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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1371 みんな大変(9月8日)

 いろんな人と話をすることがあるが、少しつっこんで聞いてみると皆さんいろいろな悩みを抱えて大変そうだ。人間関係に関するものが多い。それもどちらか一方が100%悪いということではなく、相性によると思われることも多い。

 どんなに良い人でも相性の合わない人はおり、どんなにある面に優れている人でも苦手な分野がある。皆さん、私に問題を解決してくれと言われてるわけではなく、話や報告を聞くだけだ。

 そもそも自分に人様の長い間や深く悩まれていることを直ぐに解決する力量などなく、自分の気持ちを元気に維持するのに四苦八苦している身だ。それでも、立場上や気の合う人は相談してこられる。

 こちらは、「大変ですねー」と聞かせてもらうだけだが、自分の中には、「みんな大変なんだなー。大変なのは自分だけでないんだ」というある種の連帯感を感じる。

 みんな大変だけど、そこを何やかやとやりくりしながら、しのいでいる。その点、深くや長くは話さないで、軽いトークや挨拶だけで行き交う人との接触はお気楽で気持ちがいいが、軽い挨拶の交換も深いコミュニケーションもどちらも大事と思われる。

 何でも物事は軽重、良し悪し、深い浅い、表裏等両面あって、一生のうちには両面がやってくる。一日中、一年中、一生、表ばかり、吉ばかりということはない。しんどい部分や暗い部分を乗り越えながら、明るい部分や楽しい部分を味わうのを楽しみに、元気の源に歩んで行きましょう。

 さて、今日はどっちの面が多くあらわれるのでしょう。出来れば表や吉がいいけど、そればっかだと後が怖いような気もするし。まあ、ほどほど、ボチボチ行きましょうと言うことでしょうか。

 ☆ウチの奥様がこの頃集めてきた、家のあちこちにあった処分品。この子たちにも光が当たっていた頃はあっただろうけど。

Dr.1370 定年うつ(9月7日)

 定年後にうつになる人や、老人性うつになる人の話を聞く。定年までは仕事や子育て等でがむしゃらにやってきた人が定年後に元気を無くしたり、定年後は何とか元気にやって来た人が60代70代のある日急に元気や意欲が無くなることがあるらしい。

 気持ちはよくわかる。ドクターとしても紙一重(は少し言い過ぎで紙二重ぐらいか)な感じはある。無二の親友も無くなり、今は何とかやるべきことがあるので、寂しさを長く感じてる暇がないのが救いのような感じで、これがやる事が無くなったら、心の張りも無くなるのではないかと心配だ。

 どうしたら最後まで元気に陽気に暮らせるかには非常に関心があり、関係の本なども読んでいるが、結局は自分の答えを見つけなければならい。

 日常的には何度も言うように「流れを信頼し、流れに任せて安心して生きる」が生き方の指針になっているし、大体の日はこの考えで元気に過ごせているが、一昨日の夜のように時々隙をついて虚しさが押し寄せる。

 この時々が、もっと頻繁になったり、悩みが深くなるのを心配している。身体を動かし、やるべきことを見つけて、続けていくことが大事だと思うが、問題は何がやるべきことかだ。

 いろいろ考えるが、なかなか思い当たらない。結局はその時の流れでやるべきことが決まってきたような人生経験を持っているので、これからもやるべきことがやってくるようにも思うが、もしやってこなかったらと不安もあったりする。また弱気癖が頭をよぎる。陽気で元気だったり、弱気で落ち込んだり、バタバタ忙しい。結局バタバタ人生、実際の行動だけでなく、精神的にもバタバタだ。

 ☆玄関先で人知れず咲く、小さなバラ。愛おしい。バタバタ人生だからこそ、静かで凛と落ち着いた花に惹かれるのだろうか。

Dr.1369 眠れない時間(9月6日)

 このところ深夜に1~2時間眠れない時間が出来てしまった。夕食後の一杯で即寝するので、直ぐには眠りに入れるが、4時間ほどでオシッコのため目が覚める。通常ならその後またすぐに朝まで寝つけていたが、このところ再び眠りが来るまで、布団の上で目を閉じている時間がやって来ている。

 寝たか寝てないか分からないもんもんとした時に、夢かホントに過去にあったことか分からないようなことが頭の中を行ったり来たりする。特に昨夜はそれがきつくって、今となっては確かには思い出せないが、過去に自分が子どもたちのためにやっていたことが、実は彼らのためになっていなかったというようなシーンが去来したような気がする。

