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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.925 それでも、やはり小さな農業の支援を(3月11日)

自己都合による議員辞職で、反省とどうすれば市に貢献できるかを考える日々を過ごしている。この日は3月の一般質問でする予定だったもう一つのテーマを進めるために市役所の担当課長に会いに行った。本市では、大型農家・集落営農・新規就農者への支援は充実しているが、小さな農業(兼業農家・家族的農業)等いろんな呼ばれ方をする耕作面積1ha未満の小規模経営農家への支援はほとんどない。戸数にして3000戸弱、農家割合にして約70%にのぼる小さな農家に補助しようとすると莫大な金額になるから個別の支援は難しいのは理解できるが、農都篠山と呼ばれる農村を支えているのはこの人たちである。農業施策でよく使われる「集落の農業、農地は集落で守る」と言った場合の「集落」を構成する具体的な人もこの層の人達だ。この小さな農業を営む人たちが農業を辞めてしまっては、農作物の生産は勿論、景観や文化も含めて多様な意味を有する農村自体が成り立たなくなる。小さな農業を守る大事さについては、市長も議員もこれまで議会をはじめいろんなところで言及しながら、具体策にはなかなか結び付いてこなかった。それだけ具体策が難しいということだ。この日もドクター提案の具体策については、それぞれ実現に向けてのハードルが高いことが分かった。まだ可能性がありそうなものは、非農家サラリーマンが土日の空いた時間に草刈りや施肥等の農作業を手伝う、シルバー人材センターのような「サラリーマン土日人材バンク」を設立する案だった。その他の具体的支援策については今後も一緒になって考えて行きたいが、何よりも機会あるごとに本市農業を支える小さな農業者の方々に「市はあなたがたの力を必要としています。ご一緒に本市の農業・農村を維持発展していく道を探りましょう」というメッセージを発し続けてほしいということは強くお願いした。

 ☆自分にできることを自分の置かれた状況で精一杯、ただし元気と笑顔を忘れずにと市役所廊下をドタバタするドクター。

Dr.924 My「あいさつ運動」(3月9日)

自己都合による退職で3月に予定していた「あいさつ運動」の一般質問が出来なくなってしまった。この質問をするため、人権推進課や小中学校、市民団体の方等と意見を交換して、10年ほど前から本市で取り組まれている「あいさつ運動」の成果と課題について考えてきた。どの運動でも長い間やっているとマンネリ化や意識の低下が見られるものなので、お互いを尊重するという人権意識の基でもあり、自分から周りの人と良好な関係を築いていこうとする「生きる力」とも大きく関連する「自分から進んでのあいさつ」という大事な習慣を定着させるためにも、今一度「あいさつ運動」の意味を再認識して盛り上げて行きましょうというのが私が思っていることだ。特に本市の登下校時に一般に見られる、「行ってらっしゃい」「行ってきます」「お帰り」「ただいま、帰りました」のような家庭的な声掛けや、横断歩道で止まってくれた車に対する頭を下げてのお礼などは都会では見られない本市の暖かさを象徴する素晴らしい伝統だと思う。議員を辞めたので一般質問という形で取り上げることは出来なくなったが、一市民として自分に出来るMy「あいさつ運動」は出来る範囲でやって行きたい。先日もスポーツセンターで見かけた子ども達や高校生に自分から声をかけたり微笑んだりの自然体あいさつを試みたが、これからも自分が置かれた状況で自分に出来ることをやって行きたい。これは「あいさつ運動」だけでなく、自分の人生全てに関わる生き方として大事にしていることだが、同時に頑張り過ぎずに自然体で自分らしく陽気に行くことも気を付けて行きます。

 ☆My作業小屋近くに咲く紅梅白梅を見ながら、自分にできることを自分にできる範囲で精一杯やっていくしかないと思い定めるドクター。

Dr.923 伝統の力(3月7日)

