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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.686 付け焼き刃(6月2日)

今日は久しぶりの本会議で、丹波篠山市議会は資料を電子データで配ることにしているので、本日の資料はクラウド上で見なければならない。何日か前に配信されているので、じっくり読み込めるはずだが、ドクター丹後は勿論メインの読み込みはしたが、膨大な資料の細部まで目を通すことが間に合わず(時間はあったはずだ、しっかり間に合わせよという声が聞こえる)直前の今朝になって貸与されているタブレットをめくっている。この頃のブログ名諺シリーズで言うと、「つけ焼き刃」(にわか仕込みで知識などを得る)だ。付け焼き刃は勿論褒められた態度ではないが、即席にせよ本物でないにしろ刃が付いてるだけましとも言えるか。勿論本物の刃を鍛え上げて付けるのが一番だが、誰でもどの分野でも本物の刃が付くわけではない。いろんな分野の付け焼き刃をやっているうちに、思わぬ分野で結構本物に近い刃が付くことがある。ドクター人生を振り返っても、教育系でいろんな分野を歩んできたが、少しはしっかりした刃が付いたと思えるのは、冒険教育の分野と校長職だ。自分で思うだけなので自信はないが、他の分野は自分で考えてもいい加減なものだ。さて、市議会議員の分野で本物の刃が付くかどうかはまだ分からないが、精一杯そうなるようにがんばりたい。

 ☆今日の議会の資料に目を通し、つけ焼き刃で政策を勉強する新人議員ドクター。つけ焼き刃を本物の刃に替えていかなければならない。

Dr.685 どっちもどっち(6月1日)

地域の地方新聞Tに「どっちもどっち」というタイトルで、この間の市議会での議員報酬カットに関するコラム記事が載った。6月と12月の議員期末手当を全額カットして新型コロナウィルス対策に回すべきだと提案した2名も事前の会議で否決されたのに同じ内容で本会議に提案したのは自分たちの主張をしたかっただけ、否決した他の議員も全額が無理なら2割にするとかの議論をするべきだった、どっちもどっちで今回の提案は誰のためにもならないというような内容だ。その本会議に出席していたドクターとしては「痛い所をつかれた」っていう感じだが、ドクター丹後としては以前のブログ(Dr.680『晴れのち雨のち曇り』)でもお伝えしたように、お二人の極端な提案には賛成しかねるが、何割かカットする議論がしたかったという思いがあるし、それ以前の会派の会議では議員報酬等をカットしてコロナ対策に回すべきだと発言している。あの本会議でも提案のあとの質疑で、全額ではなく2割から5割ぐらいの案は健闘できないかと質問しようと思ったが、新人議員の悲しさで、本会議でそのような発言をしても良いのかどうか分からず質問できなかった。T新聞の記事を読んで改めてあの時発言していたら記者にこのような記事を書かれなかったのにと悔やんだが、今となっては「後の祭りだ」。今度は「後の祭り」というブログタイトルで、どのようにすれば同じ悔しさを味わわないで良いかについての思いを書かなければならない。でも、5月27日のブログでも結構そこら辺の思いは書いているなあ。

 ☆昨日の夕方の裏山の下草刈りの際、足の筋力不足で踏ん張れず、こけたところに回転する草刈り機の刃(整備不足で手を離しても回転が止まらなくなっていた)が顔の近くまでやってきて、もう少しで血まみれになるところだった。今後は農作業でも「後の祭り」にならないようにしなければ。

Dr.684 いつもの価値(5月31日)

知り合いの方がSNSに「(今日はチョット遠出して)美しい田園風景に出会いました」と投稿されていた写真に写っていたのは、何とうちの田んぼでそこからの景色はいつもよく眺めている馴染みのものだった。最近のコロナ禍でいつもと違う生活を強いられた人が、「いつもの当たり前(生活)の価値を再認識しました」という話をよくされているが、そのようにいつもの価値はそれを無くすまでは気付きにくい。本当は無くす前にそれに気付き、感謝しながらその有難さを味わって生きるというのが出来れば一番いいのだろう。今回のような大規模感染症の流行や阪神や東北などの大震災、個人的には病気や定年(チョット異質かもしれませんがドクターにとっては大きな契機)等でこれまでの日常が無くなった時に、それまで何の気なしに味わっていた「いつもの価値」の大事さに気付く。まだ失っていないいつもの生活(ドクター的には、①菓子パン食べながらのコーヒー、②歩くような速さの毎朝のランニング、③農作業や筋トレなど一日一回の汗かき運動、④夕飯時の一杯、⑤そうそう毎朝のブログ書きetc.)の有難さを噛みしめながら1日を送ると、いつにも増して毎日が幸せに送れるような気がする。それにしても、ドクターの日常で大事にしてることって大したものないですね、それが幸せなのかもしれませんけど。

