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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1132 栄養指導(12月12日)

 職場で栄養士による栄養指導を受けた。やはり問題は毎日2個以上通算1万個以上食べ続けてきた菓子パンだった。

 間食に菓子パンを食べると急激に血糖値が上がり血管を傷つけるということだ。その前に野菜を食べたり、一緒に卵などのたんぱく質を採った方が体には良いらしい。カロリーを気にして昼食などはおにぎりだけにしていたが、それも野菜やたんぱく質を一緒に採った方が良いらしい。

 夜の一杯はそれで寿命を縮めることになっても止められない、生きがいだと強く主張したので、何とか認めてもらったが、即寝が良くないので事前に(午後6時か午後7時頃)何かお腹に入れておいて、その分夜はお酒と少量のおつまみだけにしなさいとのことだが、現実的には難しそうだ。

 ともかく、3ケ月で3㎏の原料を約束させられたので、何か取り組まなければならない。とりあえず、起きてすぐの新聞タイムに食べる菓子パンをやめてサンドイッチやコーンフレークにしてみるが、こんなんでうまく行くのだろうか。

 でもやってみると、まだ2日ほどだが、何とか朝の菓子パンを食べないで過ごせた。朝新聞タイムにコーヒーと菓子パンは絶対やめられないだろうと思っていたが、菓子パンなしでいけるかもしれない。

 ここでもやはり人に言って来た「固定観念を疑え」「無理無理と言わない」が自分にかえってきた感じ。「人の世に何でも絶対はない」でしょうか。

 ☆人権フェスタでの子どもたちの作品表彰式。会場で聞いた中学生の人権作文は素晴らしい出来でした。子どもたちがここまで書けるとは、ここでも固定観念を打ち破られました。

Dr.1131 母の入院(12月11日)

 母が急に入院した。黄疸が出て、胆嚢や胆管が詰まっているのでそれを取り除かなければならないらしい。簡単に取り除ければいいけど、状況によっては手間がかかる場合もあるということだ。

 その病院はコロナの影響で面会禁止で病室に入ることはできない。幸い検査が終わって病室に入る寸前に待合室で顔を見ることはできた。

母の場合は又直って退院してくれると思っているので何だが、もしこれが永遠の別れの場合は何とあっけないものかと思わされた。長い間話したからと言ってそれで心が落ち着くという訳ではないけれど、人の人生・生存の儚さを考えるきっかけになった。

 いつも合っている人はそれが普通で又いつでも会えると思っているが、高齢や病気になったら一瞬のうちに別れがやってくる。だからと言って根本的にはどうすることもできないが、人間の生の儚さを忘れず、生かされている時を、共に過ごせている時間のかけがえのなさを自覚して大事に過ごしていきたい。

 母の一日も早い元気な退院を待ちわびながら、人生の一瞬一瞬の大事さを噛みしめながら過ごしたい。

 ☆まちをウロウロしている一瞬に見た景色。何でもない景色何でもないことでもいつでもあるとは限らない。

Dr.1130 ジョハリの窓(12月10日)

 自分の限界を勝手に(低く)決めつけるのをやめようという呼びかけ「リミッターを外せ」の補強説明を考えてる時に、『ジョハリの窓』という考え方があるのを思い出した。

 いつものようにうろ覚えだが、人間を見る時自分が知っている部分と他人が知っている部分があるという観点で4つに区分して、自分も他人も知っている既知の部分と自分も他にも知らない未知の部分、他人は知ってるけど自分は知らない意外な部分、他人は知らないけど自分だけが知っている秘密の部分があるという考え方だ。

 どこに(どの窓に)力点を置くかは、自分が何を言いたいかによって変わってくるが、「リミッターを外せ」では自分では知らない窓が自分の中にはあるということと関連付けたい。

 飽き性の自分が狂言と言うお稽古を20年以上続けたり、逆に料理好きなはずなのに(かつては時々はやっていたのに)この頃料理を作ることはほとんどないなど自分の予想と違う展開(窓が開くこと)が起きている。

 だから人生は予断を許さず面白いともいえる。冒険教育もライフワークのはずが今では遠ざかった感じだ。今後戻れるかどうかも分からない。そもそも自分が教育界で生きて行くとは、大学終わるころまで、その後も全く分からなかった。

