ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.17 冒険ネーム

「ドクター」もそうだが、我々冒険仲間はお互いを冒険ネームで呼び合っている。冒険ネームがニックネームやあだ名と違うのは、あだ名は主に周囲の人から付けられたもので中には当人が嫌な場合もあるのに対して、冒険ネームは名乗る本人が決める言わば「呼ばれたい名前」であるということだ。冒険活動中はお互いを尊重する「フルバリュー」という原則が大事だが、その象徴が活動仲間を(本人の意思を尊重して)その人が読んでほしいという名で呼ぶということだ。普通は「ケンケン」や「恋ちゃん」「がくさん」のように名前や苗字から呼ばれたい名前を決めることが多いが、中には「たこやき」(丸顔な人)や「ポチ」(犬顔な人)、「クジラ」(体の大きい人)や「チャアシュー」(太い人)など、こちらが本当はその呼ばれ方「嫌んとちゃうん」と心配するような名前を名乗る人がいる。でも本人がそう呼んでほしいというのだから、それを尊重する。先日「ポチ」の紹介で「コンチャン」と一緒に神戸市にあるK明学院中学校の職員研修に行ったが、「何故冒険指導者は冒険ネームを使うのか」という話題になって、ドクター(お気楽なおっさん)が「指導者が〇〇先生や講師と呼ばれたのでは対等な学びが出来ないから」と答え、コンチャン(岡山から来たまじめなおっさん)が「非日常の世界へ入りやすくなる」みたいなことを答え、それを今回企画代表のポチと滋賀から見学に来ていたレッド(ともにおっさん)がうなずきながら聞いていた。話はややこしい、いい年齢をしたおっさんがポチやレッド、ドクターやコンチャンと呼び合っているのは紛れもなく非日常だ。皆さんも自分が呼ばれて気持ちの良いネームを名乗って、非日常から冒険を始めませんか。

☆先週土曜日にあったK明学院中学校での職員研修。ドクターとコンチャンが指導し、ポチとレッドが観察した。冒険ネームはおっさんしか使ってはいけないというルールはないので皆さんの名乗りをお待ちしています。

 

 

☆指導依頼はほとんどないので、営業に回るドクター。奥の美人は西陵卒業生ということがわかり、以前の「絶こうちょう」名のお陰で盛り上がりました。手前の紳士はドクターが尊敬する先生。知り合いばかりを回っているようでは非日常ではないですね。

 

Dr.16 しまいかねる

ドクターの毎日は冒険教育指導依頼はそう入っていないので、何やかやで過ごしているが、そのなんやかやの中で最近は百姓作業が忙しい(百姓ドクターの活動は「ドクタートラクター」でお知らせする予定ですが、実際の作業に追われて報告ができていません。すみません)。今の農作業の中心は田植え準備のために田んぼをトラクターで鋤く(「荒ら鋤き」と言うらしい)ことだ。鋤く前には水を入れなくてはいけないし、その前に田んぼの水を落とす口にふたをしなければならない。いずれもベテラン百姓ならなんということはない作業だが、百姓初心者に近いドクターにとっては大作業だ。水の入れ方や田んぼの鋤き方を村の百姓師匠が教えてくださることもある。近くの田んぼの方に「そんな鋤き方では水が漏れる」と注意されたりもしなければならない。そんなこんなで田植え準備がなかなか進まない。この間などは作業が夕暮れまでかかってしまった。遅くまで作業することをこの辺では「しまいかねる」というが、連日しまいかねた状態が続いている。これでは到底「お気楽な毎日」とはいえない。前回の丹吉師とのやりとりも思い出して、(1日の作業・することを)欲張らず、閑(ひま)を楽しむ精神を今日こそは発揮したい。

☆一日の初めの方(農作業の最初の方)は雲や田園風景やトラクターの周りにやってくる鳥たちをカメラで撮る余裕もあって、結構良いスタートのように思ったのだが・・

 

 

☆トラクターに乗る自分の写真を撮ってもらおうと田んぼ近くに住む妹の帰りを待っている間に日が暮れ、この日も慌ただしく「しまいかねた一日」となった。「お気楽な毎日」への挑戦は今日も続く。

 

