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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.738 頑固になる(8月2日)

「この頃母親はこだわりが強く、ますます頑固になってきた」と妻に話すと、「あなたも相当頑固やし、こだわりきついし、怒りっぽくなってきた」と言われた。自分としては「こだわらず、流れを重視して自然体で生きる」ことをモットーとしていただけにショックだった。齢を取ると親に似てくるとは思っていたが、流れ派のドクターが頑固で、こだわりが強く、怒りっぽくなってきていたとは思いもよらなかった。自分では家族を含めて周りに相当譲歩しているつもりだったが、そうでもなかったらしい。「親のふり見て我がふり直せ」ってことか。この気付きを好機として周囲に好かれる柔らかな性格に改めたい。でも、「親は長年生きて来ているので何度言っても生き方は変わらない」とも痛感しているので、親に似てきたドクターもそう簡単に変われないということかな。もちろん親にも良い所がいっぱいあるので、それは見習って生きたい。できるだけ良い方向に自分を変えていきたいが、がんばる以上のことはできない。なるようにしかならないとも思うが、ここは自然体生き方を出すところではないか。

 ☆今年はやけに皆さんから褒めていただくドクター黒豆。雑草を手で引いたり、結構こだわって作業しているようにも思えるが、真実は作業でしっかり汗を流して上手いビールを飲みたいだけ。でもそこにはこだわっている。やっぱり頑固になってきたか。

Dr.737 低記憶力の弊害(7月31日)

児童数500人を超える小学校や顔見知りの不動産屋さんや顔見知りの保健師さんらを尋ねて、コロナの影響やmy助産師制度の動向やドクター丹後の血圧などについて聞いて回っている。そんな中、大規模小学校の教頭を勤めるNさんにお会いしたが、「お久しぶりです」と挨拶されて「前にお会いしましたか」と答えてしまった。その答えを聞いた時のN教頭先生のがっかりした顔が忘れられない。聞いてみるとNさんとドクターは数年前にお会いし、そのことを絶こうちょうブログにも書いたという。そんな人を思い出せなかった自分にがっかりするとともに、思い出してもらえなかった相手のショックを考えて、記憶力の低下は自分だけでなく関係の人にも害を与えることを痛感した。最近の記憶力の低下は自覚する所だが、記憶力低下を嘆いたり心配してばかりいても「生きる意欲の意低下」という二次被害をもたらすと考え、意識的に記憶力低下の良い面を強調しようとしていた。曰く、①物忘れが多くなったら嫌なことも忘れるので都合が良い、②仕方のないことは仕方がないのだから気にしない、③多くの人が加齢とともに物忘れが多くなるので自分だけでない、④人生何とかなる、⑤最終的に何もかも忘れたら自分自身は困ることも忘れる等どれも説得力を欠くが、記憶力低下続く状況はどうしようもないので前向きに考えようと努めてきた。自分の事ならそれでもいいかもしれないが、周りの人に与える弊害については忘れていた。だからといってどうしようもない。ここは一つ周囲の人のお情けにすがるしかないか。どうか皆様、今後とも何かとご迷惑やショックをお与えするかもしれませんが、誰もが通る道と寛大な心で温かく接してくださいますようお願い申し上げます。厚かましさだけは忘れていないようだ。

 ☆老化物忘れが周囲に与える弊害について考えさせられた大規模小学校訪問。最近の訪問ではコロナや暑さが子どもたちに与える影響調査という目的を忘れ、それ以外の気付きを得ることが多い。これは物忘れの特典か弊害か。

Dr.736 先手を打つ(7月30日)

