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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1982 次の頑張り(6月20日)

 昨日に続いて、酒井雄哉和尚の言葉を紹介する。「いま自分がここにいるというのは、それなりの苦労があったからでしょう。みんな、いろんな経験や苦難を経て、いまの場所に立っている。いろんなことを乗り越えながら生きているんだよ」

 「もしかしたら、いまつらくて苦しくてたまらないかもしれないけれど、でも、これまでだって、つらく苦しいことを乗り越えてきたはずでしょう。そういう延長線上にいまの自分がいる。もう辛抱たまらんと思ったら、いままでの人生を自分なりに振り返るといいかもしれない。良かったこととか、いろいろ考えるなかで、ちょっとした弾みで、気分が晴れて、また次の頑張りにつながっていくものだよ」

 まさにこのような考え方で元気を維持しながら、何とか今日一日を先ずは生き抜きたい。生きてると、いいこともしんどいこともあります。へこたれていても始まらないので、先のことはともかく、先ず今日一日を何とか生ききりましょう。生かされて、食べられて、身体が動くことに感謝して、自分が今日やらなければならないこと、やる流れになっていることに自分らしくあたり、できるだけ自分や周りの人に元気を与えることを心掛けながら、一日の終わりを目指しましょう。それで十分頑張ってるし、幸福じゃないでしょうか。自分の幸せに気付いて、感謝して、自分にできることを精一杯やっていきましょう。それしかないと思います。

 ☆電線にとまる鳥たち。良い景色だなと眺めていて、車に行ったら糞が。人生こんなこともあるもんですね。糞は拭きました。それでいいんじゃないでしょうか。

Dr.1981 できることをやる(6月19日)

 いろいろと自分の限界を考えさせられることが続いているが、元気を無くしてばかりでも前へ進めない。自分に出来ることをやっていくしかない。

 そうは分かっていても、なかなか元気が出ない。こんな時は生き方に関する本を読むことがある。今回は酒井和尚の「一日一生」の続編。そこには「すべて長い目で見て、自分を信じてやっていけばいい。よい行いを一生懸命やっていれば、心持ちはのんびり構えていていいんだよ」

「世の中には必ず一人ひとり持ち場がある。自分の人生として、何をすべきか。何か仕事をしていても、その仕事の中で自分の役割は何かを考えて、自分がこれだと思ったことをしていくしかない」

 というような言葉に出会った。昨日会った会合では、95歳の男性のものすごく元気な姿にもお出会いした。こうした言葉や人物を参考に、自分に出来ることを精一杯、出来れば明るく自分らしくやっていくしかない。

 生かされている自分を信頼して、自分の役割とできることを精一杯やって行きたいと思います。皆様も、いろいろあると思いますが、自分にできるプラスのことを、人を元気づけることを、やって行きましょう。

 ☆昨日も色々ありましたが、夕方にはこんな美しい景色を見ることが出来ました。ありがたいことです。生かされている自分、感謝して、自分にできる貢献をやって行きたいと思います。

Dr.1980 どう考えるか(6月18日)

 昨日入った和式トイレで、いつもズボンの後ろポケットに入れている黒色の手帳に、ここでは書くのを憚られるような大変な事態が起こった。

 「何でこんなことになるんや」「何にも悪いことしてないのに」と一瞬思い、「神は何でこんな試練を自分に与えられるのか」って一瞬大そうに考えてしまったが、ようく考えると、「超最悪ではなかった」「他の点では良かったこともあった」と考えられる余裕も出て来た。

 そして、「やっぱり自分って、神に祝福されている」「有難いことだから、自分にできる貢献(人のためになるコト、人を喜ばせること)をしっかりやって行かなければならない」と、いつものように落ち着いて考えられるようになった。

 そして、このように考えられると生き易く、安定して日々を送ることが出来る。自分は恵まれていることに気付く、多少大変なことはあっても、まだまだ恵まれている、有難い人生を生かさせてもらっていることに気付くことが大事だ。

 どこまで、この考え方で行けるかは分からないが、しっかりと幸福感と感謝の気持ちを忘れず、周りの人に元気を与えられるように生きて行きたい。

 ☆昨日見つけた美しい景色。黙って咲いて、自分の(花の)人生を背一杯生きているだけですけど、それに気づいてくれる人も時にはいます。人のためではなく、自分の生、つとめを精一杯やることが、時に他の役に立っています。

Dr.1979 一日一生(6月17日)

 酒井雄哉師匠(かつてに師匠と慕ってます)の「一日一生」と、ドクターの「先ずは今日一日を乗り切る」思想は似ていても違うものだと思うけど、今日を生きるという点では似てるところもあるのかな。

 酒井師匠の「一日一生」にはこんなことが書かれている「一日一生、今日のことは今日でおしまい。明日はまた新しい自分になって、新しい感覚で進んでいけばいいんだ」

 ドクターの「一日を生きる」の考え方は、先のことまで考えると心配がどんどん膨らんで行くし、何日か先の心配で心が滅入るのもよろしくないので、先のことは考えないで、今日一日の楽しさや今日一日を過ごして晩飯と一杯を楽しみに何とか今日を生きる、その積み重ねで、一日一日を重ねて生きて行くというものです。

 ドクターのは生きる処世術で、その場しのぎ対応で、褒められたものではないけれど、大事なのは自他の命で、それを守るために何とか見つけ出した考え方だ。命を大事にだが、人は何時までも生きられるわけではない。やがてやってくるその日まで、自分にも周りにも元気を届けたい、そのためには先ずは今日一日を機嫌よくと思っているわけです。皆様も今日一日をお元気で、出来れば自分にも人にも優しい言葉をかけてあげてください。まあ、ぼちぼち行きましょう。

Dr.1978 SAP見てます(6月16日)

 昨日会った人から「SAP見てます」という言葉をかけられた。一瞬何のことか分からなかったけれど、ようく考えればSAPささやま冒険教育のドクターブログのことではないかと言うことが分かった。

 こんな長くやっているのだけが取り柄のドクターブログを見ていただけるのは有難いことだ。このブログで自分にも言っていることは、ままならぬ(思い通りには行かない)人生だけれど、自分の、やるべきこと、やる流れになったこと、やる羽目になったことを、精一杯(自分にできる範囲でと言う意味です)たんたんとやって、先ずは一日無事に努めて、夜の晩酌でほっとする(お酒が飲めるうちはですけど)、それの繰り返しで、いつか終わるまで歩み続ける、それしかないしそれで十分ではないかということだ。

 上の文章、ホントにそう思ってますけど、このブログ書く前に読んだ、酒井雄哉住職の「一日一生」の影響結構入ってます。

 そしてこの頃の気付きは、「こんな一日が送れる自分の人生、既に十分幸せである」ことに気付き、感謝し、何か別の幸せを無理に求めるのではなく、感謝から出て来る、自分に出来ることをやっていく(貢献する)ということです。

今回声をかけてくれた人も他の読者の方も、ご一緒にいろいろある人生を、できれば陽気に、人にも自分にもやさしい言葉をかけながら、笑顔で歩んで行きましょう。ボチボチで良いと思います。

 ☆前に読んだような気もするけど、また買ってしまいました。いろんな本やいろんな人の生きざま、参考にしながら自分に合った人生機嫌よく歩いて行きましょう。もうすでに幸せです。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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