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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.880 危うい日常(1月13日)

毎日が変わり映えしなくても特に支障なく過ごせれば、それだけですごく有難いことなのだが、毎日同じようなことが続くとつい感謝の気持ちを忘れてしまう。しかし平穏そうに見える日常も一つ間違えば思いもよらぬ危機に陥る。場合によっては肉体的生命や社会的生命を落とすことだってあり得る。日常は危険と隣り合わせだ。危機は自分が招いた結果のこともあれば、全く自分の非とは関係なしにやってくることもある。例えば今朝家の坂で滑って転んだが、打ち所が悪ければ骨折・入院・生活に支障だって考えられたし、車で滑って下の畑に落ちればより一層被害が大きくなるところだった。普段車を運転していればいつ事故に遭遇してもおかしくない。絶対の安全なんてない。家の中でじっとしていれば、事故に遭う確率は低くなるだろうが、今度は肉体的精神的な健康が心配だ。そんなことで、平凡でも毎日が無事に過ごせることは文字通り「有難い」ことで、それに感謝しながら日々を送って行きたい、と氷で滑って転んで考えた。

 ☆氷でツルツルになった家の坂と滑ってこけながらいろんなことを考えたドクター。寒い日が続くが木の芽には春の兆しもある。

Dr.879 生き方の衝突(1月12日)

これまで生きて来て見つけた生き方モットーが錯綜こんがらがることがある。昨日も「閃きを大事にする」と「流れに任せて生きる」が衝突し、上手く行かなかった。閃きでは町で見かけた牛丼新商品を紹介するのぼりが目に飛び込んでいて、昼食にそれを食べようと思っていた。ところが朝食時台所にカレー鍋があるのが分かったので、流れに任せてカレーをしっかり食べてしまい、昼食時の新商品牛丼がいま一つ美味しくなかった。卑近な例で恐縮だが、同じようなことは人生の大きなイベントでも起こるかもしれない。折角つかんだ、生き方を楽にするモットーたちだけにどれも大事にしたい。今回の場合のドクター解決法は、結局「なるようになる」「なるようにしかならない」モットーたちが出てきて、「流れで朝食にカレーを食べ過ぎたこと」も、前からの「閃きで昼食に新商品牛丼を食べること」も、やってしまったのだから「仕方ない」「仕方ないからそれでいい」となってしまった。このより上位の人生訓「なるようになる」は強力なので使い方には気を付けたいが、この教訓・モットーのおかげで比較的楽に衝突の傷から立ち直れた。

 ☆昨日の午前中は裏山の整備(雑木草刈り)をやったが、開始直後に草刈り機の刃が緩んだので草刈り機使用を諦め、持って行っていたのこぎりでの木竹切りをやった。「流れで生きる」(やることを柔軟に変える)は生きているし、「閃きを大事に」でこぎりも持って行っていたのも良かった。結局なるようになる。

Dr.878 成人の方へ(1月11日)

本日成人式を迎える方へ、というのかいつものように人にも言うけど自分にも言うという感じで、人生について思いつくことを言います。ドクター人生の大部分を占めるのは教員としての勤務だが、教員が自分に向いていたかどうかは確信がない。自分としては子ども達と関わることは楽しかったし、一部の生徒たちは慕ってくれたので、完全に間違った選択ということはないだろうと思うが、自分の人生にはこれが一番合ってたかというと分からない。一部の特別な才能を持った人以外の人の人生は大方こんなものだろう。一番や2番目に向いた職業でないにしても、人は何かしらの仕事に就いて生計を立てなければならず、特別不向きな分野でなければ人生のこの頃(成人式頃)に出会った選択肢の中から選ぶのでいい。最初の仕事から転職したり徐々に変質したりする。ドクターの場合は高校勤務から教育委員会転出であったり、冒険教育との出会いだったり、管理職としての勤務だったりした。いずれも面白かった(この辺りから「流れ」に任せていれば結構面白い人生が展開するという価値観が来ているのかもしれない)が、それなりにしんどいことも多少はあった。そんな仕事もいずれ終わりが来て、フルタイム勤務が終わってからの生き方がテーマとなる。こんな感じで人生は展開していくので、新成人の方には、絶対唯一の自分の道探しなどと気張らず、淡々と、ただそれなりに打ち込んで、自分の人生の展開を楽しんで行ってほしい。どう展開しても、人生なるようになるし、なるようにしかならない。

 ☆天気が良ければ田んぼ仕事、天気が悪ければ読書やデスクワーク、状況(流れ・環境)に応じて時の過ごし方(1日~人生)を合わせていけば良い。

Dr.877 こんな生き方(1月10日)

人生の生き方に「こんな生き方」「あんな生き方」と一杯あって、各自が自分の生き方を生きてるし、それでいい。時々自分の「こんな生き方」に比べて他人の「あんな生き方」が羨ましくなることもあるけど、生き方が変えられないなら自分の「こんな生き方」のメリットを見つけていく方が良い。そこで、ドクターのような「何故生きる」「どう生きる」を問い続けながら生きる人たちに新たな発見として自分たちの生き方の良さを見つけたので報告したい。一般的には「何故生きる」「どう生きる」追求派よりは、そんなことにとらわれず元気に生きる「あんな生き方」の人達の方が悩まないで生きられる分メリットは多い。「何故生きる」「どう生きる」が絶えず頭から離れない「こんな生き方」の人は、下手をするとそれらの問いにやられてしまって普通の生活が送れないほどだ。そんな厳しい状況でも生き方を問うことがやめられず生きてると、永遠の真理には辿り着けないとしても、その都度の答えは見つけたり(ドクターの今の答えは「流れに従って生きる」)、たとえ答えは見つからなかったとしても「日々をどう過ごすか」は意識しているので、それなりに日々を噛みしめながら送ることが出来るのではないかというのが今回見つけた利点だ。噛みしめたからどうなんだと問われれば返答に困るが、そんなことを考えないで生きるよりは人生の最後の振り返りで後悔が少なくて済むと考える。このメリットも「こんな生き方」の人(ドクター)が考えたものなので、「こんな生き方」派に都合よい結論になっているかもしれませんけど。

 ☆「こんな生き方」派だからこそ、子どもとこんな時間が過ごせることの幸せをより噛みしめることができている。

Dr.876 黄金の15年(1月9日)

60歳からの15年を「黄金の15年」という言葉があるようだ。この期間は定年後で時間はあるし、まだ身体も動くしということで、人生の中でもしたいことが出来て行きたいところへ行ける特別充実した期間ということらしい。ドクターは最早3年使ってしまっているので残り12年ということになるが、残数を数えるのが良くないのはこれまでの人生経験から分かっているので、残数数えは止めて「今が一生の中でも恵まれた時間」なのだという自覚を持って大切に過ごすことにしたい。そういえば、この頃は1日のほとんどを自分で自由に使えるし、行きたいところへも行ける。金銭的な問題など諸条件があるし性格でもあるのか、そんなに思い切ったことは出来ていないが、十分に恵まれているような気もする。「黄金の〇年」この言葉に出会わなければ、今の恵まれた時間を漠然と過ごすところだった。今後は毎日を感謝を持って味わいながら過ごすようにしたい。と言っても実際にやることや行くところはそんなに変わらないかもしれないけれど、心構えが違う。

 ☆思いがけず友達に出会ったり、静かなラウンジで車の点検をゆったり待つドクター。これらはやっぱり黄金の期間だからだ。実際には結構バタバタしてましたけど、これは性格だから現役時代も黄金時代も変わらないか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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