Dr.15  忙中閑あり

先日の新聞に「時間は十分にあっても閑(ひま 厳密には閑と暇は違うようですが)がない。いくら時間があっても気持ちに余裕がなければ十分に時間(暇・閑)を楽しめない。要は物理的な時間の問題ではなく、その人の心の持ち方である」みたいなことが載っていた。ドクターのこれまで約半月の退職人生の経験からもまさにそこが問われていると思う。何やかやとすることはあるが、決まった時間にこれをしなければならないということ(出勤時間前には学校に着いていなければならないというような)は少ないので、時間は自由に使えていっぱいあるはずなのだが、忙しい。これはやっぱり性格というのか、考え方の癖なのかなと思う。今までの人生もほっとくといつもせかせか、あたふた何かに急き立てられるような感覚があった。それを脱却したいから敢えて「お気楽」「いい加減」人生を強調していたのかもしれない。ふと今使っている部屋(一応SAP事務所)の横の高校・大学時代に使っていた部屋(今は物置)の壁を見ると、写真のように下手な字(今もそう)で「忙中閑あり」と書いた紙が今も貼ってある。昔から「忙中閑あり」を目指していたようだが、ここは一つ退職を機真剣にバタバタ人生からゆったりのんびり、真のお気楽人生へ変えていきたい。未知の自分に出会うことこそ冒険なので、冒険指導者ドクターには相応しいチャレンジだ。真のお気楽道を目指したいという気持ちは本当だが、結局はバタバタな毎日が続きそうだという諦(あきら)めもある。こちらは人生の求道者丹吉(たんきち:初の登場ですが、ドクターの哲学的宗教的側面を表すときに呼ぶ名前です)師匠の言である。

☆ドクターのもう一つの顔、人生求道者丹吉(たんきち)師と人生目標「忙中閑あり」と書いた若い時の書(丹吉名は30年前から使っていたようだ。30年後の今日も同じことを目標としているということは丹吉師も大したことはない)。

 

☆閑を楽しむ人生を目指して、移動中に見つけたホッとするシーンを撮るが、そのゆったりとした景色の中でも慌ただしく走る俗物。

 

 

Dr.14 あっという間の研修

先日SAP初めての単独依頼の神戸S高校へ指導に行ってきた。1年生240名の緊張をほぐすのと豊かな高校生活を送るヒントをつかむということをテーマに行った。自分の緊張をほぐすのと、自分の人生を豊かに(ドクターの場合は「豊か」イコール「お気楽」「人生何とかなるで生きる毎日」ということになるが)生きるのことには自信があるが、人さまのお子様(高校生)の緊張をほぐしたり、240名全員に豊かな生活を送るヒントを届けられるかというと正直自信がなかった。自信はなかったが、SAP初の依頼であり、いろんな人のつながりで実現した奇跡のような依頼だったので何とか実現したいと、自信のあるふりをして引き受けた。もちろん根底には入学したてで緊張する1年生が充実した高校生活さらには人生を送るために少しでも力になれればという熱い思いはあった。ともかく準備はしたがあとは出たとこ勝負と思い実施した(いつもの通りだ)。冒頭自分をドクターと呼んでというこいつは何者だといぶかる1年生たちに、「この研修を生かすも殺すも自分次第ですよ」と責任転嫁の一言を言ってお気楽に進めていったが、明るい生徒達や協力的な先生方に助けられ、何とか2時間の授業というのか遊びというのかわからない研修を終えることができた。自分にとってはあっという間の2時間だったが、後でS高校に熱い想いを持つ担当者からお礼のメールと「あっという間でしたね」という感想を頂いた。客観的な時間は変わらないが、主観的な時間はその時の環境で伸び縮みする。あっという間というのは楽しい時や物事に没入したときに起こる。実施者、参加者ともにあっという間と思ったということは、SAP初の活動がそう悪くなかったということかと、ドクターはいつものようにお気楽に考えた。

☆SAP初の引き受け講演会。最初の1時間は講義棟で、何やかやとしょうもない話をワイワイと。

☆次の1時間は体育館で、ワイワイと何やかやの活動です。多分生徒たちは楽しかっただけかも。

「SAPとは」の内容を追記しました

「SAPとは」の内容を追記しました。
→詳しくは「SAPとは」のページをご覧ください

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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