Dr.1167 存在意義(1月19日)
昨朝は母の再入院準備でブログ更新が出来ませんでした。病院への送りは妹がやってくれたが、出発前に久しぶりで母親と兄弟の時間を束の間過ごせた。母親にとって、子どもは二人なので、自分達が子どもとしてできる最大限のことはしたい。子どもとしての役目は自分達にしかできない。
話は変わるが、昨日かつて登録していた生涯教育組織のスタッフから冒険指導の依頼があった。この頃は時間がとれないのと、謝金をもらっての指導はできないということでお断りしたが、自分を見込んでの依頼は嬉しいことだった。
仕事上、講演やお話し、挨拶、時に冒険教育の手法で指導することもあるが、これらは多くが職務上の依頼であって、ドクターの個人的な力量を見込んでのものではないことが多い。
その点、この度の生涯教育サポート組織からの冒険依頼や子どもとして親に出来ることなどは、自分にしかできないことで、自分の存在意義と言うのか、自分の存在価値を認めることが出来る貴重な機会だった。
職務としての役割も大事だが、職務はいつまでもあるわけではない。職務が無くなっても、自分の存在意義があるようなことを大切にしていきたい。
☆週明けの市役所周りのごみ拾い。職務上のことは何をやっても、どちらに判断しても、必ず反対意見があるが、ボランティアごみ拾いは誰からも批判されない数少ない自分の存在意義かな。