 ☆Sさんが投稿していた「美しい田園風景」の写真。ドクター的にはいつもの風景ですが、改めて言われると良い景色ですね。いつもの価値は見過ごしやすいことに気付かせてくれた感謝の一枚です。Sさん、ありがとうございました。

Dr.683 つながり(5月30日)

新型コロナウィルス禍で人とのつながりが減少したり不安が増大したからか、定年や失業で会社や社会と触れ合う機会が減ったりした人も含めて人とのつながりを求める人が増えた(ように思う)。そうした事情を抜きにしても普段から人との付き合いが苦手な人や話下手の人なども、人とのつながりを求める気持ちは切実だ。人は社会的な生き物だから衣食住などの経済面はもちろん、精神面でも一人では生きていけない(もしくは生きにくい)。達観者の中には煩わしい人との接触を断って孤高で生きる人もいるかもしれないが、凡人の私達には人とのつながり無しに生きるのは難しい。周りからは人づきあいが多そう(上手そう)に見えるドクターも内実はそうでもなく、特に気の合う人や頻繁に行き来する人は少なく、特にここ最近は「つながり」を求めて旧知の親しい人に会いに行ったり、飲み会を再開しようとメールしたりしている。旧知の気の合う人と昔話をするのは楽しく元気が出るが、いつまでも昔話を続けるわけにもいかない。これからは新たなつながりを築いたり古いつながりを大事にするとともに、そこそこ一人でも生きて行けるような精神修行にも励みたい。未熟なドクターは修行しなければならない分野が多く、生きているうちに修行が完成するかどうかは自信がない。

 ☆昨日は地元の小学校で休校中の子ども達とインターネットを使ってコミュニケーションをとる先生の様子を見せていただいたが、やはり子ども達にとっても先生や友達とのつながりはとても大事だ。

Dr.682 大きいこと小さいこと(5月29日)

足の真ん中指の爪の端っこに逆むけができて、夜寝ていて足を動かすごとに布団に引っかかって痛みが走って困った。かといって起き上がって爪切りを探して逆向けを切ろうとするのも却って眠気を覚ますと思い、朝まで痛みが気になりながら眠った(正確には寝たり起きて痛みを感じたりしていた)。世の中にはもっともっと大きな痛みを抱えている方もおられるのに、足の指の爪の端っこごときで大騒ぎするのは恥ずかしいとは思いながらも、昨夜のドクター丹後にとってはそれが結構大きく気になる問題だった。そこで又ここから人生一般の問題に話が飛躍するのだが、ある人にとっては大きな問題でも、他の人から見れば「なんだそれぐらいの小さなことでワーワー騒ぐな」というようなことはよくあるのではないか。ある問題(こと)を大きく感じるか小さく感じるかは個人差が大きく、一般的客観的には判断できない。今回の新型コロナウィルス問題や国家財政の赤字拡大など誰が見ても大きな問題と思えるようなものもあるが、ある問題の解決がどれほど重要かどうかは人によって違うことを忘れず、その人の身になって考えるようにしたい。また反面、自分ではその時どうしようもなく大きな問題と思っていても、時が経ったり見方を変えれば、なんでこんなことで悩んでいたのだろうかと思えることもあるので、悩みの渦中にある時は一歩そこから離れてみることも大事ですよね。

 ☆足の指の爪がささくれ立って痛くて度々目覚めたドクター丹後。こんな小さなことでと思いながらも、昨晩の自分にとっては結構大きな問題だった。今朝爪を切ってからは「なんでこんなことで騒いでいたの」というような小さな済んだ問題になりました。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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