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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.857 ご褒美(12月21日)

流れで引き受ける羽目になった一仕事を終えて帰宅すると、サギに食べられたとばかり思っていた池の金魚たちが泳いでいた。サギの急襲と思われる跡(その日の朝に池周辺で目撃、池の中にサギの羽、近くに糞)があってから1週間ほど、十数匹いる金魚の姿は全く見られなかったので全滅したとばかり思っていた。あんなに動き回る魚を一匹残らず捕まえるとは、サギの捕獲力も適ながらあっ晴れと思っていたが、餌やりを楽しみにしていた母の落胆を思うと心が痛かった。それが1週間ほどしてほとんど全金魚が揃って姿を見せるという快挙に出会い、今度は金魚たちの俊敏さと連帯心に心を打たれた。何より嬉しそうに餌をあげる母親の姿に心からの安堵を覚えた。このような何かを頑張った後に、そのご褒美のような嬉しい出来事がおこるということは時々経験する。今回の流れで引き受けてしまった結構骨の折れる業務をひとまず終えた後の金魚との再会も、ご褒美と思わずにはいられない。ご褒美を狙って何かをするというのは良くないが、たんたんと流れでやる羽目になったことをやっていれば、時折はご褒美に出会える(こともある)。こんなこともあるから一層「流れで生きる」という人生訓というのか処世術を肯定してしまう。でも決して何かを期待しての行動(特に目の前の利益を期待しての行為)はしない方がいい。あくまで成り行きに従うという心持が大切と自他に言い聞かせる。

 ☆流れでやる羽目になった用事(会議の世話役)を終えて帰宅すると、そのご褒美のような金魚との再会が待っていた。でも毎回ご褒美を期待してはいけない。

Dr.856 QOL(12月20日)

QOLはクオリティ・オブ・ライフの略で、「生活の質」とか「人生の質」とか言われている。健康面や精神面などいろんな指標があるようだが、ただ生きるのではななく、QOLを高く保って生きるのが良いとされている。ある日妻に「わしのキューオーエルは有難いことに今のところ結構高い」と言ったところ、「えっ何言うてるん」と相手にされなかった。どうも「キューオーエル」の発音が悪く、何のことを言ってるのか分からなかったようだ。自分の言いたいことが相手に伝わらないというのは、生活の質がそれほど高くないようにも思うが、自分では今どこも痛くないし体は動くし健康面での質は上等を維持していると感謝している。これは自分でも少しは運動や食事に気を付けてはいるが、大部分は天与というのかご加護というのか運によるところが大きい。いくら自分で気を付けていても病気になったり、何らかのハンディキャップを負うことは往々にしてあるからだ。自分の努力の成果などと過信しないようにしたい。健康面のQOLや仕事面のQOLは今のところは恵まれていると思うが、幸福感というのか人生の充実面についてはどうなのだろうという疑問がある。とりたてて不満があるわけではないので恵まれているのかも知れないが、何か今一つ実感がない。幸福感については主観的な面が大きいので、自分が今の自分の状態をどう捉えるかということだ。この面を改善するため、「定年後の生活」や「流れに任せる生き方」などを探求しているが、まだまだ摸索中。この面でもQOLを高めるか、あるいは既にある高QOLに気付ける方策を探求したい。

 ☆愛車でドライブ中にこんな美しい景色が見られた。こんな時間が持てるってことは既に十分高いQOLですね。書いててだんだん自覚と感謝が湧いてきました。

Dr.855 密かな夢(12月19日)

流れで生きるドクターに夢(将来こうなったらいいなという思い)の話など似合わないように思うが、密かな夢がある。ここでそれを明かしたら密かでなくなるが、流れに任せて明らかにすると「海外で日本語教師として働く」というのだ。外国旅行に良い思い出があるのと、英語が好きなことから、いつか海外に住みたいと夢見ている。旅行ではなく短期(数か月)でもいいから、そこに住んで生活してみたい。そして同じ暮らすなら貯金を取り崩してというより、少しでも稼ぎながら人の役にも立ちながら生活してみたい。ホントに夢のような話だが、こんな夢を時々夢想するのは、変わり映えしない日常を元気に生きるエネルギー源になる。これまでの経験では、自分が想定したことは実現しないという経験則があるから、今回の夢も実現しない可能性の方が高いとは覚悟しているが、それでも夢を見るのは自由だし、夢があるのは元気につながる。夢が実現しない人生だが、想定外の出来事はどれも想定外の恵みを自分に与えてくれている。例えば、校長も市会議員も想定外だったが、やりがいも面白さもある。ホントに何か大きな流れに導かれている有難い人生だと思う。夢が現実になる人生はこれまで経験したことないけれど、それが実現するかどうかも含めて、これまで恵みを与えてくれた流れにお任せして、今後の人生を歩んで行きたい。

