Dr.88 水戦争(7月19日)
酷暑が続く中、田んぼや畑の水不足が深刻になってきた。おまけに一部の地域では先の豪雨で川の本流から農業用水路に水を誘導する堰(通称フーセンダム:意味不明)が流され、ポンプアップしないと水が流れない事態になっている。ポンプアップ時間も限られ、水量も十分ではない。通常は早いもの順なので、ドクターは朝4時にポンプ小屋の電源スイッチを入れに行った。一番は一番だったが、この時点では水路に水がなく、家でモタモタしている間に、順番は後回しになった。その日の午後になってようやく順番が回ってきて何とかドクター田にも水は入ったが、まだまだ水の必要な田んぼは多い。他の水系の田んぼでは、上流優先となってしまっていて、上の田んぼの人が用水路をせき止め自分の田に水を入れだしたら、その人の田んぼが終わって堰を外してくれないと下流には順番が回ってこない。水の勢いが十分にある時には(そういう時には水争いにならない)、すぐに田んぼに水が入り順番もすぐ回ってくるが、近ごろのように源流の川自体に水が少ないと、流れる水もちょろちょろでなかなか順番が回ってこない。それでも待つしかないが、最近の日照りでは水の無い田のひび割れもひどく、稲が枯れてしまわないかと気が気でない。昔は水をめぐって武力衝突まで起こったらしい。ところで、この水争いにも人柄が出る。一滴たりとも漏らさず水をせき止める人もあれば、下流の人のことも考えて少しは水を流してくれる人もいる。誰しもまず自分の(田の)ことを考えるが、自分だけが良ければ良いという考え方では近所付き合いがしにくい。こういう切羽詰まった時こそ人柄が出る。この機会に自分の度量を育てたい。
☆昨日の「涼耕熱読」ではないが、日中クーラーの効いた部屋で本を読み、夕方まだ暑い中、畑に出るドクター。何をしてても熱いが、心は冷静にユーモアーと気配りを忘れず行こう。
☆「水戦争」の様相も帯びてきた最近の水不足でひび割れする田んぼ。
☆下流にも流す思いやりのある堰き止め方をする人もあり、その人の人間性も出る水の当て方。ドクターの止め方は雑で水が漏れる。意図的ではないところに限界はあるがアバウトな性格は自分も周りも生きやすい。農業的には大成しないとは思われるが、まあいいか。
Dr.87 涼耕暑読(7月18日)
定年後は「晴耕雨読」な生活を理想としているが、こう晴天が続くと「雨読」が恋しい。先日のような豪雨が続くと晴れの日を待ち望んだりしたから勝手なものだが、こう豪晴が続くとホントに雨(できれば適度な)が欲しい。まあ天候も人生と同じように思うようにならないので、ここはジタバタせず天の天候に従うしかないか。長らく水をもらっていない水稲ががんばってくれることを祈りながら、こちらは先日ベテラン工務店主に付けていただいたクーラーの力を借りて、酷暑中は冷房の効いた部屋で読書、夕方になって少し暑さがましになったら田んぼ(草刈り)や畑(黒豆の土寄せ)仕事をする「涼耕暑読」の生活をするようにしている。文明の利器クーラーがあればこそ可能なライフスタイルなので、とても自然に従った生活とは言えないが、中途半端はドクターの得意とするところなので、当面はこの「涼耕暑読」で無理をしないように行きたい。この無理をしないのも得意とするところだから。
☆先日炎天下でやった酷暑HAP。HAPは予約制なので天候がどうであろうとその日にやらなければならないが(警報・雷注意報などを除く)、できれば「晴(天)HAP雨(天酷暑)昼寝」みたいな感じでいきたいものです。
Dr.86 先生はなくとも子は育つ(7月17日)
かつて勤めていた篠山東雲高校の元生徒と、これまた東雲高校の元生徒が勤める居酒屋で飲んだ。勿論彼は二十を超えている。現在は篠山市内で手広くアルバイト数人を使いながら農業を営んでいる(アルバイトからは社長と呼ばれているらしいが、その呼ばれ方は嫌だと言っていた)が、現役時分は暴れん坊だった。彼はもともと農業の力はあったが、なんせ暴れん坊だったので、集団の中で我慢の力や自制心を身に着けてほしいと、何とか学校を続けてほしいと思っていた。こちらが転勤してからはほとんどあっていなかったが、久しぶりに会ってみると、すごく成長していた。商売をやっていく中で、ほとんどカッカすることはなくなり、人に頭を下げることも覚えたという。若い人を使うようになって、どうしたら人にやる気を出してもらえるかに心を割いているという。見違えるような成長だ。これこそ彼が在学中に教えたかったことだ。「親は無くとも子は育つ」という言葉があるが、まさに「先生はなくとも子(生徒)は育つ」という思いだ。