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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.669 一期議員研修会(5月15日)

昨日と今日二日間にわたって一期議員の研修会が朝から夕方までびっしり開かれる。新人議員3人も大変だが、その所管事項の説明に大勢の市職員の方が次々に来てくださる。一言もしゃべらない方もいらっしゃるが、3人が何を質問するか分からないので、それに答えられるように備えて各担当の方が顔を揃えられるのだろう。前例かもしれないが、3人のために10人も20人も市幹部の方のお時間を頂くのは気が引けるし、市政に支障が出るのではないかと気が気でない。その分しっかり学んで、一日も早く一人前の議員になって市民のための政策を考えろといわれるかもしれないが、性分なのかこれまでの人生経験からなのかこのような丁寧過ぎる対応には慣れていないので落ち着かない。そういえば選挙運動でも大勢の地元の方にお世話になって申し訳ない気持ちで一杯なったが、その時選挙事務所幹部の方から「お世話になる時にはお世話になり、その分しっかり(議員活動で)恩返しをしたらいい」と諭されたが、理屈は分かるがやはり目の前で多くの皆様が自分(達)のために動いてくださるのを見るのは落ち着かない。もしかしたら自分は議員に向いてないのかもしれない。その結論を見極めるのはもう少し後にして、ともあれ今日もしっかり学びます。

 ☆昨日の資料を復習するドクター丹後。議員に向いているのかどうなのか天の判定が出るのが楽しみです。もちろんそれまで全力で活動します。

Dr.668 地域の実情(5月14日)

丹波篠山市議会のドクター丹後が属する会派例会の後、JR篠山口駅東口側の空き家状況を視察した。駅前の便利なところに、こんなに多くの空き家があることを知りビックリだ。空き家の対応については所有者の意向もあり簡単ではないが、窓ガラスも割れ屋根瓦もいつ落ちてくるか分からない状況は放っておけない。具体的にどのような動きをすれば状況が改善するのかは先輩議員の皆様の動きを参考に勉強させていただき少しでも状況が良くなるようにしていきたい。それにしても、駅前の一等地がこんな状況(空き家も多く壊れかけの家も数軒ある)になっているとは思いもよらなかった。地域の実情は他所から見ているだけでは分からないのだという思いを強くした。それぞれの地域には良い所もあれば課題もある。その実情はその地域に住んでいる方が一番よく知っておられる。これからも市内各地域の実情を知る方の声を丁寧に聞くとともに、自分の住む地域の実情をしっかりと届けていきたい。ここから話はいつものように人生論に脱線するが、各家庭や各個人の実情もその家庭、その本人でないと分からないことがあるということも押さえておかなければならない。傍からいくら恵まれているように見えても、内実は思いもかけないことで悩んでいるということもある。悩みの大小は一般論では片付けられない。学校時代の話だが一回のテストの赤点(例えば15点)を何とも思わない子もいれば死ぬほど悩む子もいる、そういうことが大人の世界にもいっぱいある。

 ☆昨日の会派議員の皆さんと行った駅前東側の空き家状況視察。今朝のわが村の堤防落水状況。各地域には各地域の素晴らしさと大変さがある。言うまでもなくドクター人生の恵まれたところと大変さもある(大変さの中には身から出た錆も多い)。

Dr.667 固定観念を疑おう(5月13日)

人口減少は全国的な傾向なので、自分の市町の人口減も止めることはできないと考えるのは固定観念にとらわれている。市の絶こうちょう化でも人生の生き方にしても固定観念にとらわれずに柔軟に考えた方が発想も広がり解決策も見つけやすいし、生きやすくもなる。唐突な話だが、先日ふとしたことから「顎髭は剃らない方が清潔だ」という話を知った。何でもその研究によると医療従事者などが毎日顎髭を剃るとその切口から細菌が侵入するので、衛生的には顎髭を剃らない方が清潔ということだ。一般的には顎髭は剃っている方が清潔感があるように思われているが、それは固定観念と言うのか通常の見方で、一歩進んでその考えを疑えば、髭を剃らない方が衛生的と言う合理的かつ一般論とは正反対の結論が得られる。顎髭の話から市政の革新や絶こうちょうの人生論まで話を持っていくのは行きすぎなような気もするが、何事も一般常識や世間の見方にとらわれない柔軟な思考(固定観念を疑うこと)が思わぬ解決策や生き易さにつながるというのは言えるのではないでしょうか。