丹波篠山子ども狂言の早春発表会を見に行った。幼稚園児から中学生まで10名の子ども達が、指導して頂いている山口先生やこの日京都から応援に駆けつけてくださった狂言師の方々と一緒に元気よく舞台で精一杯演じてくれた。見ていて楽しく明るい気持ちになり、同時にこうした伝統芸能を子どもの時に体験することは素晴らしい体験になると確信させられた。こんな体験が出来るのも、指導してくださる師匠がおられるのと丹波篠山市に長い伝統があるからだ。こうした伝統体験を小さい頃から身体に染み込ませるのは、文化に対する理解力を養うのは勿論、豊かな人間性や郷土愛にもつながり、今後の人生でどう花開いていくかその可能性は無限大だ。貴重な体験だと思う。ドクター自身はおっさんになってからこの狂言を20年ほど体験させてもらったが、随所で学びを痛感することがある。もっと早くから体験していたらどうなっていたか、素養のない身ではあんまり変わらないような気もするが、狂言の「おかしみ」や「大らかさ」は性に合っているのか今でも大事にしている。こんな伝統や文化や地域の人との交流が自然な形で出来る環境は大切だと思う。

 ☆市民センターで演じられた「子ども狂言」、子ども達にとっては貴重な伝統体験の場だ。実施に向けご尽力された皆様に支えられていることも忘れてはならない。

Dr.922 導かれた人生(3月6日)

一身上の都合により市会議員を辞職させて頂いてから数日がたった。投票してくださった方へのお詫びの気持ちと今後どう挽回していかなければならないかを考えながら過ごしている。多くの皆さんから頂いた暖かい言葉が支えになっている。迷いに迷った決断だったが、一旦決断した以上前へ進むしかない。今回の決断もそうだが、これまでの人生を振り返っても、自分の意思で歩んできたと言うよりは大きな意思に導かれて進んできたように思う。全てが伏線となってその後の人生が展開していると感じる。例えば高校卒業時将来の方向は決まっていなかったので、卒業後の選択幅の広い(と親父が言った)法学部に進学したが、在学中に親戚の紹介でやる事になった家庭教師が教員になるという進路に繋がった。その後の教員から指導主事への展開でも、本庁勤務ではなく野外活動施設に配属されたことで冒険教育と出会い、そのことが定年後フルタイム再雇用を選ばないことに繋がり、定職を持っていなかったことが、市内の空き家相談事務を担当する「暮らし案内所」勤務に繋がった。暮らし案内所で丹波篠山市に空き家が多いことを知ったのが市政への関心に目覚めることに繋がり、市議出馬の一因となった。このように大きな意志(最近ではそれを「流れ」「ご縁」と呼ぶことが多いが)に導かれての人生であると実感している。勿論その都度自分の意思は発揮しているつもりだが、それも考えようによっては「流れやご縁で自分の前にやってきた、やらなければならなくなったことを勇気を持って引き受ける」ということを決めているだけかもしれない。何時の時代にどこの国の誰の家に生まれるかも含めて導かれた人生のような気がする。

 ☆今回の入試で志願者が大幅に増えた現役最後の勤務高校を訪れ、何があれば志願者が増えるかのヒントをつかみたいと思ったが、校舎の長寿命化のための覆いと同じく要点は覆われていた。

Dr.921 お詫びと今申し上げられること(3月3日)

悩みに悩んだ結果、市議会議員を辞職しました。昨年の選挙で応援いただいた皆様には大変申し訳ないという気持ちで一杯です。心よりお詫び申し上げます。

理由については、お話しできる時が来れば、きちんと説明させて頂きます。今申し上げられるのは、心からのお詫びと今回の決断が自分がより丹波篠山市のために貢献できる道に繋がると考えてのことであるということ、立候補時の決意である「自分の元気で丹波篠山市を絶こうちょう(超元気)にする」「丹波篠山市に新しい風を吹かせる」という思いはいささかも変わっていないということです。

また、「流れに従って自分がしなければならなくなったことに全力で当たる」というドクター流「流れ哲学」も変わらず大事にしています。結果的に多くの皆様にご心配をおかけすることになり大変心苦しいですが、今しばらくご寛容を頂きますようお願い申し上げます。

 ☆本当に皆様ご心配ご不快な思いをさせて申し訳ございません。

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