そりゃここまで成長するには、いろんな苦労や多くの人のお陰があったと思うが、本人の根っからの性格の良さも幸いして、頼もしい好青年になっていた。その店で働くもう一人の元生徒とも話したが、彼も一人前の社会人へと成長している。こんな様子を見ると、先生の役割って何だ、いなくても生徒がが育つなら先生なんていらないんじゃないかとも思ったりしたが、何人かの先生とは今もあっているという。生徒が成長してからも会ったり、思い出したりしてもらえる先生がいるということは、その子の人生にその先生が(そしてその先生の言動が)生きているということだ。そんな先生がいるなら、やはり教師はやりがいがある。やっていて良かった。
☆久しぶりの元生徒との出会い。「先生はなくとも子は育つ」が、時々会いに着たり連絡をくれたりする「生徒がいるから先生は育つ」。
☆ドクター家のツバメは「親がいるから子が育つ」だ。
Dr.85 君の気持ちはわかるけど(7月16日)
メキシコから三田西陵高校に去年の9月から来ていたウリセス君(通称ウリちゃん高校2年生)が帰国するというのでお別れ会に参加した。西陵高校のクラスメートや水泳部、先生方やホストファミリー関係者など多くの人が集まった中でウリちゃんは1時間余にわたって日本語で思いを語った。メキシコ時代のウリちゃんから日本留学を決めた理由、日本での思い出、帰国後の夢まで、西陵生とのパーフォーマンスも含めて構成も内容も大したものだった。スピーチの終わりの方で出席者一人一人に触れ、この人からはこういう言葉をこういう思い出とともに学んだということを順順に語っていった。この友達からは「暗記しなさい」という言葉を試験の思い出とともに、この先生からは「始めよか」という言葉を授業開始の言葉として学んだというような感じで紹介していった。前校長のドクターのところでは、「君の気持ちはわかるけど。(認められません、ごめんなさい)」という言葉を、冬のインフルエンザ流行期の学級閉鎖の思い出とともに語ってくれた。学級閉鎖という制度が理解できない(メキシコにはないのかもしれない)ウリちゃんは、自分のクラスは学級閉鎖だが自分は病気にかかっていないので学校に来たいと登校してきて校長に出会い、その時に私が「(学校に来たいという)君の気持ちは分かるけど、(君だけ登校を認めることはできないんだよ)ごめんな」と言ったということだ。その時のシーンは何となく覚えているが、その時自分がそういう言葉を言ったことは覚えていなかった。このエピソードから「言葉は思いとともに学ぶ」という貴重な学びと、「ドクターも時には(管理職として、生徒の気持ちを大事にしながらも病気拡大を止めるという目的は曲げられないと言う決断をするとは)大したものだ」といういつもの自画自賛を得た。後のパーティーも含めて参加してよかった。
☆お別れ会で熱い思いを語るウリちゃんとクラスメイトの西陵生。
☆会場の様子とご機嫌な二人。ホントに彼の勇気からは学ぶことが多い。ホストファミリのご家族からも。受け入れ団体のヒッポからも。
Dr.84 セコセコとバタバタ(7月14日)
前歯が2本ぐらついているので歯医者へ行った(若いころに空手の練習でパンチをもらったせいらしい)。ぐらついている歯は抜くしかないが、その後どんな治療をするにしても前歯が2本抜けたままでは格好が悪かろうから、周りの歯とからめて4本の仮歯を作ってもらうことになった。診察が終わって馴染みの先生が「せっかく退職されたのだからセコセコ仕事をするのはやめて、やりたいことをされるのがいいですね」と話しかけられた。「フルタイムの仕事はやってないのでセコセコという感じはないが、いろんなことをやっていてバタバタしてます」と答えると、「それぐらいの方がいいですよ。何もやることがないのはつまらないものです。私も患者さんに会わない日(治療がない日)は寂しいですから」とおっしゃる。セコセコはやめた方がいいがバタバタは悪くないということらしい。ニュアンスは分かるが、表面的にはどちらもやることがいっぱいあって忙しくしている状態だから、その違いは微妙だ。でも折角のアドバイスだから、趣旨を生かして豊かな退職後の道を探りたい。
☆この日は午前中は黒豆の中耕培土(土寄せ)をやって、午後から市のまちづくり協議会連絡会に出た。どこのまち協も役員のなり手不足で苦労されていることが分かった。管理機写真はタイマーの時間設定を間違えて変な写真に。これはセコセコかバタバタか。
☆午前中の農作業を慌てて終わらせ、ちょっと寝ながら市のまち協連絡会議に出席。これも微妙な退職後充実生活だ。