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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.985 楽観的と悲観的(6月19日)

帰宅すると86歳になる母から、「今年の黒豆の苗は袋がとりにくい。こんな取りにくいのは初めてや。大変やった」と愚痴られた。セルトレイに播いた黒豆の芽が出て、その先についている双葉を覆っている黒い皮膜(これを黒豆の皮とか袋とか言う)をとってくれたらしい。この皮膜は放っておいてもとれるが、人の手で取り除いてやる方が豆の成長には良いという。それを息子(ドクター)が留守の間にやってくれたようだ。有難いことだが、母には物事の大変な面やマイナス面ばかりに注目して、嘆いたり元気を無くしたりする傾向がある。冷静にトータルとして見れば、マイナス面だけでなく、プラス面や恵まれた点や上手く行った面もあるにもかかわらず、マイナス面ばかりが目に付きやすい生き方だ。このマイナス話を聞かされると、こちらもマイナスオーラにやられて元気を無くす。

 人には悲観主義が強い人と、楽観主義が勝る人がいる。そりゃ楽観主義の方が生き易いと思うかもしれないが、ドクターの研究によれば、多くの人は悲観主義的傾向が強い。

 なぜかというと、自然界の人間は無力で、最悪を予見して絶えずそれに備えておかなければ生き延びられず、そうした常に最悪ばかりを考える人の子孫だけが生き残ってきたと考えられるからだ。原始時代に「何とかなるさ」と楽観お気楽に考え無防備でいたのでは生き残れない。その結果、人間には遺伝子の中に基本的な悲観主義というのか、悪い方に目が行きそれに備える傾向が組み込まれたというのがドクター理論だ(思い付きですけど)。

 さらに日本人のように稲作農耕で育ってきた民族には、水不足や病害虫等で収穫が激減するような負の体験はあっても、漁業や狩猟で暮らす民族のような思わぬラッキー(大漁・大猟等)の経験が乏しいので、どうしても楽天的にはなりにくい。母は実家も嫁ぎ先も農業でコツコツ切り詰め、マイナスを少しでも少なくすることで生きてきた。

 だから生き延びてこられたともいえる訳で、その生き方は尊いし、今更その性分が変わるわけではない。

 ドクターにも悲観主義的傾向はあるが、現代社会ではそれだけでは生きにくい。お気楽能天気に、人間関係のストレスなどにはいつまでも注目せず忘れてしまうぐらいの図太さ(ずぼらさ・お気楽さ)があった方が生き易い。

 そうは言っても人間の遺伝子に宿る悲観的傾向は油断するとどうしても出てくる。

 そこで編み出したのが、「流れに任せる」「自然体で生きる」「自分の思いに拘り過ぎない」「まあいいか」「しゃあない(仕方がない)」で生きる、総称して「流れで生きる」(流れ哲学)だ。

 再三このブログでお話しする「流れに任せた生き方」は、悲観性で生きにくい皆さんや自分に向かって、言い聞かせるために書いてます。いろいろ大変なこともあるけど、まあ何とかなるでしょう。悲観的な人も、結構したたかで、不安を口にしながらも、それなりに元気で生きて行かれるでしょう。

 ☆太陽シートを外したらこんなに芽が出ていて、思わずガッツポーズだったが、ここに心配を見る人もいる。

 

Dr.984 知ると見える(6月17日)

今朝の新聞で「農業うつ」の話を読んだ。農業をする人にうつが結構いるという話だった。自然と触れ合い開放的な空間で身体も動かし、人との軋轢もないので、農業をする人には心身ともに健康な人が多いと思っていたが、農作物の成長や気候のことが気になって「うつ」になる人が多いということだ。ドクターの「いい加減農業」でも、苗の成長や田んぼの水管理など毎日のように気になっている。今は毎朝の自称ランニング(他称ウォーキング)の時に田んぼを見回っている時だけで、市役所に勤めている時には田んぼのことは気にならないが、これがずっと家にいるとなると絶えず作物の出来や周りの田んぼとの比較で気が休まる時がないような気がする。この「農業うつ」を知ることで、自分だけでないと安心でき、ちょっと落ち着いて対処法が見えてくる。

 議会の一般質問でも「性的マイノリティ」や「ヤングケアラー」「生理の貧困」「サードプレイス」などという新しい知見の話がテーマに出てくるが、これらも知ることでそういう人や場所があるということや、夫々の課題が見えてくる。課題や対処法が見えてきてこそ改善に向けた動きが出来る。先ずは知るコトから始まる。

