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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1223 何もない日(3月20日)

 予定していた研修会が中止になったので、一日農作業や家での作業などで過ごした。その間、話したのは電話で水利組合の会計の人と話したのと、トラクターで通りかかった村の人と農作業の話をしたのと、妹の家にお米を届けて時に母親のことを話したぐらいだ。

 そのほかは連絡もないし予定もない。全ての用務を退職して農作業だけになったら、大方の日がこのような「何もない日」が続くことになる。気楽と言えば気楽だが、こういう何もない日・時間を機嫌よく過ごすには工夫がいる。

 齢がいってからも溌剌と生活されている人のことが、時折報道されるが、そういう人は趣味なり仕事鳴り必ず打ち込むものを持っておられるように思う。流れ派としては、そういう打ち込むものも流れでやってくると思いたいが、今のところはドクターのところへは流れてこないというのか定着していない。

 いろいろ模索した時期もあったが、これからもどうなることだろう。不安はあるけど、模索も含めて今後の展開はやはり流れに任せることにしよう。流れ道を究めることも何もない日を過ごす一策になったりして。希望ですけど。

 ☆この前立ち寄った陶芸美術館。こういう打ち込むものを持っておられる人もいる。

 

Dr.1222 変化の季節(3月19日)

 年度替わりの4月が近づいて来て、人の異動の話がチラホラ聞こえてきて、新しいチャレンジをする人もいるようで、自分のことではないけど心がソワソワする。

 役職や役割の変化は無くても、2年目3年目とその立場の経験年数は変わり、その年数での1年は初めてということであり、新たな経験年数の4月が始まるのはホントに勤務場所が変わる人と同じ面もあるのかなとも思う。

 前に何度か書いたが(正確には書いたかどうかそんなに覚えていないが)、ドクターにとって一番大きな変化は4年前の校長を辞めた時だ。辞めて1~2週間、長くて1~2か月ほどはホントに解放感があった。でもそれも次第に慣れ、解放感は無くなり、退屈感が増えてきた。

 どうも自分には何かの役があって、バタバタしているのが合っているらしい。しかしまあこれもあまり度が過ぎると、しんどくなって休みたくなる。勝手なものだが、そんな勝手な思いが出て来るだろうということも織り込み済み。何せ自分の性格とは長く付き合ってきたもので。

 ちょっと褒められると調子に乗って図に乗ってやりすぎたり、それをとがめられると落ち込んで意気消沈したり、そんなアップダウンに疲れて、この頃では「流れ哲学」を自他に説き、結構自分には効果があって、少しは波(特に落ち込みの波)を少なくできているかなとこれまた直ぐに自慢げに言う。

 そんなことで、この変化の季節も流れに任せて漂って生きます。これって決して無気力・無関心ってことじゃありませんよ。心が沈みやすい者が精一杯生きて行くための術です。こんな説明(いい訳?)をしないではいられない所がまだまだ弱いですけど。でもそんな弱い自分にも慣れてきて、傲慢よりはいいと思って、自分に対する愛情はしっかりあると思います。

 皆さん、この4月どんな変化がやってくるか分かりませんけど、自分と家族を大事にする気持ちはしっかり持って進んで行きましょう。

 ☆何とか生きてると面白い人たちとも出会える面白い時間にも立ち会えます。昨日のまるいのTV出演者・スタッフと。

Dr.1221 理屈通りでなくていい(3月18日)

 「人のために生きる」「誰とでも仲良くする」…理想とする生き方はいくつかあって、それはその通りで、出来ればそうした方が良いのは言われなくても分かりきったことだ。

 でもそれより大事と言うのか、それら理想の生き方をするためにも、まずは自分が生きていなければならないし、できれば元気で生きいたい。

 そのために支障が出るようなら、理想を曲げても良いし、また元気になった時に再開しても良い。例えば、自分が否定されたり、その人と合っていると元気を無くすような場合には、その人と距離をとるというのもありだと思う。

