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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1228 決断(3月26日)

 決断と言うと大きな表現だが、実際大きい場合もあるしどんなものでも決定しなければならないことがある。自分のことならどうなっても受け入れていく準備は出来ているが、多くの人に影響のある決断をしなければならないというのは、本当に厳しいことだ。

 関係者から話を聞いたり情報を集めた上での決断が大事だと思うが、立場の違う人の話を聞いてしまうと、そのどちらの思いも分かるだけに決断が鈍る。決断の会議で出席者の意見を聞いても迷いがある場合はさらに難しい、決めかねていると決断力・リーダーシップがないと言われるし、決めたら決めたで又迷いが出て来る。どちらに決めてもプラスマイナス両方ある場合がほとんどだ。グズグズ決められないのが一番よくないと思い切って決断した後もやはり迷いは尽きない。

 なかなか簡単ではないけど、決めた上はよりそのことが効果を発揮するよう出来ることを精一杯やって行くだけだと思うが、こんな悩み屋は決断役にはむいてないのかもしれない。悩みは尽きない。

 ☆うちの庭の枯れかかった老梅。老梅なりに花をつけている。ドクターも見習って自分にできる花をつけたい。

Dr.1227 子どもから教わる(3月24日)

 小学校の卒業式へ行って、子どもたちの卒業の言葉から大事なものを教わった。何かを学んだり挑戦したりする元気な自分もいいけど、上手く行かなかったり恥をかいたりする情けない自分も大事にしたいみたいなことを言っていた。両方とも自分で、自分を大事にするとは弱い自分も含めて自分を愛するということで、自分を大事にできる人は他人も大事にできると言っていた。

 もとになる考えは誰かから教わったモノだったり、先生の指導もあったのかもしれないけど、6年生の12歳が、この意味を理解して堂々と贈る言葉として語っていた。

 やっぱ子供ってすごい。そういえばドクターが先生になったのは、子どもを教えるというより自分が子どもから学ぶためだった。しっかり学んで自分のものにして又発信して誰かの役に立てれば嬉しい。原点を思い出させてくれた小学校卒業式だった。

 ☆卒業式の小学校の廊下に飾られたメッセージ。子どもからでも誰からでも学んで生きやすいコツをつかんでメッセージを発信していきたい。人のために時間を使うのが豊かな時間の使い方、これも子どもたちが言っていた。やっぱすごいですね、子どもって。

Dr.1226 一番大切なもの(3月23日)

 ある方が最近のウクライナ情勢見てて、もし子供が街が爆撃されて家から追い出されたら、今の子どもたちは自然の中で生きて行く力があるのかが心配だとおっしゃった。井戸水を組んで飲んだりほ風呂を沸かしたり、木切れを集めて火を起こして調理するなどできるのか、昔(戦中・戦後すぐ)ならそういうことはどこの家でもやっていたのだが、と言われる。

 非常時に対する訓練も大事だが、ここで今一度思い起こされたのが、子どもも含めて一番大事なものは「命」であるということだ。機嫌よく生きる、力を伸ばす、自己実現する、そうしたことも大事だが、その元になるのは生きているということ、命があるということだ。

 命さへ続いていたら、失意や逆境があってもやり直すことが出来る。一番大事な自分の命、周りの人や全ての人の命、これを大切に守るということの大切さ、そして今日も命あるコトの有難さ、そうしたことに気付いて命を大事に生活や仕事をしていこうと改めて思いました。

 ☆提灯の灯りに照らされたお城周辺。戦争や事故で電気がないところもある、当たり前の有難さを大事にしていきたい。

Dr.1225 内にも外にも対処(3月22日)

 毎日を機嫌よく過ごすために内なる心を整える。これちょっと進捗があって、元気で日常が送れることへの感謝をキーに結構心穏やかに過ごせていた、途中までは。

 ところが、午後の後半になって外から(自分以外の方から)不安要素を知らされて、心配になってきた。生きて仕事をしている以上、それにまつわる課題に対処しなければならないのは当然だ。

 つまりは内部(自分の心のありよう)にだけフォーカスして、どう落ち着かせるかだけでは不十分だということだ。自分の外からやってくる難問・諸課題にも対応できるようにも心を配っておかなければならないということ。

 内と外への対処、どちらも難しく、しかも両方しておかなければ心の平穏は保てない。内側への対処は目途が立ってきたように思ったが、外への対処も研究しなければならない。目途が立ったと思っている内への対処にしてもまだまだ改善の余地はある。

 かくして、心穏やかに絶好調に生きるには、まだまだ修行や工夫がいるということです。皆さんとご一緒に取り組んで行きたいと思います。

 ☆ウチの作業小屋近くに咲く紅白梅。この域に達するにはまだまだ修行がいるが、修行自体を楽しみたい。不埒な考えですね。

Dr.1224 感謝を続けられるか(3月21日)

 日常生活を自力で続けられることの有難さは頭(理屈)では理解できるし、本やニュースでホスピス医などの方が、人生の最後に自宅に戻って家族と過ごせる患者さんや高齢者の方がどれだけ感謝と喜びを口にされているか等を語られているのを知ると、心から今自分が元気で過ごさせてもらっていることへの感謝の気持ちは現れる。

 しかし、そういう時が過ぎて、元気だけど殊更心躍らない日や時間を過ごしていると、何も痛みがないことや行動制限がないことへの湧き出るような感謝の心は日常的には出てこない。溢れる感謝の心があれば、日常生活が送れるだけで幸福感や充実感は半端なく出て来ると思われるのだが。だからといって、早くそうした厳しい状況になって、湧き出る幸福感を感じたいと待ち望んでいる訳ではない。

 とすれば、毎日を幸福感をもって生きるには、日々刻刻折に触れ何事もなく日常が遅れていることの有難さを、自分が辛かった時やそういう生活を送りたくても送れない(送れなかった)友人知人の無念さを思い起こして、特に何が無くても平穏な時間を過ごせていることへの感謝、その平穏な時間に少しでも好いことがあろうものなら、そのことが如何に有難いことかを思い知るようにしたい。そのためには、毎朝もしくは時間を見つけて、瞑想というのか自分の恵まれていることへの感謝を述懐する時をもつようにするのが良いのではないか。

 そして、自分の恵まれていることを認識した上での恩返しというのか、自分にできる貢献を精一杯やって行くようにしたい。そんなことを今朝考えましたが、これはまだ自分の習慣にはなっていないので、人様には偉そうに言えたものではないのですけど。

 ☆昨日は村用の後、水利委員として山裾にあるため池を点検しました。今日の思索などから考えれば、このことはものすごく恵まれたことなのだが、正直この時はそんな感謝の気持ちは忘れてました。これから精進していきます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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