 ☆昨日出勤途上の車中から見事な高城山が見えた。天気予報とか時刻とか狙ったとしてもこんな奇麗な景色は見えない。想定外の美景色だ。ドクター人生やっぱり想定外がいいのか。写真はもちろん想定通り、車を道脇に停めて撮った。大きなことでなければ、想定通り行くことも結構ある。

Dr.854 いろんな日(12月18日)

調子のよい日もあれば悪い日もある。耳鳴りがきつい日もあればましな日もある。屋根裏のイタチが騒々しい日もあれば大人しい日もある。美味しい食事の日もあればそうでない日もある。普段話ししない人と話すことが出来る日もあれば、孤独な日もある。世の中それが普通だと思うが、日に色が付いている訳ではない。その日をどう感じるか、どう過ごすかは自分にかかっている。だからと言って、「何事も常に前向きにとらえてポジティブ積極的に生きよう」みたいな表層的な呼びかけをするつもりはない。実際に調子が良いと感じる日もあれば、調子が悪いと感じる日もあるのが現実なので、その日をどう感じるか、どんな感情が招来するかは流れに任せ、調子が良いと感じる日はどう過ごすのが良いのか、調子が悪いと感じる日にはどう過ごすのが良いのかの実践知を高めたい。これまでの人生経験を基に、この感じの日はこう過ごす、感じがこう来た日にはああ過ごすみたいな対処方法を磨いていけば生きやすくなる。調子よく感じる日は過ごしやすそうだが、対応が悪いと思わぬ落とし穴にはまったりする反面、調子悪く感じる日もその感情を上手く扱えればそんなに落ち込まなくても済む。そんなこんなで調子の波を穏やかにして、淡々と平常心で、しかもその平常心をちょっと上機嫌モードで常に暮らせるのが目標だ。というわけで、毎日毎日どんな感情が来ても修業ということだ。毎日が修行なら楽しく望みたい。

 ☆議会がある日に行く、美味しい昼食。こんなご馳走を頂ける日もあれば、昼食無しの日もある。どんな昼食(感情・色合い)の日でもたんたんと上機嫌平常心で生きたいというには、もう少しだけ笑顔度が欲しいか。

Dr.853 挫折は好機(12月17日)

本を読んでいると、「挫折や失敗や不幸は自分を成長させる試練であるから、そういうものに出くわしたら自分を豊かにする好機ととらえるべきだ」というようなことが書かれていた。厳しい自然環境の中で生まれた宗教などにもその様に説くものがあるということだ。この観点から言うと、そこそこまあまあなお気楽人生では人間としての成長がないということになる。人間的な成長もいいけど、お気楽まあまあに最後まで生きられるなら、それでいいようにも思うが、そうは問屋が卸さないということか。ドクター人生を振り返ってみると、その都度都度には大変なこともあったように思うが、著者が述べられているような「3年間の入院」や「身体が動かなくなるような事故」というようなものには出くわさなかった。何度か言うように、人生の幸不幸に絶対的な尺度はないと思うので、その出来事の大きい小さいは一概には言えないとは思うが、今考えると神のご加護で有難い人生が送れているように感謝している。今後どのようになっていくのかという不安はあるし、今回の本のように「人生に挫折は有意義」みたいな言葉に出会って誰の人生にも厳しい挫折が訪れるのかと思うと益々心配になるが、これも何度も言うように、考えてもどうしようもないこと(この頃では人生のほとんどがそうではないとさへ思っている)は流れに任せ、淡々と生きて行きたい。

 ☆雪景色の中、昨日の一般質問を振り返るドクター。「ふるさと教育のさらなる充実」と「地元と協働した高城山の整備」についてだったが、完璧な満足ではないが、ここでも他の人生模様と同じく「そこそこまあまあ」って感じで感謝している。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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