Dr.1972 そこそこの幸福感(6月10日)
一昨日あたりからつかんだ人生を幸せに生きる考え方「もうすでに幸せである」をベースに昨日も生きた。農作業(畑の畔上げ・トラクター洗車・草刈り・黒大豆の箱「セル」播き等)や職場出勤、トレーニングに村の会議等いつものようにバタバタ過ごしたが、そこそこの幸福感は感じながら一日中過ごすことができた。
「そこそこの幸福感」で良しとするのが良い(何事も求めすぎない:足るを知る)のだから、3日も幸福感が続くとは、今回のさとり結構いいかもしれない。
こんなんでは物足りないと思われる方もあるかもしれないが、「人と比べない」「人の評価を気にしない」等のこれまでの幸せに生きる知見から言っても、人はどうであれ自分が納得で、幸福感を持って日々を上機嫌に生きられるのなら、それで良しとしたい。
村の集会で、「この前の自治会総会で…」と言われて、「すみません欠席してましたもので・・・」と言ったら、「議長をしてもらったので議事録に署名してください・・・」と言われて、「議長をしていたのに出席したことを忘れるとは」というショックはあるものの、今日も「既に幸せ」の悟りで、そこそこの幸福感を持って一日が終えたいと思います。皆様、ドクター幸福感もう少し続いたら、この考え方お試しあれ。人は人ですけどね。
☆昨日そこそこの幸福感で過ごして出来上がった、黒豆の箱播きに太陽シートを被せたところ。
Dr.1971 続けるのが難しい(6月9日)
昨日覚醒した「幸せを求めない(特に何かを求めない)状態が幸せ」というさとりは、「もう自分は幸せである」ことに気付くということで、「幸せはなるものではなく、ある(ことに気付く)ものである」ということだ。
これ、なかなかよろしい気付きで、昨日は一日結構この考え方で幸せに暮らせたが、今日はもはや効果の持続が怪しい状況だ。別に何か大きなことがあったわけではなく、「何事も続けるのは難しい」という法則に従って、効果が薄れかけているのかもしれない。
でもせっかくつかんだ、久しぶりに効果的な気付き・学び・教訓なのだから、幸せな効果は続くようにして行きたい。「もう自分は今、幸せな状態にある」と思うことで得られる、幸せ感、良い精神の状態は、良いものだ。
今日の課題は、せっかっくつかんだ日々を幸せ感を持って陽気に暮らす考え方を、持続させることだ。いろいろ試しながら、今日もハッピーな気分の一日が続くように、ボチボチがんばります。
☆「幸せを求めないのが幸せ」「幸せはなるのではなくあることに気付く」このさとり、結構いいかもしれません。より本物にしていきたいと思います。ボチボチですけど。またその成果はお伝えいたします。お楽しみに。
Sr.1970 幸せを求めない(6月8日)
「幸せとは幸せを求めないこと」みたいな言葉を知った。特に何も考えず、その日にしなければならないことに追われながら一日を終えて、美味しく遅めの夕飯を頂き一杯飲んで即寝するドクターのこの頃。これって幸せな生き方(状態)かもしれない。
「その日任せで、何も考えなくていいのか」という疑念もあがるが、考えたり悩んだりしたら事態が好転するわけでもないことは、だいたい気付いてきた。とすれば、その日暮らし(その日の流れに従ってたんたんと生きるという意味です)で、あれこれ長く悩む間がないというのは、実は幸せな生き方かもしれない。
「何がしたいの」(私生活で)って時々聞かれるが、特に絶対したいことがあるわけではない。日々を機嫌よく(特に身体の痛みや精神的な落ち込みの継続もない状態のことです。日々日替わりでいろんなトラブル苦情はやってきますけど)生きられていて、もっと幸せな生活(別の生活)がしたいと強く思う訳でもない現状、これってきっと幸せなことですね。ちょっと分かってきたように思います。
まだまだ「何も考えずに生きている日々(特に別の幸せを追い続けていることが無いという意味です)が幸せ」という考え方、完全には自分のモノになってませんが、こう考えるだけで、ちょっと元気が出て来るような気はしてきました。
皆さま、ご一緒に、幸せな生き方探って行きましょう。こんな何気ない日常風景、それを何気なく写真におさめる日々、これって幸せですね。十分に。
Dr.1969 理念と実務と(6月7日)
職場の朝の朝礼で、本日の各自の予定などを共有する所は多いが、我々の目指すべき方向の理念を語る方がいて(ドクターのことではありません)、それが素晴らしいという声を聞いた。日々の仕事は具体的な細目に及ぶことが多いが、それを何のためにやっているのかを押さえておくことは大事だ。
ドクターも時折、我々が目指すべき方向を話すことはあるが、具体的な取組にそれほど絡むことはないというより、それだけの実務能力がないと言った方が良い。
理念も語れるし、実務も出来る人は素晴らしいが、そんなに何人もいるわけではない。こうありたいという理念は持っているし、時に語りもするが、実務と言うのか、実際にやることは、自分にできる範囲のことが多いというのが、ドクターのやり方と言うのか生き方だ。
自分の能力も含めて、何でもできるわけではない。自分のやり方ややれることの特徴は押さえながら、自分にできる最善のやり方をやっていくしかない。
理念と実務、どちらも出来た方が良いし、出来る人もいるけれど、自分は自分のやり方を探るしかない。自分のやり方でやって、回ってくる役割を精一杯やって行く、そんな感じでしょうか。今日も皆さん、元気を忘れず、笑顔で今日やるべきことを精一杯、でも無理し過ぎずやって行きましょう。
☆ドクターが通る裏道にこんな蔓が伸びてました。自分の良さを伸ばして、明るく陽気に行きたいですね。
Dr.1968 難しい高齢期の生き方(6月6日)
昨日は早朝から養護学校のバスに乗せてもらったので、朝のブログタイムが取れず更新無しでご心配おかけしました。毎日何かある、何かの事案が起こる日々が続いてますが、何とか食べて飲んで寝ることは出来てますのでご心配なく。これが食べれなくなったり(逆に食べすぎも心配ですけど)、寝られなくなったりすれば要注意だと思ってますが、そうなってからでは遅いと奥様から言われましたけど。
昨日も何人かの70代80代の人にお会いしましたが、お金の面ややりがいの面や仕事がない面など、それぞれに生きづらさを感じておられるように拝察しました。元気に充実した日々を送っておられる人もあるとは思いますが、そういう方はあんまりドクターのところへはお越しにならず、何か相談がある、何か言うたろうという方ばかりとお会いすることになるのかな。
逆にこういう方々を見ていると、この時期(年代)を機嫌よく生きる秘訣は、何かをやっている(趣味でも、村の役でも)こと、不満を貯めこまないこと、自分の意思を出し過ぎない、笑顔でプラスの言葉を使うこと等かなと学んだりしています。
いずれにしても、今の自分のやりがい、心身の健康に感謝し、自分にできる貢献、やるべきことを精一杯、でも無理し過ぎずやることにしましょう。これ、いつもと同じですね。
☆夜の会議までの間に行ったトレーニングの終わりに見た夕陽。これもいつもと同じですね。いつもと同じ、有難いことです。今日も何とかボチボチ乗り越えましょう。