 そういう意味でも「新聞」や「議会」は大事な知る機会だ。

 それはそうだが、知ったからと言って全てが解決するわけではない。知ると少し落ち着きが出るので、それをもとに後は良い流れに乗って改善に向かいたい。

 それにしても「知る」のは自分のマイナス部分が多い。自分の隠れた良さも「知る」ことができたらいいのになどと思ってしますが、自分に隠れた良さがあると思っているところが既に「お気楽人間」という良さかもしれない。

 ☆昨日の市議会一般質問答弁の様子のユーチューブ画像。これを見ると如何に自分が自信なさげなのかを知ることが出来る。

Dr.983 先輩方のご活躍(6月15日)

昨日ある会議で高校校長時代の先輩の方々に出会った。校長時代に先輩だったということは今も先輩だ。

先輩の皆さんはドクターよりも4~6歳は年上だ。年上だけれども、お元気に活き活き活躍されている。

こんな姿を見ると、自分もまだまだやらなければと思う反面、新聞の「おくやみ」欄の死亡年齢を見ると、人間永遠には生きられないという現実を思い出させてくれる。

いつまで生きられるか、いつまでどんな役・仕事ができるかは自分だけでは決められない。ここはいつもいう、自然の流れに従い、その年齢年齢でやるべきこと、やる羽目になったことを淡々とそれが終わりになるまでやって人生の終わりを迎えるしかない。

こうは言っても人生の後半を投げやりに思っている訳でもなく、早く終わりたいわけでもないが、何事にもしがみつかないこと、こだわらず、とらわれず、できれば自分も周りも上機嫌に生きて行くことができればと思っているだけだ。

 ☆後輩の皆さんと学校を見て回る仕事が続いている。果たして自分は、先輩のように生きたいと思ってもらえるような生き方が出来ているだろうか。人のことを心配している場合ではない、自分のやらなければならいことを(機嫌よく)精一杯やっていくしかない。

Dr.982 これって幸せ(6月14日)

黒豆のセルトレイへの種まきを二つ年下の妹とやった。例年は母親とやっている作業。

今年は明日新型コロナウイルスワクチンを打ちに行くということで大事を取って休養日とする、それに腰も痛いと言いだして、急に妹に来てもらった。奥様は別用で家にいない。

そんな訳で、人生初めて妹と二人での種まき、3時間ほどの作業となったが、昔から父や母がやっていた作業を、自分と近くに嫁いでいる妹と二人でする、これって幸せなことかなという思いが頭をよぎった。

何やかやと話しながらの作業は幸せな時間に違いないが、二人とも雑な性格で豆の植え方は適当になった。

両親とも几帳面な性格で、我が兄弟は誰からこの性格を受け継いだのだろう。

「植え方は適当でも何とかなるやろう」という楽天的な性格も一緒で、これは有難いご先祖様からの贈り物(笑顔)

 ☆黒豆のセルトレイを使った種まき。種のヘソ(芽や根が出るところ、白い点に見える)は横(一般には下)向きがいいが、上向きでなければ良いとテキトーに植えました。何とかなるでしょう。

Dr.981 一人の時間(6月13日)

昨日の土曜日は一人一般質問検討会と黒豆畑管理機かけで過ごした。家族以外で話した人は一人二人、一言二言。一日中ほとんどが一人の時間だ。こんな時間の過ごし方を、この春まではよくやっていた。悪くはないけど、何でも長く続くと飽きる飽き性ドクターとしては、こんな一人の時間がずぅーと続くのは歓迎しない。人と話したり、一人の時間が合ったり、それが織り交ざった時間が過ごせたら最高だけど、人生そんなに都合よくは行かないことぐらいは学習済みの身としては、その日によって一人の時間がほとんどだったり、多くの人と話す時間が長かったりするのは「人生あるある」だということぐらいは分かる。

 「人生あるある」は分かったけど、それじゃどうすればいいのということだが、これももうこれから書くこと分かってらっしゃると思うけど、そう「流れに任せるしかない」。

 そして、これもそういうとお分かりだと思うけど、「流れに任せるのは悪いことじゃない」。人生、「流れに任せてここまで来たし、流れに任せて大丈夫さ」。この「大丈夫さ」というのは今朝ネットで見た財津さんの「大丈夫さ 大丈夫さ」という歌詞が頭に残ってるので、言ってみました。これまたドクターお得意の「人の言ったことはすぐマネる」だ。

 まあ、そんなこんなで今日も自分を励ましながら、ボチボチ行きましょう。大丈夫さ、なるようになる。

 ☆農機具倉庫前でひっそり咲く栗の花と一人管理機をかけるドクター。「大丈夫さ大丈夫さ、人生何とかなる」

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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