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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1376 陰徳(9月14日)

 いいことをする時は黙って隠れてやる方が良いと思っている。なのに今回は反対のようなことを話しますけど。昨日、あしなが育英会から残暑見舞いのハガキが届いていた。高校2年生の奨学生が直筆で、お礼と今の頑張りを書いていた。自分が「あしながおじさん」になっていたとは知らなかった(正確には覚えていなかった)。

 いくらか募金をしたようなしていないような記憶しかない。だから(もし本当に自分が善行をしていたとしても)これは陰徳と言うよりも、物忘れ徳だ。

 自分が過去にやったいいことも悪いことも結構忘れて来ている。物忘れが進んでいるのは心配だが、今回のように自分のやったいいことも忘れているというのは、陰徳にもつながって少しは良い面と言えるかも。

 数は少なくても、自分がやったいいことをずっと得意げに覚えているというのはあまりよろしくないと思う。自慢げにつながるからだ。

 それよりかは、きれいさっぱり忘れて、またまっさらな気持ちで、周囲の人に少しでも良いことが出来ればと思う。これと同じく、嫌な出来事も忘れさせてもらえればありがたいのだが、こちらはなかなか思うようには忘れさせてもらえない。

 簡単に忘れないで、同じ過ちを繰り返さないためにも必要なのかもしれない。それも分かるけど、こちらも、永久と言うよりは、だんだんと薄くしてもらえればありがたいのだけれど。そうは問屋が卸さないか。こんな虫のいいことを願うのは今回が初めてのような気がするが、もしかしたら前にもあって、こちらが忘れているだけかもしれない。忘却力、なかなかがんばってます。

 ☆あしなが育英会から届いた残暑見舞い礼状。この裏に直筆のメッセージが。こんな葉書を頂けるなんてありがたいことです。

Dr.1375 やることがない(9月13日)

 以前一緒にお勤めさせて頂いた先輩にお会いしたら、「やることがない」と愚痴られていた。71歳まで働かれた後(60歳で定年後、別の仕事で11年)、1~2年前にその仕事もやめられた。地元の方だが、農作業はされていない。

 これこそ、定年後というのか仕事完全リタイア後の生き方の問題実例だ。誰にもいつかはやってくる。この時、趣味だの百姓仕事だのがあればいいが、それとて誰にも、いつまでもあるわけでhない。その頃の過ごし方について書いた本も幾つもあるが、作者は書くことをはじめ現役の仕事がある方が多く参考になりにくい所もある。

 本当に完全引退後の充実した生き方についての答えが欲しい。自分で見つけるしかないのは分かっているが、本当のところはなってみないと分からないだろうが、なって見てからでは遅いと分かっても手遅れになるのが心配だ。

 心配しても仕方ない、なるようにしかならないというのも分かるが、それでも正直なところは心配だ。それでいろいろ模索している所に、「やることがない」と嘆く(それほど深刻そうでなかったのが救いか)先輩にお会いしたという訳だ。

 いろんな方の生き方を参考に、少しでもましな充実老後の生き方を探りたい。そんなことを真剣に探して生きられるのは間違いなく幸せな人生だ。それを忘れないように、感謝と貢献を軸に、ぼつぼつ探っていきます。

 ☆お堀に映る飛行機の跡。市役所裏の紅白の花。忙中に美しさに気付く。バタバタ人生の生き方、少しは進歩したかも。こんな感じで完全リタイア後の生活も進化したいですね。

 

Dr.1374 バタバタ人生no.7

 ドクター人生がバタバタであることについては何度も書いている。昨日も朝から村の出役で猪柵の点検行ったり、臼すりしたり、稲刈りしたり、籾を田んぼに捨てに行ったり、なんやかやとしているうちに、外は真っ黒になっていた。

 晩方、シャワーで汗を流して一杯飲んでコロリで一日が終わった。ほとんど目の前のことと、次やる事だけに集中し、勿論緊急連絡にも気を配りながらですけど、あっという間に一日が終わった。こんな感じで最後まで行ったら、忙しいけど、どう生きるか等について悩まなくても良いことは良い。

