Dr.348 第2の人生(5月22日)
人生100年時代に入った。50歳あるいは60歳から第2の人生が始まるということをいろんな本や人が言っている。そしてその多くが、第一の人生は生物として子孫を残し、社会の一員として仕事で貢献するが、第2の人生は自分の好きなことを気兼ねなくやる、第一の人生と同じ価値観で生きてはいけないみたいなことを言っている。50歳からにしても60歳からにしても第2の人生が始まっているのが間違いないドクターとしては、今をどう生きようと模索している。お陰様で第一の教員人生を面白く生きさせていただいた。第2の人生のメインテーマは決まっていないが、いつまでも第一を懐かしんでいても始まらないことは確かだ。第1の終わりころから準備をして第2の人生を充実させよという本もあるが、もはや始まっている人には後の祭りだ。だいたい第一の人生真っ盛りの人は第2を考えたりするのは遅くなるのが普通だと思う。こんな本を読むのは第2が始まってからだ。第2始まってるのにどうしよう派のドクターとしては、何度も言うように流れとご縁に任せてうまいこと第2の人生のテーマが見つからないかと狙っている。第2人生1年目の去年は冒険指導を核にいろんなことをやらせていただいて面白かったが、第2の核が見つかったかと言うとそうでもない。第2人生2年目の本年度は去年とは違う仕事(分野)もやらせていただいていて、これが核になるかどうかは未だ分からないが、今のところ充実している。こんな感じでバタバタ行くのが第2の人生かもしれないし、何かメインテーマが見つかるかもしれない。まあ折角の第2の人生だからどうなっていくのかを面白がる余裕を持ちながら歩んで行きたい。
☆第2の人生でも第1でやった「山の芋グリーンカーテン」を植えて、第1の経験が生きた。第2は第1とは無縁ではないのかなと思いながら夕陽の美しさに見入った。自然や動植物の美しさに気付く余裕は第2の方が優れている。第2も面白くなるかも。
Dr.347 ご縁と流れを大切に生きる(5月21日)
前回のブログで大失態を話題にしてしまい多くの皆様にご心配をおかけしました。中にはメールまで頂いた方もあり、この場をお借りしてお礼申し上げます。少し元気を取り戻した今は、これまで通り「ご縁と流れを大切に、頼まれたことをそれなりに一生懸命引き受ける」というドクター流生き方を続けていきたいと考えております。このブログも流れと環境が許す限り続けさせていただきます。そもそもこのブログの開始自体が、S高校時代の保護者の方の何気ない一言(「学校にはブログがあった方がいいんじゃない」)がきっかけとなり、その後のS高校でも続け、退職後のS冒険教育でも続けているという流れになっております。流れとご縁で初めて続いているものですから流れで終わるまで自然体でやっていきたいと思っています。「この頃ドクターブログの更新ないけどどうしてはるんやろ、そういえば先日お亡くなりになったようだ」みたいな感じで。人生自体もそんな感じで自然体で行きたいものです。でも自然体で引き受けたことをやっていても、知らず知らずに周りに迷惑をかけてしまっている場合もあります。逆に自分ではいつも通りにやっているつもりが、周りがとても喜んでもらえる経験もありました。喜んでもらえるか、迷惑になるか、大失態になるか、これも流れだと思いますが、自分としてはいつもそれなりに全力でご縁を感謝しながらやっていきます。もちろんできれば周りに喜んでもらえるようにと願いながら。
☆この花のように自然体で咲き、気が付く人が気が付いてくれることはあるけど、普通は特に気にする人もない。それで十分、それでいいって感じでしょうか。
Dr.346 大失態(5月19日)
