Dr.2102 丹精より適当(10月28日)
黒枝豆を送らせてもらった相手の方から「丹精を込めて作られたから美味しいです」みたいなメールを頂き恐縮して、「丹精と言うより適当です」と返信した。「適当」はドクター的には、「大雑把、雑」のイメージで使ったが、「適当」本来には「ちょうどよい。ふさわしい」の意味もあることも思い出した。
「丹精」も漢字を見ると、丹の付く人(丹後など)が精を出してやる、みたいに見えなくもない。
このようなことをひっくるめて、自分の生き方を考えると、性格や仕事ぶりは雑だけど(手を抜いたりいい加減にするという意味ではなく、緻密にできないんです)、自分のカラーを大事に(人に喜んでもらう、笑顔で明るく等)、全力で(でも無理はせず、自分のペースで)取り組んできました。これは、「適当」の両方の意味(ちょうどよいと大雑把)が入っているような感じです。
黒豆づくりも、畝も植え方もグネグネ、肥料のやり方も適当ですけど、自分がやりたいときには全力で(毎朝の土寄せ等)やりました。暑い時に水もあまり入れてませんので、豆が膨らまなくても仕方ないはずだけど、お陰様で結構大きな実が出来ました。
人生も同じく、適当に流れとご縁に従ってやってきましたが、豊かな実りを頂いています。有難いことです。これからも適当人生、適当百姓やれるところまでやって行きたいと思います。皆様もボチボチ、ご自分にあった人生を、楽しみながらお歩みください。
☆昨日も地域の文化祭へ行ったり、百姓したりしました。有難いことです。