 やる事何もないよりはバタバタ人生の方が良いような気もするが、やる事があるのと時々ゆとりがあるのとバランスが良いのが一番いいが、人生そう都合のいいようには行かないから。

 昨日ふと、バタバタ臼すりしている間に、作業小屋から見える山景色の中に落ち葉が群れ飛ぶのを見た。こんな感じも良いなと思いながらひと時を過ごした。これってヒントになるかもしれない。バタバタの中にも、ふと時間の止まった美しい瞬間を感じる。こんな感じを少しでも多く持てるように行きましょうか。

 ☆バタバタの中にも月をめでる。ちょっとは人生達人近づけたでしょうか。まだまだ本物ではないと自分で思います。皆さん、自分の人生のいい過ごし方、深めて行きましょう。

Dr.1373 才能(9月10日)

 久しぶりに美術館の展示を見た。その特別展はガラス作品の芸術性と実用性を兼ね備えた、フランスの作家の展示会だった。その作品の瓶や装飾品を見て、ホントに美しく、とても誰にもできるものではなかった。

 世の中にはこの作家だけでなく、素晴らしい作品を作れる才能を持った人はたくさんおられる。しかし、その多くは努力だけでは成しえないものがあるのではないかと思った。

 何も芸術家の才能だけが素晴らしいのではなく、スポーツにおける才能や科学における才能、文学における才能などいくつも才能の分野はあると思う。また、才能のない人がダメなわけではなく、ないならないなりに生きればいいだけのことだ。

 さらに才能の程度もいろいろある。とすれば、誰でもどの分野かにいくばくかの才能と言うのか適性を有していると思う。できれば、自分の才能なり適性を活かせるジャンルで生きて行ければとは思う。

 自分がどの分野にそこそこの才能を持っているのか、長く生きていると少しは分かってくる。なかなか思い通りには行かないが、できれば自分の得意分野を見つけてそれが生かせればと思う。今回の作者のような圧倒的な才能はないにしても。

 ☆なかなか誰にでもできるものではないガラス工芸作品。ドクターの適性はどの分野にあるのだろうか。

Dr.1372 きょうよう(9月9日)

 高齢者の方の文集を読んでいると「教養と教育はないけど、今日用と今日行く(ところ)はあるから今が幸せ」みたいなことが書いてあった。皆さんご承知だと思うが、「教育と今日行く(ところがある)」「教養と今日用(がある)」は、高齢者が元気に過ごすのに必要なものを掛け言葉で表したもの。駄洒落だが、結構本質を示している。

 ドクターもこの言葉は知っているが、これまではどちらかというと「今日用があるコトや行くところがあることも大事だが、本物の教養や教育があると、同じ所へ行ったとしても、興味関心が増して楽しみが増すから、教養と教育は大事ということを忘れないようにしたい」みたいなことを言ったり考えたりしていた。

 しかし、今回の投稿を見て、教育・教養よりも、「今日行く」「今日用」の方が数倍大事だという意見があるコトを知った。やはり、定年退職者や高齢者にとって、行くところ、用事があるということが大事だということだ。

 問題は大事だとしても、そう簡単に行き場所や用事が見つからない人もいるというところだ。割と簡単に見つかる人もあれば、人付き合いなどが苦手で、行き場所や用事を見つけられない人は多いと思う。本人のせいだ、本人が頑張るしかないと言われるかもしれないが、がんばればなんとかできる問題ばかりではない。

 そこで、何かヒントになることはないかと考えている。「比較的うまくやっておられる周りの人を真似る」というのが一つのヒントだが、こんなん参考になりますか。ドクターの周りで、行き場所や用事があって元気な人は、農業や村役をやっている人だけど、他にはないの知らん。これは、自分が農業や村役が嫌と言うことではありませんよ、念のため。これからもヒントを見つけて行きたい。

 ☆やる事があるうちに、やる事が無くなった時どうするかのヒントを探したいドクター。また流れでやってきますよ、だけではすまんでしょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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