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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.753 悟りへの道(8月26日)

定年後生活の絶こうちょう化に向けて、どのように考え取り組めばいいのかを日々探求している。この探求は趣味や使命感と言うより、これを見つけなければ悩みまみれの辛い日々を過ごさなければならないので必死だ(必死さは良くないと悟りつつあるので見た目はお気楽に過ごしているが)。悟りへの道は自分のためでもあるが、そこで見つけた役立つ方法(考え方)はこのブログなので公表し、同じような悩みを持つ人の参考になればと思っている。まだまだ道半ばだが、どうも悟り(毎日を機嫌よく過ごす)の要諦は「心の持ち方」にあるようだ。現実的な出来事は因果の法則でたんたんと起こって、そのこと自体は善悪の価値観を含んでいない。その現実(事態)をどう思う(解釈する)か次第で、快適にも不安にもなってくる。何をいまさらと思われるだろうが、ここの押さえがやはり肝要なようだ。自分の生きがい・使命感・やりがい・夢などについても、自分で見つけるというよりは、大きな存在(神・仏・宇宙の意志など)が渡してくれるのを待つというような感じがよいようだ。まだまだあやふやな悟りへの道中間報告だが、ドクター的にはこれまでも「なるようになる」「流れに従って生きる」「やる羽目になったことをその時の出来る範囲で精一杯やる」みたいなことを言ってきた。分かったようなことを言ってきながら、まだまだしっかりと自分のものになっていないからウロウロしているのだ。「悟りへの道」どこまで究められるか分からないけど、日々が実践であり試行錯誤だ。ともかく今日も暑さとコロナに用心しながらボツボツ行くとしましょう。

 ☆悟りとはあんまり関係ないけど、うちの田んぼの水が抜けないので(他の田畑では水がなくて苦労されているのに)JAに行ったら、親切な所長さんが水中ポンプを用意してくださったので即買いして早速作動させました。悩みは人によって違う、ご縁で人は動く、その一連の流れに悩む必要はない、やっぱりこれも生き方と関連あるか。

Dr.752 夏休み(8月25日)

しばらく(4日程)ブログを夏休みさせて頂いた。これだけ長く休むのはまれなのでいろんな憶測が生まれた(と勝手に推測する)。曰く、①(首相と同じく)どこか悪いのではないか、②飽きたのではないか、③ネタがなくなったのではないか、④ブログをほぼ毎日書くという習慣を忘れたのではないか、云々だ。どれも当たらずと言えども遠からずという感じだが、実はこの間、水利組合長として「水が欲しい」という要望に右往左往していた。水が欲しいという一人の方の要望に応えたいと奔走してると(川のゲートの開閉、取水口のごみ掃除、ポンプの作動、池の落水、副組合長との連絡・下見など)、他の人も欲しいというし、乾き過ぎた畑に水はなかなか通らないし、その間に西脇市の子どもの遊び場複合施設を見に行かなければならないし、散髪は行かなければならないし、他何やかやでバタバタだ。朝の時間を逃すと日中にブログを書く習慣は無いので1日書かないことになる。そんなバタバタで書けなかったのだが、それでは何かゆとりがない実態そのままなので、ここは余裕のあるふりをかまして「夏休み」と考えることにした。水鳥の泳ぐ姿と同じく、実際には(水中で足を)バタバタしているといえども、見えるところ(水上)では優雅に行きたい。ということで、昨日まで絶こうちょうブログは夏休みで今日から再開しま~す。ご迷惑をおかけして申し訳なかったのですが、この「見せかけでも余裕をかます」これも一つの定年後絶こうちょう生き方の秘策かもしれません。衰えた思考力では、見せかけか実態かだんだん見分けがつかなくなったりして。

 ☆水利組合員の皆さんとため池や水路の現地踏査をしたり、水の手当をしたりバタバタでしたけど(水面下のことにしてください)、見かけとしては「ブログ夏休み」で、妻と西脇市のミライエ見に行ったりして夏休みエンジョイしてました。関わってくださった皆様ありがとうございました。

Dr.751 いろいろな意見(8月20日)

