてあげてほしいと思うのだが、このことは「人は見かけでは分からない」という真実を改めて思い起こさせてくれた。隣の芝生は青いという言葉もあるように、他人のことはよく見えるものだ。特に日本人は自分については欠点や劣っている所に過度に注目する傾向があり、他国に比べて自己肯定感が低い傾向につながっているのではないかと思う。自分については足りない所や劣っている所に目が行き、他人については恵まれている所ばかりに目が行く。前に河合隼雄先生の言葉として紹介したように「二つ良いとこさてないものよ」が人生なので、誰にでも恵まれた良い所と恵まれない悪い所が存在するものだ。それを忘れて自分の良い所・恵まれている所は見ず、他人の恵まれている所ばかりが気になり、ねたんだりうらやんだりするのは人生を生きにくくする。誰でも見かけでは分からない大変なところもあるコトを知って変に羨んだりせず、誰にも対等に寛大に接する。自分にも大変なところもあるがまだ恵まれたところもあり、それに感謝しながら暮らす。そんな風にすると生き易く、もう少し機嫌よく生きられるのではないか。ドクター人生も上手く行っているように見えても見かけでは分からない(人には言えない)大変なところもある。誰でも大変なところも抱えながら、それへの自分らしい対処方法を工夫しながら、何とか生きている。そんなことを理解しながら、全ての人がお互いの生き方を尊重するような世の中になればいいのだが。

 ☆昨日の誕生日は自分から催促したこともあって、多くの人や家族からお祝いメッセージを頂きありがたかった。もちろんドクター人生にも大変な部分や汚点も多々あるが、その分余計に人にやさしく人の痛みや大変さが分かる人間になりたい。自分ではそう思って生きているが、意図せず人に嫌な思いを与えているかもしれない。世の中完璧に生きるのはなかなか難しいが、あきらめず流れのままに出来ることに取り組み進んで行くしかない。

Dr.972 長所で生きる(6月1日)

今日で満64歳になる。別に誕生日を祝ってもらおうと思って言っているのではないが(少しは祝ってほしい気持ちもあるが)、64年生きた今、特に悪いところなく(記憶力低下、耳鳴り等を除く)過ごせるのは有難いことだ。やりがいのある仕事もさせて頂き、閑に苦しむこともなく、出来る範囲で地域のために活動もさせて頂いている(ゴミ拾い含む)。こんな幸せなことはないが、後20年ほど(長く見積もって)どう生きるかを考えた時、短所を改善するより長所を活かして生きるのが良いかなと思っている。短所の改善と長所の伸長、両方できるに越したことはないが、そんなことが出来る能力があるならとっくに短所の改善は出来ていると思う。能力やエネルギーに限りがあるため、それをどう使うかに優先順位を付けなければならない、とすれば短所に手を伸ばすより長所で生きる方が良い。長所の伸張により短所が隠れる場合もある。長所を活かすことについて、昨日差別動画差し止めに関する市長記者会見を傍聴したが、大勢の記者やテレビの前で堂々と自分の意見を述べられる市長や市法務専門員、担当課長らは流石だと思った。自分ならあんなに落ち着いて、論理的に自分の考えを述べることはできない。そこで感じたのが、自分にないものを持っている人に感嘆するのはいいが、自分は出来ないと落ち込むのではなく、自分の取り柄を活かして自分の仕事を彼らのようにしっかりしなければならないということだ。一番の課題は、自分の長所が何かと言うことだが、それがはっきりしないにもかかわらず、こんなことが言えるお気楽さが一番の取り柄かもしれない。64年目もお気楽・上機嫌で流れに任せてやることになったこと(仕事含む)に自分らしく取り組んで行きます。

 ☆64歳前後の今も、何とかですが大雑把農業が出来る体力と環境に感謝しながら生きたいと思います。関係者・ご先祖様・家族・流れありがとうございます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2021年9月28日
    Dr.1069 剣道部仲間(9月28日)
    2021年9月27日
    Dr.1068 季節が進む(9月27日) 
    2021年9月26日
    Dr.1067 自己否定(9月26日)
  • ページのトップへ戻る