Dr.78 コンプレックスを取り除きたい
高校初任研のHAP選択者を指導した時、15人の参加者の一人(某高校教諭)が最後の振り返りで、「今日の活動で自分のコンプレックスだった体の小ささを活かした活動が出来た。自分の高校にもコンプレックスを持った生徒が多いので、自分も少しでも彼らのコンプレックスを取り除く手伝いがしたい」と語ってくれた。他にも思いのこもった言葉がたくさん聞けた。これはいつものドクター流行き当たりばったり出たとこ勝負指導がたまたまうまく行った証だ。帰って妻に「今日の冒険指導はうまくいった。自分は持ってるかもしれない」と言うと、「またそんな調子のよいこと言って、落ち込むことも多いくせに。懲りない人」と軽くあしらわれたが、指導がうまく行くというのは自分のためというより参加者のために嬉しい。天に感謝したい。それにしてもコンプレックスを持つ人は多い。コンプレックスの中身は、勉強・体格・性格・容姿・財産などいろいろだと思うが、コンプレックスもうまく付き合えば武器になる。学力や体格にコンプレックスを持つ先生の方が同じような悩みを持つ生徒の気持ちに寄り添った支援ができる。かくいうドクターも友達が少ないことにコンプレックスを持っているが、だからこそこうして人間関係が大きなテーマの冒険教育の指導に関わっているのかもしれない。
☆それぞれの身体や性格の特性(力持ち・身が軽い・体が柔らかい・失敗してもめげない・声援で盛り上げる等)を生かしてこそ課題解決(全員が糸に触らずに通り抜ける)ができるスパイダーズウェブ。よくできたエレメントだ。盛り上がったのは決してファシリテーターの力ではない。失敗したときにもファシリテーターのせいではなく、エレメントのせいにしてほしい。
☆全員が自分が通った穴の辺りで成功の喜びを表す記念撮影。自分は通ってないくせに一番目立ちたがるドクター。幸いこの性格にコンプレックスは今のところない。
Dr.77 来るものは日日に賑やか(7月5日)
雨のため母親に送ってもらって登校した娘を夕方中学校へ迎えに行った(親ばか)。夕方時間に余裕がある退職者の務めだ(ときつく妻から言われている)。少し時間があったので部活の様子を見ながら校内をぶらついた。本年度中学校のPTA役員をやっているので少しはいろんな機会に中学校を見ておかなければいけないかなという意識も少しはあった。するといろんな中学生があいさつをしてくれる。特に娘と同じ小学校出身の子どもたちはフレンドリーだ。「お久しぶりですね」「〇子ちゃんのお父さんですよね」「中学校ではバレーボール部に入ってます」など笑顔で話しかけてくれる。部活指導が終わった先生も「中学校では一斉下校で、部活終了後速やかに校門を出るよう指導しています」などと向こうから声をかけてくだる。こんなに話しかけられるとは思いもよらなかった。昨日の「去る者は日日に疎し」とは逆の、いわば「来るものは日日に賑やかし」というような嬉しさを感じだ。やはり定年後の今の生活を大事にしていかなければいけないということか。それと、あまり期待していなかったのもよかったのかも。これからも過度な期待は抱かずたんたん丹後と生きていきたい。
☆部活を終えて家路に急ぐ中学生。雨のこの日は親の迎えも多かった。親ばかがドクター家だけでなく良かった。
Dr.76 去る者は日日に疎し(7月4日)
久しぶりに三田西陵高校へ行って、「去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし:去った者の印象や思いでは急速に薄れていく意)」を実感した。「あっ前の校長や」という声や「元気か」と言えば「元気です」と返してくれるくらいはあったが、前校長が期待していた大勢の生徒に取り囲まれて口々に「会いたかったです」と声を掛けられるシーンはなかった。教職員も白々しく、積極的に話しかけてくれたのは現校長と再任用の先生だけだった。考えてみれば当たり前で、ドクターが校長だった時には自分中心に学校が回っていたという思い込みも出来たが、今はただの1部外者で、その人が自分の都合で学校に来たからと言って、生徒や教職員には関係のないことで、みんなそれぞれの生活に忙しいのだ。ここは潔く「自分なしでも学校は回っていて良かった」と思うようにしたい。また考えてみればこのことは学校だけでなくあらゆる場面に当てはまり、終わったことは終わったことで区切りをつけ、今の生活を大事にしながら前を向いて歩んで行くしかない。過去のことは思い出として時折思い出すには良いが、いつまでも引きずったり、間違っても過去の場に出しゃばったりしてはいけない。寂しく厳しい現実だが大事な教訓を得ることができた西陵訪問だった。さあ、明日の冒険指導の準備に取り掛かろう。
