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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1106 残っているもの(11月13日)

 年齢と共に失ったものは多い。若さ、体力、記憶力、髪の毛、友人、可能性、肌の艶・・・

 反対にまだ残っているものや増えたものもある。日常生活を送る力、視力(メガネ付き)、聴力(高い音はダメ)、家族、責任、着なくなった服、要らなくなったモノ・・・

 一般的な人生訓としては、「無くしたモノを数えるより、残されたものに感謝して生きよ」ということになる。

 ドクター流なら、「冷静に両方を見て両者を受け入れ、淡々と終わりまで残ったものを使って行くだけ」ということになる。

 人生で出会う事故や災害、人生行路も含めて、人力では如何ともしがたい部分も大きいので、一喜一憂せず、腐らず奢らず、喜んだり落ち込んだりはするものの、自分らしく出来るだけ周りの人や社会に役立つことをすることを意識しながら生きて行くしかない。自分に出来ることしかできないし、置かれた場所で咲くしかない。大きな花は咲かんかもしれんけど。

 ☆更衣室のロッカーに入れた腕時計が落ちた時、咄嗟に足が動いて時計を足の甲にあてて衝撃を和らげた。こんな反射神経はまだ残っている。どんだけ役に立つか知らんけど。

 ☆寒さ避けのため玄関に入れられた植物。こんなとこでも咲いてました。見る人は少ないかも知らんけど。

Dr.1105 人生四苦八苦(11月12日)

 作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが亡くなった。瀬戸内さんの言葉に「人生は四苦八苦でいろいろ苦しいことも多いけど、生きるに値する」みたいなことがある。

 「人生四苦八苦」は釈迦の教えだと思うが、人生は苦しく思うようにならなくても生きて行かなければならない。これでは救いがないように思うが、これが真実だとすると諦めがつく。変な期待をしないで、苦しく不安が多くてもそれを前提として、そういうものだよ人生はと日々を生きて行く。すると時々思いがけぬ嬉しい時間を過ごせる、今回の東京行きのように。

 でも帰って日常が始まると、しんどいことや嫌な話を聞かされることが続く。それでもお陰で何とか一日が終わって次の日を迎えることが出来た。そしてまた何とか今日一日を終えて晩酌の時を迎えるのを励みに時を過ごす。

 生産性がないようにも聞こえるが、出来る範囲で笑顔を忘れないように、周りの人の役に立つようなことを出来る時にできるだけすることを心掛けながら、精一杯生きる。これしかできないし、これでいいんじゃないでしょうか。

 寂聴さんに問いかける。

 ☆バタバタの日常の合間に見つけた紅葉。奇麗とは思ったが、その後またいろいろあって、写真データ見るまで忘れてました。まあ何とか今日も頑張らずに頑張りましょう。

Dr.1104 外から見れば(11月11日)

久しぶりの出張で新幹線で東京へ行ってきた。普段の日常生活を送っている空間・時間を外れると、中にいては見失っていたようなことに気付くことが出来る。

 例えば、都会では通勤時は人が一杯でマスクは全員つけているものの、コロナ以前の生活が戻っているように見えること。

 都会は人や建物が一杯で、丹波篠山のような美しい田園風景がないということ。丹波篠山の生活が良いように思うのは自分が齢をとったせいもあるかも。

 いろんな市町の教育長に出会って、みんな同じような悩みを抱えていることも分かった。分かったからと言って課題が解決するわけではないが、自分だけ自分の市だけでないと思うと少しは気が楽になる。

 外にいれば、中のことは気になっても物理的には何もできないので、無の時間を持つことが出来た。こんな貴重な時間を与えてくださった、関係者の皆様に感謝申し上げます。これを力にも少しがんばって(頑張り過ぎない範囲ですけど)行きます。

 ☆出張で見た風景と親切な駅員さんが撮ってくださった写真。いろいろなところでいろいろな皆さんのお世話になりました。ありがとうございました。

Dr.1103 どこも大変(11月8日)

 経済的な理由や生きがいなどのために働いていると大変なことに出会うことがある。というよりしょっちゅう大変状態である。

 定年後働かないで悠々自適が良いかと言うと、それはそれで大変だ(体験談より)。こんな時、他所の畑が良く見えてくる。隣の芝生が青く見えてくる。あんな風に、あんなところで働けたらと思いがちだが、実際にはあちらはあちらで大変でこちらをうらやんだりしている。

 この間、高校の事務室や病院の事務室で働いている友人に出会ったが、それぞれ大変そうだった。面倒な人がいたり、夜遅くまで働いたり(夜10時の時もあるとか言ってました)。もっと気楽に働いていると思っていた。

 どこで働いても、また働かなくても大変さがあるコトが分かった。これはひょっとすると人生そのものが死ぬまで大変なのかもしれない。こう考えると生きる元気がなくなりそうだが、だからといって生きるのをやめるのも違うし、生きてると時々は生きてて良かったと思えることに出会うことはある。

 どこに生きても大変さがあるコトを知ることが自分の大変さを減らすことになるかどうかは知らないが、ともかく生を与えられてる間は自分らしく生きるのが良いしそれしかない。というわけで今日もボチボチ自分らしく行きますか(これいつもと同じですけど)。

 ともかく流れで自然体に生きるがモットーのドクターですが、明日とあさっては流れでブログを書く時間がありません。何時読んでもらっても変わり映えしない内容ですが、また明々後日からがんばります(師匠からはがんばってはいけないと言われています、これ有難い言葉です)。

 ☆自分の田んぼの横の紅葉。紅葉名所百選には入ってませんけど、結構きれいです。隣のモミジはきれいに見えるに抗い自分のモミジの良さを見直す。

Dr.1102 大人の力(11月7日)

 「トライやる・ウィーク」でもそうだが、他にも「お城ガイド」や「名人に弟子入り」など各地で地域の大人が、子どもの教育に関わってくださっている。

 昨日参加した「春日神社秋祭保存会」の設立総会にしても、何百年も続いてきた地域の伝統行事を後世に伝えるため、持続可能な体制をつくろうという大人の会だが、背景には子どもたちに伝統行事を継承したいという熱い思いがある。

 子ども育てには親や学校だけでなく、地域の大人の力も大きい。いろんな人の力を借りながら関わりながら子どは大人になっていく。大人にしたってかつて自分も大人たちからしてもらってきたことを、次の世代にしているということか。もしかしたら、そんなことを考えるまでもなく次世代を育てに関わりたいというのは動物としての本能かもしれない。

 人間だけでなく、どの動物でも次の世代・子孫を残したいという本来の欲求がある。

 それはそれとしても、お出会いする多くの大人の方が直接間接は問わず笑顔でエネルギッシュに次世代育てに関わって頂いているのはありがたい。

 翻って自分もしっかりと大人の役割を果たさなければならない。どこまで出来ているか不安もあるし直接全ての子どもに関われるわけでもない。しかし、ご縁で出会う子ども大人の皆さんにできるだけのことはしていきたい。

 どんなことができるか、どんな役割を担うことになるのか、流れとご縁を大事に出来得ることを自分らしくやらせて頂きます。

 ☆昨日あった春日神社秋祭保存会。未来に向かった大人の力が結集されています。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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