 ☆昨日は議会広報委員会が早めに終わったので昼から田植え機を移動していたら、(選挙があったのに)もう田植えが出来るのかというお声を聞いたが、田植え機を動かしたからと言って田植えが直ぐにできる状態にあるというのは固定観念です。時間がある時に移動させただけで、田植えはまだ先です。ドクター丹後の微妙に伸びた顎髭、顎髭は伸ばした方が衛生的であるとか何とか言ってますが、単に剃るのが無精なだけかもしれません。何でも言説は鵜呑みにしてはいけないってことですかね。

Dr.666 不要不急の人生論(5月12日)

本日の新聞でYさんが「自分の人生は不要不急みたいなものだ」というようなことを書かれていた。新型コロナウィルス感染拡大とともに言われだした「不要不急の外出は控えて家にいてください」という言葉に触発されて書かれた文章だとは思うが、眼下のコロナ問題を離れて哲学と言うのか人生論としての色合いが濃いい。ドクター丹後としても、現実生活では特にこの5月から始まった市会議員としては、その案件が必要なのか不要なのか急ぐのか急がないのかの判断は必要だが、自分の生き方と言うのか人生論としては不要不急の判断は急がない方が良いと思っている。そもそも自分の人生の意味(何のために生きるのか)が分かってはじめて、それに照らしてこの出来事は必要なのかそれほど必要でないのか是非とも急ぐのか何時でも良いのか等の答えが出てくると思うが、その根本の人生の意味論にはあまり踏み込まない方が自分の生き方として良いと思っているからだ。勿論生き方は人それぞれで、自分の人生の意味を追い求めて果敢に生きる人生を選ぶ人があってもいいが、ドクターの性格やこれまでの人生経験からは、「人生はただ生まれ、運命や様々なご縁に導かれて自分にやれることをやれる範囲で精一杯やって、お迎えが来たら終わる」それ以上でもそれ以下でもない。人生を粗末にするつもりはないが、あまり大層に考えすぎると却って息苦しく折角の人生をしくじるように思う。自分には流れにお任せして、たんたんと朗らかに上機嫌に絶こうちょうに生きるのがあっている。

 ☆自分の家から見える山の中の藤が奇麗だ。たまたま丹波篠山市のこの田舎にこの家系の中に生まれこの時代を生きている。昨日のような晴天もあれば雨の日もある。人生論としては「不要不急」にとらわれない方が性に合っている。

Dr.665 レジリエンス「回復力」(5月11日)

連休中の農作業は肉体的にきつかったし、身体のあちこちに切り傷や打ち身もできた。とはいっても、擦り傷、手指の皮めくれ程度の大したものではないが、それが今朝見ると、擦り傷跡に皮がはり傷跡はあるものかなり直ってきている。自分の肉体の持つ回復力の凄さを感じた。そこで思い出したのだが、心理学などでストレスなどの打撃から元に戻ろうとする力を「レジリエンス」(回復力・復元力)などと呼んで、人は多かれ少なかれその力を有しているので、その回復力を上手く使ってストレスフルな社会を生き抜くことが大切だという話だ。上手く事が運んでいる時はその波に乗って絶好調で盛り上がって行くが、ひとたび打たれると弱くチョット嫌なことが続くと直ぐにメゲテしまうガラス心臓のドクター丹後としては、何としてもこのレジリエンスを鍛えていきたいと思ったものだ。レジリエンスを高めるには、「現実的楽観性」や「柔軟性」を大事にし、「自分がコントロールできることだけを見る(他は流れに任せる)」「(自分の弱点を直すより)自分の強みにフォーカスして自分の生きたい人生を生きる」等すればいいと言われる。農作業傷跡の回復力を見て、自分の中に確かに肉体的回復力はあるということに自信をもらったドクターは、精神的な回復力「レジリエンス」も確かにあると思って元気に歩んで行きたい。

 ☆連休中の農作業で傷(といってもかすり傷ですけど)ができたドクター手も、早くも傷跡に皮がはって回復してきた。これからの人生でも多くの傷を受けるだろうが心の回復力を信じて、明るく絶こうちょうで歩んで行きます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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