 これからどんな展開が待っているのか、どんな窓が隠されているのか、油断はしないながらも楽しみにしたい。

 ☆自分も周りの人も知っている既知の窓「ウロウロするのが好き」全開で、隙間時間があればウロウロするドクター。ここはどこでしょう。

Dr.1129 頼まれたことは(12月9日)

 時間があると現場に行くようにしている。時間がある時はそうないので、そんなには行けていない。

 昨日立ち寄った小学校は、たまたまマラソン大会で、何人かの保護者の方が応援に来られていた。一緒に応援していると、一人の方が「丹後さんですね」と話しかけてこられた。

 「前に小学校であった講演会で『何でも人から頼まれたことはやってみる(引き受けてみる)。自分の可能性が広がります』と言われたのを覚えていて、子どものやってる競技(何だか忘れました)の保護者会長をやってます」みたいなことをおっしゃった。

 こちらは、その講演会をやったのも覚えていないが、「人から頼まれたことは、人があなたを見込んで頼んでくるのだから、自分では無理と思っても自分では知らない力があるかもしれないと思ってまずはやってみる」みたいなことは、あちこちで言ってるしそう思っているので、その講師が自分のことなのは間違いない。

 自分が話したことを覚えていて実践してくれる人がいた。これはすごく嬉しかったが、又一方自分の言ったことには責任を持たなければならないという思いが強まった。どこでどう影響が出てるのか分からないのだから。

 ただ幸い自分も市長から頼まれた今の役を「人から頼まれたことはやってみる」という自分の言葉に従って引き受けているので、今のところは自分の言行は一致している。

に嘘をついていない。

 ただ正直、この決定は迷いに迷った挙句で、どっちに転んでもおかしくなかった。まだまだ自分の言葉に絶対的な確信があるわけではないということだ。

 こんないい加減さだが、別の講演では「人生なるようにしかならないし、心配しなくてもなるようにはなるものです」と言っているので、迷いながらでも何とか生きているのは、自分の言葉に嘘をついていないと言えばいえるのでしょうか。

 ☆フラッと立ち寄った小学校で、思わぬ自分の言葉の影響を確かめた一コマ。言行不一致ではいけない。まあできるだけですけど。やっぱ徹底はしていないか。

Dr.1128 改めてリスクを思う(12月8日)

 ふるさと一番会議と言う、市長と地域住民との会議に毎晩同席している。市内20地区で開かれるので、20晩お付き合いすることになる。

 昨晩はそこである方(PTA役員らしい)が、「子どもがケンカしたらすぐに学校から連絡が入るが、ケンカやもめごとはあって当たり前。自分達で解決する力も大事なので、いちいち大人(先生や保護者)が関わらなくても良いと思う」みたいな発言があった。

 ドクターは「人の成長には冒険心が必要で、リスクは成長に必要なものもある。何でもかんでもリスクを取り除くと成長も無くなる。ただ、命にかかわるような危険や不必要な危険は取り除かなければならない」みたいなことを答えた。

 「危険には成長に必要な危険(リスク)と不必要な危険(ハザード)があるみたいな話は出来なかったが、やはり冒険や挑戦にはリスクあってこそのものだ。リスクは悪で取り除かなければならないモノではなく、成長や飛躍のためには必要なものである」ということをこれからも先生や保護者にも伝えて行ければならないと思った。

 何よりも自分に伝えなければならない。リスクを毛嫌いしてはいけないと。むしろリスクのあるコトを喜べと。成長の機会なんだから。

 そういう意味から言うと、ドクターが今やらせてもらっている仕事はリスクが一杯ある。冒険教育の時によくやっていた説明のように、リスクと戦うエネルギーが不足している時には安心安全快適な場所(Cゾーン)でエネルギーを貯めてもう一度再チャレンジするのが良い。このことも他の人にも自分にも伝えて行きたい。

 久しぶりの冒険・リスク考でした。

 ☆リスクに挑戦するのはエネルギーが要る。エネルギーを貯めるには逃げたり、めげたり、泣き言を言ったりしてもよい。そこでエネルギーが溜まったらまた元気にチャレンジすればいい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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