全校生が28名ほどの小さな小学校を訪問させていただいた。新型コロナウイルス下で授業や子どもたちの学校生活はどのように変わったのか、何か困っておらっれることはないのかを探るための訪問だった。特に本来なら夏休みに入っている期間も授業を続けるこの夏の熱さ対策はどのようにされているのかが見ておきたかった。このところの長雨で湿気はすごいが暑さ自体はまだ本番前の感じだったので、暑さ対策よりもこの地域で先人が打って来られた過疎化対策、地域活性化策が印象に残った。ご多分に漏れずこの地域も過疎化が進むが、早くから市営住宅などの設置を行い積極的に子育て世代を誘致したことで、まだこどもの数が一定数確保できており、複式学級ではあるあが小学校が存続している。地域と学校が一緒になった活動も多く、地域全体で小学校を中心にまちづくりをされている感じだ。昔に地域の人達が訪問者をもてなしたことからはじまるある財団の支援もあって、新しい施設や活動もやられている。将来を見越して今できる手を打っておくことの大切さと、それとは別に人に暖かく接するという平素からの態度が巡って地域に恩恵をもたらすことにもなったという日頃の人間としての在り方の大切さを学ばせていただいた。これから議員として市政に提案する時、その一手が未来の市民にどう響くかを考えた策を提案していきたい。ドクター個人の生き方としては行き当たりばったり流れとご縁任せだが、議員として今回訪問させていただいた地域のような将来に向けた先手を考えなくては。

 ☆草との戦いが続くドクター黒豆畑。先手を打ってまだ小さいうちに抜いているつもりだが、草の方に先手を打たれて手で抜いていたのでは追いつけないような状態に追い詰められている。

Dr.735 いろんな生き方(7月29日)

前から気になっていた「遊び村 冒険広場 ささやま」へ行ってきた。休園日ではあったが、そこを設置運営しておられるIさんにお出会いし中を見せていただいた。原野を開拓するところから手づくりでいろんな遊具をつくられ、手作り感満載の遊び場だ。子ども達だけでなく引きこもりの人達もやってくるという。遊び場の様子は子ども達がいなかったのでよくわからなかったが、入場料もとらずボランティアで運営されているIさんの生き方に衝撃を受けた。もう何年もお金を稼いだことがなく、人のために活動しているといろんな人が助けてくれるとおっしゃる。一般的な生き方としては、何らかの職について稼いで自分や家族が生活していくとともに、趣味や好きなことにお金と時間を使う。そのお金を稼ぐためにまた働く、というような生き方が多い。世の中にはいろんな人がいる。稼がないで人のために役立つことをする、するといろんなご縁で道が開け生活は成り立っていくとおっしゃるIさんの生き方、すごいとは思うがなかなか真似はできない。今の自分の生き方を振り返ってみると、定年後も小遣いをはじめお金はいるので何らかの仕事には就いている。5月からは議員もやらせてもらっているので、人のためや地域のためにも活動しているがこれは給料が出ているのでボランティアではない。しかしそれ以前からまち協の活動や頼まれた冒険指導はボランティア的にやらせていただいていた。自分の意識の中では人のための活動は自分の出来る範囲でやれることをする、それが有料であるかどうかはあまり意識していない。農業もやっていて、これも儲けたいとは思っているが、昔からやっているのと自分の健康のためというのもあって、実際には赤字だ。結局自分の生き方は、Iさんのような完全ボランティアでもないが、自分の稼ぎだけを考えているだけでない中途半端な生き方だが、結局多くの人はこんな感じか。

 ☆自分の生き方を考えさせられた「遊び村 冒険広場ささやま」訪問。ありがとうございました。

Dr.734 今日もぼちぼち(7月28日)

用事の合間を縫って農作業をしたというのか、農作業の合間を縫って用事をした。用事も農作業もその日に絶対しなければならないものではないが、生きてる限り何かしなければならないなら、その日に今の自分ができる良さそうなモノをするのが良い。その「良さそう」の中身が大事だが、これは自分で決められるのでいろいろやりながら充実感や絶こうちょう感のあるものを見つけていけば良い。人生はその取捨選択の修行ともいえるが、あんまり大層に考え過ぎないのがよい。時には良さそうと思ってやってもあまりよくない場合や、最初から選択肢がない場合もある。いろんな体験をしながら、少しはましな一日の過ごし方が見つけられればいいが、これがなかなか簡単ではない。ドクターの場合この齢になってもあまり進歩した気がしないが、そうはいってもやめるわけにはいかないし、やめたくもないので、まあ今日もぼちぼち修行と思うてやっていきましょう。

 ☆用事の合間を縫って小雨の中の農作業(黒豆の線張り)。こんな感じで人生進んでいくのでしょうか。寂しいようなありがたいような。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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