Dr.899 苦あれば楽あり(2月6日)
今朝のラジオで「苦(しみ)があるから、楽がある」という講話をやっていた。そりゃ人生は楽ばかりの方が良いように思うが、そんな都合の良いようには行かず、大概の人には楽も苦もやってくる。いや人生はもともと苦(思い通りにならない)ばっかりであると諦めて(明らかに見る)生きた方が良いという教えもあるほどだから、苦が多いと覚悟してそれでも時々は楽しいことがあるかもと期待して生きるのが良いのだろうか。その講話では、「苦やストレスを大きくしない術を身に着けて、家族と感謝を大切に笑顔で日々を過ごそう」と続いた。苦やストレスを反芻していると悩みは大きくなり、元気も笑顔も無くなる。苦やストレスを大きくしない技は各自で工夫するしかないが、ドクター的には年齢と共に強まっている忘却力が頼りになりそうだ。覚えておかなければならないことも忘れてしまうのが問題だが、嫌なことをずっと覚えていてストレスをため込むのとどっちが良いかと問われれば、忘却力の功罪は簡単には決められない。何事も反対の事象があるから、そのことの有難さや真価が分かるということは言える。死があるから生の尊さが分かるというように。ともかく生きてると苦がやってくるので、それに善処しながら元気に生きて行きたい。
☆長年お付き合いを頂いた講師仲間が転職されるのでメッセージをということで、このような写真を送った。別れは寂しい(これも苦)が、このお陰で彼との交流の有難さを再認識できた。
Dr.898 感謝(2月4日)
いろいろ心配事や悩みはあっても今日一日を何とか元気で過ごせている。健康、家族、家族の健康、やることがあることに感謝。普段は陽気だが、打たれ弱いので厳しいことを言われるとすぐに落ち込むが、助けてくれる人や応援してくださる人も多い。そうした励ましを支えに、自分に出来ることを、出来る範囲の精一杯でやって行きたい。それができるのも、自分や家族の健康があるからだ。健康といっても全く何も支障や心配がないわけではないが、何とか動けるし寝込むこともない。こうして時に落ち込むことはあっても、全体としては元気で日々の生活が送れている。流れで自分がやらなければならないことをやらせてもらいながら、それができる境遇に感謝して、今日も元気で明るく1日を送って行きたい。
☆太陽の光をはじめ自分に注ぐすべてに感謝しながら、できること、しなければならないこと、する流れになったこと等を自分らしくやらせて頂きます。
Dr.897 一寸先は闇(2月3日)
1年ほど前に村の人と旅行で行ったミャンマーに軍事クーデターが起こった。金色に輝く大仏様を見に行って現地の人のゆっくりとした生活を見たり、子ども達のやさしさに触れたりして好い国だと感じていたので、今後の展開が心配だが、「一寸先は闇」は悪い意味だけではなく、未来はどうなっていくのか人知では計り知れないということなので、希望を失わず今後を見守っていきたい。今回のことに限らず本当に世の中や人生は何が良くて何が悪いかはそう簡単には分からない。良いと思ったことが苦しみにつながったり、悪いと思っていたことの中に良いタネが入っていたり、本当に分からないものだと思う。教員のなり手が減って採用倍率が下がってきたというニュースも、これまで中々受からなかった方には朗報かもしれないが、そもそもなかなか受からないという辛い経験は辛い境遇にいる子どもや人の気持ちが分かるという意味で教員には必要なことかもしれない。その大事な経験をしないで先生になるということはその人にとっては良いことではないというようにも考えられ、いずれそのことが大きな苦に繋がるかもしれない。このように考えれば人生の展開は目先の事象だけでは本当に判断できない。このことを忘れないようにして、奢らず腐らずたんたんと歩んで行きたい。
☆学校のお困りごとはないかと訪れた市内中学校。良かれと思っての訪問だったが、これが校長先生の時間を奪ってご迷惑になったかもしれない。
Dr.896 自分に出来ること(2月2日)
今日の新聞で、かつての陸上短距離の名選手〇ール・ルイスさんが、「(オリンピックの開催延期にかかわらず)自分のコントロールできることに集中しよう」というようなことを語られているのを読んだ。候補選手にとって、オリンピックの開催動向は気になるだろうけど、自分がヤキモキしてもはじまらないので、自分が出来ること、練習にしっかり取り組もうということだ。このメッセージは選手以外にも有効だ。ドクターなどはもっと徹底して、どれだけ練習できるかどうかも様々な条件や置かれた環境によるから、そうしたものを全てお任せして(神や仏や天の意思等:これをひっくるめて「流れ」に)自分のできることを、精一杯というのかその時の出来る範囲の力でやって行くしかないと思っている。これは決してさぼれと言うことではなく、自分を生かしている流れを信頼して、頑張る方向も程度もお任せしようということだ。この覚悟が出来れば、安心してお導きの人生を歩めると思うのだが、まだ悟りきっていないドクターは時折ジタバタに襲われる。このジタバタも含めてお導きと考えればいいのだろうか。
☆昨日は議会で精一杯参加したが、大したことはできなかった。