田畑に水が欲しいという声があって池の落水を決めた。今年から村の水利組合長を仰せつかっているのだ。村には4つの池があるが、落水は4つの池一斉にするのか、個別の池にするのか、いつからどのくらいの間落水するのかを決めなければならない。はじめは何人かに聞いてみても「水が欲しい」という声を聞いていないということだったので、一つの池だけ1日間(通常は4池一斉に2日間が多い)落水すると決めた。するとその後「他にも欲しい人がいるから4池ともにするべきだ」という声があり、しかもこの暑さで黒豆畑に水を通したいので「出来るだけ早くしてほしい」という声だったので、1池一日落水後に続いて4池2日の落水を決めた。すると今度は「平日は勤めの人もあるので土日にするべきだ」というお叱りがあり、落水したはしたで「こっちの溝には水が流れていない、水利委員は川のごみをとったのか」という苦情が入り、「もうそんなにあれこれ言われるなら水利組合長やってられません」ときれかけたら、「あれこれ言うやつはほっといたらええんや」という慰めの声もあり、つくづく決定者は難しいものだと痛感した。あれこれ声が上がるのは「自分には言いやすいフレンドリーな雰囲気があるからや」と前向きに考え、今後もいろんな声に右往左往しながら、ボツボツ諦めないでやっていきたい。「右往左往しながらボツボツやっていく」ドクターの人生そのものだ。

 ☆朝早くから落水時の堰の点検。いろんな声があってもめげずにボチボチ歩んで行きましょう。人生なるようになる、人生なるようにしかならない。

Dr.750 若者の生き方(8月18日)

集落の営農法人の共同作業に出た。このところの衝撃的な暑さの中、重い動噴を背負っての半日の作業に耐えられるか心配だったが、何とか終えることが出来た。全員無事でその日の作業を終えることが出来たこともあって、何か達成感と充実感を感じた。熱さでもなんでもじっと耐え忍ぶだけでなく、やはり挑戦が充実感を生むのだろうか。これは定年後の生活に活かせる教訓かもしれない。それはともかく、その作業に一緒した若者と話す機会があった。共同作業に出ているのは大概が村のおっさんだが、数人だが村の内外の若者が出て来てくれる。この日話した彼は、以前の会社を辞めて地元に帰って来ていたところを同級生のご縁でドクター村に出入りするようになって、今では自分でも黒豆などを作りながら時々共同作業に出ているという。「自分のペースで生活したい」という若者の話を聞いていて、いろんな生き方が出来るのは今の時代の良い所だと思った。何も一昔前の就職のように、同じ時期に一斉に会社に入って定年までそこに勤めるという終身雇用的な働き方に縛られることはない。終身雇用は安定もあって向いている人もあると思うが、より自由に生き方を選びたいという人が縛られるのは良くない。いろんな生き方、いろんな働き方があって良いと思うし、いろいろ苦労もあるとは思うが、自由な自分が選んだ生き方が出来ている人に身近で出会って力を頂いた。彼の今後の検討を祈っています。

 ☆若者の自由な生き方を応援しながら猪よけの対策を講じるドクター。猪にも自由はあるだろうが、できれば山の中で発揮してほしい。

Dr.749 目的の変化(8月16日)

暑中摸索(暑さに耐えながら定年後の生活の充実について模索する)が続いている。今回お伝えする思い付きは、こう暑さやコロナのアラート(警戒宣言)が続く毎日では、1日を元気で生きる(暑さの中で寝る食べる、外出制限がある中ですることを見つける等)ことが人生の目的そのものではないかという気付きから来ている。現役時代の夏の熱さや伝染病等の緊急事態がそれほどでもない時分には、日々の生活や行為はある目的のためにある(いわば目的を達成するための手段)と考えられる。この場合の目的とは入試や就職や出世や業績向上などがあげられるだろうか。定年によりそうしたものがなくなった身には未来の目的というものがない(あるとすれば安らかな往生ぐらい)のだから、今(今日一日)を絶こうちょうに生きることそのもの・一日の行為(食べる・寝る・出す等の身体行為を含む)そのものが目的と言うのか大事にするものだと思えて来た。例えば、このブログを書くという行為にしても、現役時代にはそれによって勤める学校の良さを外部の人(保護者を含む)に知ってもらうという目的のため(この場合はその目的達成の状況を知る指標としてブログのアクセス数が気になる)の手段だったが、現在ではブログを書く・自分の考えをまとめるという行為自体が目的(貴重で大切なもの)となっているというようなことだ(この場合はアクセス数はどうでもいい、といっても0ではせがないが)。ここ数日の過酷な条件の中で日々を過ごすということが他の目的が考えられないぐらい大変ということから思いついた考えだが、結構当たってるかもしれない。

 ☆用事のついでに古民家を改造したカフェへ本を読みに入ったが、冷房がない自然通風で営業されており、暑さで読書の目的は果たせず早々に退散したが、この場合もお気に入りのカフェでおいしいコーヒーを飲むこと自体が目的だとすれば満足度はあがる。今の行為を何かの目的のための手段としない考え方、これ結構いいかも。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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