Dr.400 あこがれの存在(7月20日)
知人から聞いたところによると、「定年後はドクターのような生活をしたい」と言っている人が何人か(約2名)いるらしい。フルタイムで働かないで、自分のやりたいことや地域のことをしているのがあこがれの理由らしい。教育には「感化」「あこがれ」(今風に言うとリスペクト)が一番効くというのが持論のドクターとしては、自分が憧れの対象になっているというのは嬉しい限りだが、実際にはいろいろと気苦労もありフルタイム再任用をしなかったのが正解かどうかは今も迷いがある。そういえば過去にも、「自分のしたいことを活き活きしている指導主事」「生徒と遊ぶお気楽校長」として、一部(約3名)の人から憧れられたが、実態は厳しいこともあった。考えて見るとそりゃあ当然のことで、細部まで表も裏も知ってしまったら憧れにならないのかもしれいし、あこがれを持ち続けるためには細部まで知らなくても良いのかもしれない。大事なことは自分の目指す世界(生活)を活き活きと生きるあこがれ(目標)がいる(ある)ということだ。あこがれがあるから、あこがれの人ががんばっているから、自分も頑張ってみようとやる気が出る。そのためにも、あこがれは「みなさんが思っているほど良いことばかりではないですよ」等とぼやかず、みんなの夢を壊さないためにも少々無理してでも、あこがれの道をさっそうと歩み続けなければならない。「あこがれの存在」も楽ではない。
☆雨上がりの朝、あこがれは長靴を履いて体形と体力維持のため早い稲が穂を出す田んぼ道を颯爽と駆け抜ける。実際にはそんな立派なものではなく只の惰性でトボトボとですけど。あっ、これを言っちゃあいけないんでしたね。