 自分も未完成で弱い存在なので、そこをえぐられたり、そこばかりを執拗に理屈っぽく攻めてくる人がいる。そういう人とも無理してでも話し合え、対立の後にはより深い信頼関係ができるという人がいるが、その人は強い人であったり、たまたま上手く行った経験があるだけだ。そんなにいつもうまく行くわけではないし、しんどい時には逃げても良いと思う。

 ここもやはり大事なのは流れ様にお任せするのがよい。理想道理でなくても自分が無理なく楽に生きられる道を選んでもいいし、流れで合わない人とも時々は会わされることもあるだろうが、それはその時の自分に必要なことなのだろう。でも心配しないでも、絶えられないような出会いがずっと続くことはなく、修行が済んだらまた機嫌よく生きられる時間が与えられる。ドクターはそのように流れを信頼してるし、それで生きて行けている。流れ様これからもよろしくお願いします。と同時に生きるのがしんどい人にこの流れに任せた柔軟な生き方をお勧めします。

 ☆今朝ふと目に入った庭の梅。時々はホッと一息つきましょう。

 

Dr.1220 大切なこと(3月17日)

 皆さんお元気ですか。いろいろあると思いますが、相手を変えようとしても難しく、いろんな環境(状況)は向こうからやってきますので受け入れるしかないのが私達です。とすれば、一番大事なことは、生き続けることだと思います。

 流れでやってくる状況によって気持ちは一喜一憂しますが、一喜一憂の「一喜」は良いとしても、「一憂」の時にめげてしまわずに生き続けましょう。生きてさえいれば、また置かれた環境の変化で「一喜」も味わえる日もやってきます。

 「一憂」の時にも折れてしまわない心の持ち方・心の納め方を研究しておきましょう。何でもいいけど自分に会った方法・考え方で生が続きますように心を整えましょう。私の場合はそれが「流れ」を信頼して生きるということに今は辿り着いていて、まだまだ完成はしてませんが結構良い感じでドクターの根本となっているような気がしています。

 周りにはいろんな人がいて、論理の立つ人や、威勢のいいこと言う人も一杯いますが、そんな論理・理屈で納得できる人はそれで良いと思いますが、そんなんでは心が休まらない人は言葉で戦わず、自分が安らかに生きられる考え方・生き方を大事にしましょう。ともかく大事なことは、自分の心が落ち着く考え方で、心穏やかに機嫌よく生き続けることです。まあ皆さん、今日もボチボチ行きましょう。

 ☆この日も何とか1日を終えて教え子と一緒にトレーニングをしての帰りの駐車場。生きてるといいことやいい気分の時も時々やってきます。それを信じてボチボチ生きます。

Dr.1219 本性(3月16日)

 母がデイケア行ってきて「楽しかった、楽しかった」と言っている。「良かったやんか」と言うと、「なんにもせえへんのに(特に仕事もしていないのにという意味)、遊ばしてもらってもったいない」という。

 「元気でいてくれるのが一番うれしいから、仕事(畑や庭掃除など自分にできる労働のこと)なんか気にせんでいい」と言っても気になるらしい。

 今朝もサンドイッチ持っていったら、「何にもしてないのにこんなもの買ってもらったらもったいない。トースト焼くからもう買わなくていい」という。サンドイッチが高く贅沢品と思っているようだ。

 「そんなことは気にしなくていい」と何度言っても変わらない。これが人間の本性というやつだろうか。贅沢はしない、節約節約で暮らしてきて、身に沁みついているのだろう。可哀そうと言うより、ここまで来て(86歳)本性がそう簡単には変わらないと思うので、母の思いを否定するのではなく、思いを尊重しながら快適に生きてほしいと願う。

 母だけでなく、誰でも80歳代まで行かなくても、年取るとなかなか本性は変わりにくい。本性は大事にしながら、それを活かす環境に自分を置きたい。環境によって変わる部分も多少はあると思うので、かたくなに本性は変えないとこだわるのでもなく、自然体で変われるところは変えて、変わらないものは変わらないものとして、流れに任せながら自分の本性にあった生き方をしていきましょう。

 ☆以前撮った、元生徒とのツーショット。現役の頃も今もドクター本性は変わらない。母のことはとやかく言えないか。

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