ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.930 バトンを渡す(3月21日)

県立嬉野台生涯教育センターで行われたHAPの登録講師講習会に参加した。HAP講師をする人たちが30人ほど参加して、安全上の注意事項の確認や指導方法について意見交換をした。HAPを立ち上げた身としては、別日の講習会も含めて総数で60人を超える講師登録者がいると聞いて、その発展ぶりに感無量の感じだ。講師最年長でもあり、4月からはこれまでのようにHAP指導に入れない状況が予想されるので、ドクターが最も信頼する後輩に自分が大事にする冒険教育の精神を伝えた。といっても立ち話で「冒険教育は自他ともに楽しいものでなければいけない」「理論や理屈は必ずしも必要ではない。それにとらわれ過ぎると面白さやいい加減さ(自由度)を失う」みたいなことを、周りがガヤガヤしている中で話しただけだったが、彼は「忘れないように肝に銘じておきます」と答えてくれた。バタバタしたバトン引き渡しだったが、これも自分らしくていいかなと思う。人生を流れに従うドクター流人生論では、これからの人生がどう展開するかは流れ次第で分からない面もあるが、これまでも人生の大きな転換はドタバタした流れの中で雑然とすすみ、後から思い出してあのあたりが転換点だったのかと思い起こす感じだ。こんな感じで冒険教育への一区切りになった講習会だったかもしれないし、又区切りはもっと後になるかもしれない。どちらになっても冒険教育で学んだ精神は大事にしたい。

 ☆いろんな思いが詰まったHAP講習会

Dr.929 人智を超えた出会い(3月19日)

たまたま立ち寄った温泉で3年以上会っていない元県教委幹部の人に出会った。その人は直前にかかっていた車のラジオから能狂言の話が流れてきて、かつて宴席で狂言の謡いを謡い舞を舞ったドクター丹後のことを思い出していたという。私は私で誰かに「県費負担教職員」の実態を聞きたいと思っていたところだったので、正にそのことを最もよく知っていると言ってもいい人にここで出会った偶然に驚くとともに、こうした人智を超えた出会いや出来事にこれまでも何度か出くわしてきたことに思い至った。というより、自分の人生はこうした人智や自分の思惑を超えた出会いや出来事によって歩んできていると言っても過言ではない。大きく言えば父と母が出会い自分が誕生したことも、その前の祖父母の出会いも含めて人智を超えた大きなご縁がなければ無かったことだとも言える。何か一つ一瞬でも違えば違った人生、違った展開になっていたと考えられる。これを偶然と言えば偶然なのだろうが、それを必然、何かに導かれているという考え方も成り立つ。ドクターとしては、何かの大きな流れやご縁でこの時代にこの地域に生まれ、生かされ、成すことを与えられているように感じている。今後何年かの人生、流れに従いやることになったことを一生懸命打ち込んで行きたい。

 ☆人智を超えた出会いを体験した温泉。たまたまその日その時間にこの場所で出会った、もう一分違っていたらこの出会いはなかった。そんなことが多い、導かれた人生。

Dr.928 メンテナンス(3月17日)

比較的自由な時間が多くとれる今の間に、普段のドタバタ毎日では出来にくいメンテナンスをやろうと思った。先ずは母親たちが近所の集会所でやっている「いきいきデカボー体操」に初めて参加した。「いきいきデカボー体操」は丹波篠山市が高齢者等に勧めている健康維持体操で、重りを使ったり、椅子に座ったり立ったりして筋力や柔軟性を高めることをねらいとしている。小一時間ほどの体操だが、身体のメンテナンスに効くのはもちろん、知り合いと顔を合わせておしゃべりするというのが心の健康にも良いだろうと想像できた。音楽をかけたり、体操中に歌う歌詞をぶら下げたりするお世話係の人の存在が大きいことも分かった。他にも長らく続く耳鳴り治療のために耳鼻咽喉科も受診した。花粉症の方も多くて診察が終わるまでには長い時間がかかった。聴力検査等も行った結果、加齢により両耳とも高音域が聴き取れなくなっており、耳鳴りはその影響かもしれないということだった。根本的治療は難しいかもしれないが、(「気休めに」とは先生はおっしゃらなかったが)とりあえずビタミン剤と神経治療薬を頂いた。他にも探せばメンテナンス箇所は一杯出てくるだろうし、それを身体面から家屋のメンテナンス、田畑のメンテナンスなどまで広げていくと幾ら時間があっても足りないことが分かった。ここはいつものように(気の向いた、思い付きで)やる羽目になったことからぼつぼつ大体でやるしかないか。

