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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1127 どう生きる(12月7日)

 奥様から、定年したら「畑して野菜つくって、漬物もつくる。料理もする」言うてたのにどれも出来てないと責められた。

 今ではそんなこと言うたっけ状態だが、記憶力には自信がないので、奥様がそう言うなら恐らく言ったのだろう。言った言わなかったは別にしても、現状は市役所と田んぼで時間がない(ブログを書く時間とロペ観る時間は別)。

 時間が合ったとしても今どれだけ野菜・漬物づくりがしたいかと言えば、正直それほど熱意はない。それよりは今の仕事の方がやりがいはあるし刺激はある。かと言ってしがみつく気持ちはないですけど。

 やる流れ、やるべき役割だから精一杯(頑張り過ぎは良くないが)勤めさせてもらうだけだ。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。どんな役が回ってくるかは分からないけど、その役をやらせてもらうが、ベストにはできないかもしれないが、出来るだけ不幸せな人が少なくなるようにはやっていきたい。

 これまでも理想通りには行かなかったが、やるだけのことはやったという気持ちだ。生きてるといろいろ思い通りにならないことも出会うと思いますが、あんまり自分の想いにこだわり過ぎず、妥協や譲歩(言葉は悪いイメージかもしれませんが)も取り入れて、先ずは生きる、愛する人と共に生きるを最優先に人生を紡いでいきましょう。

 ☆駅でのあいさつ運動。校長時代にもあいさつ運動やってました。どんな流れや役割がくるか分かりませんね。

Dr.1126 友に会う(12月5日)

 亡くなった友人の1年ということでご自宅の墓前にお参りに行った。お母様と奥様が出迎えてくださった。お寺さんが来られる前の慌ただしい時間ではあったが、友に会えて彼の話を聞かせてもらえて有難い時間になった。

 お葬式や今回のような周忌行事は逝った人のためと言うよりも、残された者にとって必要なものではとも思う。友達の少ないドクターにとって彼は唯一と言っても良い友人だった。自分にも友人が出来ると思えることは心の支えになるし、実際彼の存在は心の支えだった。

 お母様のお話をお聞きしてしていて、また生前の付き合いで薄々は気付いていたけど、彼と自分は正反対のところもあり共通した所もあるということがはっきりした。きっちり几帳面なところは大雑把でいい加減なドクターとは正反対だし、受容的な彼と突撃型のドクターという所も相反するが、愛情豊かに育てられ人に暖かく接するというのは似たところがある(自分で言うのもちょっと気恥ずかしいですけど)。

 やはりウマが合うというのは、自分と同じタイプと言うより自分と違う部分を補ってくれるような人とだ。

 生涯の友人は今はこの世にはいないが、心の中にはしっかりと生きている。ドクターもこの後何年かこの世で生きた後、彼と同じ世界に逝くだろう。遅かれ早かれと言うことで、そんなに大きな違いはないような気もする。

 節目の一周忌に彼に会えたこと、彼のご家族が今も自分を最愛の人の友人と認めてくださることに感謝しながら、生前の彼が認めてくれていた自分のような生き方を続けなければと思う。

 ☆無電柱化の河原町を通っても、一周忌に彼の墓前へ行けるかが気になっていた。念願を果たせて、自分は嬉しいし、彼も喜んでくれているだろうか。 

Dr.1125 今は昔(12月4日)

 森のようちえんという催しがあって、その様子を見にささやまの森公園に行った。3歳児を中心に幼児とその保護者10組ほどが集まって森で蔓をとってリースを創るというのが今回のコンセプトだ。

 指導者は野外教育・生涯教育をサポートする法人から来ている講師達だった。ドクターは昔ドクターを名乗っていた時その法人の講師として仕事をしていたこともある。さらには、その法人を立ち上げた人を指導したこともある。