☆今朝は雨だが、雨の後には虹が出ることもある(自宅事務所の窓から目の前の山を見て)。
☆いろいろやっていれば、いろいろ出かけていれば、生きていれば、思いがけない嬉しさに出会えることもある(滅多に見られない月下美人の咲くのを見て)。
Dr.75 リスク(7月3日)
リスクは一般的には危険(性)と訳され、良くないもの・できるだけ避けたいものと考えられているが、冒険の世界では「リスクをとるから(take risk)、得るもの(リターン)がある。成長のためには積極的に引き受けるもの」という位置づけだ。勇気をもってリスクのある世界に一歩踏み出すことを冒険あるいはチャレンジと呼んでいる。このようなリスク肯定論は冒険の世界だけかと思っていたら、昨日銀行の人と話していて、金融の世界にもプラスの(この場合は儲かる)リスクという概念があることを知って意を強くした。実は退職金の運用のことを相談していたのだが、リスクは為替や株価など変動可能性のことで振れ幅が大きい(リスクが高い)と儲けも大きいが損も大きく、振れ幅が小さければ(リスクが小さいと)損も少ないかもしれないが儲けも少ないということだ。これは冒険の世界で言うリスクの考え方に近い。投資マインドを持った人は勇気をもって儲けの大きい商品に挑戦してほしいという。この銀行家の呼びかけは冒険案内人が参加者に呼びかけるのと同じだ。でも結局ドクターは儲けも少ないが元本割れの可能性も少ない、いわゆるリスクの小さい商品を選んだ。参加者に「チャレンジしよう。勇気をもってリスクをとれ」と呼びかけてる冒険案内人らしくもない、情けないふるまいだ。
☆家にいる時間が長くなったのでごそごそしていると、昔のアルバムが出てきた。初めて担任をした時の写真だが、全員黒学生服の中で白色ジャケットとは、目立ちたがり気質は変わらないようだ。
☆2校目の文化祭でのクラス劇。生徒たちががんばった「スタンドバイミー」。
☆幕間の余興で、阿修羅の手と面をつけて生徒とコントをしているのは30代のドクターらしい。やってることは30年間変わらない。結局、農家に生まれて堅実・始末で育ったドクターの気質は冒険・チャレンジを受け入れにくいようだ。だから冒険にあこがれ、人にも勧めたいのかもしれない。人間そう簡単に本来の気質は変わらないが、新しい世界を知ることで「引き出し」が増え、少しは生き方の選択肢も増え、生きやすくなる。退職後、再就職せず「ささやま冒険教育」を立ち上げたのは、ドクターにしては珍しくチャレンジした方だ。こんな選択ができたのも冒険教育に出会ったからだと思う。
Dr.74 嫌でなければやった方がいい(7月2日)
定年後の生き方をテーマとした本を何冊も書かれている著者とお話をする機会があった。その人が言うには、本ではもう少し積極的なことを書いてるが、本音で言えば「定年後の仕事は、(特別得意な分野やしたいことでなくても)嫌でなければやった方がいい」ということらしい。嫌だと思う仕事はやらない方が良いが、特に好きな分野の仕事がそう簡単に見つかるわけではないので、何もやらないでブラブラしているよりは何らかの仕事はやった方が良いということが、大勢の人にインタビューした結果から言えるということだった。さらにその仕事はたとえ交通費程度であっても、お金がもらえる仕事がいいそうだ。お金をもらって仕事をするということが、やりがいや仕事のアクセントになって良いらしい。定年後の充実した生き方を模索するドクターとしては、とても参考になる意見を聞いた。ついでにどうしたら自分の本が出せるのかについても聞こうとしたが、こちらは時間切れで詳しく聞くことが出来なかった。お金の儲かる仕事をするのはいいことだが、あまり欲を出しすぎては行けにということか。
☆退職校長の会に行ったら、しきりに写真を撮ってあげようとおっしゃってくださる退職校長先輩がおられて1枚撮っていただいた。お聞きすればお孫さんがドクターが勤めていた高校におられたご縁でこのブログをご覧になっているらしい。この方に限らず、お集まりの退職校長の皆さんはいろんな仕事や役職をいくつもなさっている方が多く、みなさんお元気だった。作家に聞いた通りだ。
☆退職後自分の部屋にいる時間んが長くなったので、自分の部屋用のエアコンを買いに行っら〇ナソニックの特売日で抽選が出来た。この写真を撮ってもらった親切な販売員の方も退職後有償仕事をこなされてお元気な様子だった。特等をねらったが麦茶セットだった。欲を出しすぎてはいけないというドクター説通りだ。