 ☆これまた思い付きで最近整備された岡野地区の隕鉄落石跡の整備箇所を見に行った。こうして充実した大まかな時間が過ぎていく。

Dr.927 晴耕雨読(3月15日)

議員を辞めてから特に期日の決まった予定(議会や委員会出席など)がなくなったので、晴耕雨読の生活を送っている。文字通り、晴れた日には田に出て農作業をし、雨の日には教育関係の本や資料を読むということもしているが、それよりは与えられた条件(天候等も含む)の中で、出来ること(読書等も含む)やしなければならないこと(まち協や農業法人の役員会出席なども含む)やしたいこと(あいさつ委員会傍聴やスポセンでの筋トレ等)やする羽目になったことを出来るだけ機嫌よくやっていくという意味をこの「晴耕雨読」という言葉に感じている。雨の日に田んぼ仕事をするという環境(状況・流れ・ご縁)に逆らった無理はしないで、雨の日には外へ行けない長い時間が与えられたのだから今後に備えての考察を深める時間にするという、自然な流れの中でのやらなければならないことをやっていくという生き方は、ドクターが以前から大事にしている「流れに従った生き方」「大きな意志に導かれての生き方」そのものだ。今後「晴耕雨読」の生活がいつまで続けられるのかは分からないが、「流れや大きな意志に導かれての生活」は大事にしていきたい。

 ☆「晴耕雨読」の自然に従った生活をするドクター。より本質的には「流れや大きな意志でやることになったことに元気に取り組んで行く」生活を大事にしていきたい。

Dr.926 次の世代を育てる(3月13日)

動物であれ植物であれ生物の一番の役割は次の世代を生み育てて行くことだと思う。人間も代々次の世代を生み出し続けて来たので今があり、今後も次代を生み育てて行くから未来がある。次の世代と言っても、自分の子から地域の子、日本の次世代から世界の次世代まで幅広い。ドクターの家の近所の娘さんがイタリアの人と結婚しドイツに住んでいるけど、将来日本で子育てするかもしれないというような世界が狭くなった今の時代においては、次世代の幅はすこぶる広がっている。子育て(次世代育て)する人も、先ずは親や家族かもしれないが、結婚しない人や子どもがいない人も税金や社会的な繋がりを通じて関わっている。世界全体、人類全体で次世代育成をやっているとも言えなくもない。先生などの教育関係者なんかは主業務として、次世代育成に関わっている。教員や冒険教育指導者として次世代育成に関わって来たドクターとしても、自分が関わった子(いわゆる教え子)の成長や元気に活動している姿に触れると本当に嬉しい。教師冥利に尽きるというやつだ。ドクターの教え子の中には地元企業に就職して頑張っている子もいるし、何かの拍子(暇なドクターが訪ねていくなど)に会ったり動静が聞こえてきたりすることがある。もしかしたらこのブログを読んでくれているかもしれない。未熟ガサツな身としては、成長した教え子や我が子から学ぶことも多い(今後ますます多くなる予感もある)。何はともあれ、教育(次世代育成も含む)には「感化」「触発」が一番効くという信念を持つドクターとしては、今後も彼らに感化・触発(反面教師としての役割も含む)を与えるためにも、活き活き絶こうちょうに自分に与えられた役割を勤めて行きたい。結局それが、自分のためでもあり次世代育成のためでもある。

 ☆息子と一緒に初任校時代の教え子が営むケーキ屋さんを訪れ、息子や教え子の成長と場をわきまえない言動で自分の至らなさを感じるドクター。「頼りない親や先生を持つ子は育つ」という言葉ってありませんでした?

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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