 実は以前にも悪夢というのか、悪い印象の夢をずっと見ていたのだが、これまでは直ぐまた寝てしまうので夢が思い出せないままになっていた(スッキリ目覚め、頭もスッキリ)のではないかという疑念まで出て来た。

 悪い夢を見てても思い出せないのなら良しとしなければならないが、最近のようなこと、特に昨晩のようなことが続くと弱ってしまう。何とかしたいが、どうしたら良いのかも分からない。なんせ、寝ている間のことなので意志の働かせようもない。

 となるとここはやはり、流れに任せるしかないか。何事も流れ任せでは主体性がないようにも思うが、ここは原点に立ち戻って、主体的に流れを尊重する人生を選んだんだということを忘れないようにして、この夜の悩みの解消も流れを信頼して任せるようにしたい。

 ☆台風近付いているというけど快晴の空。汚れは窓を拭いてないからです。台風時でも晴れ、晴の予報でも雨の時があります。ここは科学だけでは解明できない流れの大きさを感じます。

Dr.1368 何も考えない日(9月5日)

 朝から稲刈りに専念した。5時台からコンバインを異動させて、田んぼが離れているのでコンバインで田んぼまで40分ほどかかる。田んぼにコンバインを置いて、走って(他人からは歩いて)帰宅して、朝食をとって、9時くらいから妹に手伝ってもらって臼摺(うすすり 乾燥したもみ殻をこいて中のお米を取り出す)をして、終わってから11時頃から稲刈り。

 家から離れた田んぼの稲刈りが終わると、また40分ほどかけて家の近くの圃場で稲刈り、4時頃に終わると、朝の臼摺で出たもみ殻を稲刈りの済んだ田んぼに撒く作業を終えて、すべて終わって夕食が6時頃で、一杯飲んで寝たのが19時30分頃。

 このように、あっという間の農作業時間で、ほとんど農作業以外のことは何も考えられなかった(もちろん、緊急用の連絡は確認してますけど)。あれこれ悩まないから、これもいいのかもしれないが、あっという間の時間で、これで人生が終わるのも、良いような寂しいような。

 そんなら、毎日あれこれ考え悩むのがいいのかというと、それはそれでしんどい。上機嫌に毎日を生きるのを信条とするドクターとしては、ドタバタのうちにも人生の過ごし方については考えました。今回のテーマは、何も考えないで一日過ごす方がいいのか、考え悩む過ごし方がいいのか、まあ結局は流れに任せて、何も考えない日もあれば、あれこれ考える日もあるということで行くしかないと思ってます。

 そんなわけで、今日も流れに任せて、やるべきことを、ベストというのか自分らしく取り組んで行きます。

 ☆自然は何も考えないで悠然とそこにあるような気がします。参考にして生き方今日も考えます。これ意外と好きかもです。

Dr.1367 生きる考え方(哲学)

 哲学と言うほど精緻なものではないけど、人生についてどう考えるか考えて見た。

 人生の目指すところは人生が終わるまでの期間を機嫌よく上機嫌に生きる、幸せに生きること。自分が機嫌よく幸せを感じるためには、人や世間に喜んでもらえることをすることが大事。

 ということで、自他を喜ばせるように生きる。何をして生きるかについては、ドクターが言うところの「流れ」(世間ではご縁・運・神命・仏の教え・サムシンググレイト・大きな意志等といろいろに言われる)に従って、導かれるところで、その時自分が出せる最良の力(無理するのや歯を食いしばってとはちょっと違って、自然体で自分の持ち味を活かして)でやっていく。

 これまで自分を生かせしめてきた大きな意志を信頼して、今までのように(改良する所は当然あって良いけど)自分らしく生きる。こんな感じでしょうか。

 迷いが生じてきた時には、最悪の想定を思い出し、今がそれでなければ良しとしなければならないと感謝して受け入れていく。

 まあみなさん、今日もしなければならないこと、する羽目になったことを、喜びを見出しながら勤めて行きましょう。もちろん笑顔で。

 ☆昨日のしなければならないことの一つ目、ダムの水量を図る写真撮影。笑顔でしょうか。カメラが悪くってよく見えませんが、だいたいですね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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