これまでの人生において何度か致命的な大失態をやらかしている。その都度大勢の人に迷惑をかけ、もはや「人生も終わった」というような感じの失態をやらかしてきた。しかし其の度に神様仏様大いなる存在様の意思と関係者の皆様の寛容に助けられ何とかこの齢まで生き伸びてきた感じだ。大失態の内容は申し上げにくいが、若い頃は「若気の至り」、年齢がいってからは「思慮が足りずに」やらかしてしまっている。悪意がないことだけが唯一の言い訳だが、悪意がなくても失態は失態、責任を取らなければならない。今回も関係者の皆様の善意に助けられ何とか命(社会的な命)をつないだ形だが、この反省を活かし残された命(社会的・生物学的)を社会のために、自分の力が少しでも役立つことに尽くしたい。このブログも続けるかどうか迷ったが、読んでくださる方がおられるなら細々とでも続けていきたい。失態を活かしてドクターが今後どのようにするかを暖かく見守っていただければありがたいです。
☆自分の失態は失態としても、植えた苗には水を入れてやらねばと朝早くから用水路の水を入れるおっさん。人生の大失態を活かして深みのある人間になれ。
Dr.345 若い頃(5月17日)
冒険教育に引率に来られた中学校の教頭先生と話していると、その中学校の教員平均年齢は31歳位で50歳代は誰もいないらしい。初任者や臨時講師だらけという凄い時代になってきている。でも若者は未熟なところもあるが、若さや元気さや情熱、何より子どもに近い年齢・存在ということで悪くない。自分の若い頃を思い出してみても、授業は「仏像のマネ」や「金印のスタンプ」「卑弥呼の笛」「隠れキリシタンの祈りの録音CDを聞かす」など怪しげなものが多かったが、部活の空手道部では毎日生徒と一緒にランニングや練習をして自分自身の腕も上がって国体出場したり、わんさかいた同僚や先輩と連日のように近所の酒場や三宮で飲み騒いでいた。ついでに中年の40代や管理職の50代を思い出しても楽しかった思い出ばかりが浮かんでくる。61歳の現在は、猛暑の中の冒険指導やほとんど毎日の夜の会議、頼まれた役職などで充実感よりも先に疲れが勝っているが、これも後から思い出したら、好きなことがやれて少しは人のため地域のためにも働けていた良い時代として思い出されるのだろう。「思い出は美化される」ということだろうが、毎日の生活の中に後から思い出せばキラキラしている要素が一杯あるということだ。疲れや目の前の心配事ばかりに目を奪われないで、若い頃でもおっさん期でもいつの時代にもある、今の輝きを忘れないようにしたい。
☆冒険指導でやってることは若かった10数年前も今もそんなに変わらないが、参加者や環境や思い付きで全く同じと言うことは一つもない。熱さや疲れや慣れに目を曇らせないで、今の有難さや充実感に気付いて毎時間を大切に子どもたちと過ごしたい。
Dr.343 アイムソーリー(5月15日)
久しぶりにトレーニングに行って、久しぶりに市内中学校や小学校でALTをしているコーディーに出会った。子ども達もお世話になったことがあるので、彼が「アナタノコドモハドウシテマスカ?」と尋ねてくるので(一応英語で)、「マイサンは関東の大学1年生(フレッシュマン)になって、マイド―ターは地元のハイスクール1年生になった」と答えた(何とか英語で)。何とかブロークンイングリッシュが通じたのに気を良くしてドクターが子供の1人が家から離れたので「寂しい」というところを咄嗟に英語が出てこず、「アイムソーリー」(すみません)と言ってしまい、「(あいむ)ロンリー?」と正しい英語を教えてもらった。何年もスピード〇ーニングをやっていてこのレベルだ。それにしても咄嗟に「アイムソーリー」が出てくるのが自分らしい。いつも謝っている人生を象徴しているようで、納得するような寂しいような。ともかく「ロンリー」というぴったりくる表現を覚えることが出来た。人生はロンリーが基本だと思うが、ロンリーだからと言って惨めなわけではない。これからはロンリーを味わいながら、うまく付き合っていきたい。今回中身のない話で「みなさん、アイムソーリー」。こっちの方がしっくりくるか。
☆ドクターが4月から時々通う「丹波篠山暮らし案内所」のメンバーと。早速旧友に送ると、笑顔は良いけど、おまえも横の若者のようにシャツを外に出すようにアドバイスされた。おっさんの癖でシャツをインしてしまいました。「あいむそーりー」