 その日の講師も知っていて、講師は参加者に今日は先輩が見に来ていて、参観日のようだと話していた。

 始まってみると、その講師の話し方参加者との接し方、プログラムの進め方、どれもすばらしい。こんな評価してるから参観日と言われるのかも。

 ともかく、今のドクターにはとうていできない指導ぶりだった。自分もつい1年前までは指導をしていたはずなのに、今となっては遠い昔のような気がする。

 月日のたつのは早い。昔のことは懐かしいが、今は今の生き方をするしかない。幸い何にデモ直ぐに飽きが来る困った性格のドクターとしては、次々新しい仕事をさせてもらえるのは有難いのだが。飽き性の割には、ドクター名称は長く使ってますけど。気に入った物には飽きがこない。これも又困った性格ですね。

 ☆森のようちえんの講師のお二人。昔(つい最近まで)こんなこともやってたが。今となっては遠い昔のような気がする。

 ☆会場のささやまの森公園の苑長さんは昔の狂言仲間。狂言のおけいこも今は昔のような気がする。月日の立つのは早い。

Dr.1124 短か(12月3日)

 トレーニングでよく会う教え子たちが先に筋トレやっているところに駆け込んだドクターが、「寒」(トレーニング室は感染防止のためドアや窓が開いている)とつぶやくと、「15分もやったら暖かくなりますよ」と言うので、「今日は時間ないのでそんだけやれないかも」と返事すると、二人そろって「短か」と叫んだ。

 そんなに短かったら、着替えの時間もあるので何しに来たか分からないと考えているようだ。確かにその通りで、自分でもなぜ来たのかよく分からない部分もある。グズグズ短時間トレーニングやるかやるまいか悩んでいたら、それだけで時間が過ぎて、より運動出来なくなるのでとりあえずスポーツセンターへ来たという感じ。

 こんなことは他のことでもありそうで、よく考えないでとりあえずいつも通りのことをやるということ。毎回、やることの目的や意味を確かめてことにあたるというのが本筋だとは思うが、それだと毎回考えるのに時間が掛り過ぎて生活に支障が出そう。

 時々は、あるいは折に触れては、しっかり考えることは必要だとは思うが、毎回、毎回考えていたのでは前に進まない。惰性やルーチンや適当にやる(生きる)ということも必要になってくるのではないか。

 考えることと、あんまり考えずにやることの比率は、その人の個性にもよる。ドクターなどは、あんまり考え過ぎても前へ進めない、その場その場で対処するという生き方だが、原理原則・熟考を生き方の原則とする人もいる。

 どちらが正解とも言えない。大事なのは多様性、自分と違う生き方(個性)も認めるということだと思うのですが、いかがでしょうか。

 ☆昨日は写真撮らなかったので、以前チルミューに行った時の写真。適当に選びました。熟考派の人ならこんな適当なことはやらないでしょうね。すみません。

Dr.1123 神田川(12月2日)

 久しぶりに遠距離を車で走っていて、ラジオから昔懐かしい『神田川』が流れてきた。作詞者の方が亡くなったこともあって取り上げられたようだ。

 「貴方はもう忘れたかしら・・」と懐かしい歌詞を噛みしめながらのドライブが続く。辺りには落葉の進む木々から落ち葉が群れ飛ぶ。

 この郷愁を誘う環境の中でドクターの心は「若かったあの頃」に飛んだ。「若かったあの頃、何も怖くなかった」は自分も「そうだった、そうだった」と共感できるが、その後の「ただ、あなたの優しさが怖かった」はいま一つ理解できない。「三畳ひと間の小さな下宿」で一緒に暮らす人がいなかったからか。四畳半の小さな下宿(男子アパート)には住んでいたが。

 ともかく、若さは怖さも感じる間もなくただひたすらに目の前のこと(空手道生活とバイトが中心)に打ち込んでいた。懐かしく、ちょっと戻りたい気もするけど、長くはいらないかな。

 今の生活もただひたすらだが、怖さや不安はある。考えて見ればどの年齢でも「ただひたすら」だったなと思い返す。これからも「ひたすら」が続くのか、終わるのかは分からないけど、「ひたすら」が終わるのは、楽なような暇すぎるような。

 勝手なものだと思いながら、「ひたすら」か「ひま」かは流れに任すしかないかと思い定めた『神田川』聴きながらのドライブだった。

 ☆こんな景色の中のドライブ(写真は停車時に撮影)でしたが、やはりたまには非日常の生活も悪くないですね。

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