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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.727 あと何年生きる(7月18日)

この頃時々1年前の写真をブログに使っているが、「えっこの写真の頃からもう1年たったの」って感じで昨日のように思い出される。齢を取ると月日が過ぎるのを早く感じると言われるが、まさに実感だ。この速さだと平均寿命の81歳まで生きてもあっという間だろう。現在63歳のドクターは80歳前半まで20年弱あるが、今から20年前の40歳前半から今日までを考えると本当にいろんなことがあった。ドクター人生の大半がこの時期の20年だと言ってもいいほどだ。つまり20年という年月は相当いろんな経験をするのに十分な時間だということだ。もう一度40過ぎから現在までのような充実20年を経て、定年退職で職場を去った感じで人生退職でこの世が去れればどれほど良いだろう。でもこれらは所詮叶わぬ夢で、現役時代最後の20年と定年後の20年が同じように過ごせるはずはない。これは否定的な意味だけでなく、定年後の20年を現役時代とは違う生き方で快適に過ごせれば、違う種類の充実20年を2回体験できると言うことだ。現に今は現役時代のような多忙と充実感は無いが、毎日の過ごし方を自分で決められる自由と業務から来るストレスはない暢気さがある。これからは是非とも人生最後の20年間を、現役時代の郷愁で過ごすのではなく、新たな快適定年後生活の創造で生きたい。しかし、定年後生活は現役時代にはない自由さはあるが、その自由な時間をどう使うかを決めなければならないというしんどさもある。そもそも元気で80歳代まで生きられるという保障はない。まあともかく今日もぼちぼち新たな生活づくりの実践と行きましょうか。

 ☆「自転車用橋が雨の日には滑って危ない」という地元の声を受けて、橋の滑り具合をチェックする議員ドクター。当面は、地元の声を行政に伝えたり、市政の様子を地元に伝えたりしながら、百姓と運動をする、こんな感じの時の過ごし方になるのでしょうか。その時期その時期の「当面やる事」を積み重ねて寿命まで行くのだろう。その時期時期の「当面やる事」は流れとご縁でやってくるので心配はないが、ポイントはその生き方で充実を感じられる思考法の育成だろう。

Dr.726 やっぱり学校(7月17日)

コロナ対策も含めて今の学校のお困りごとをお聞きしようと小中学校を訪問した。学校には当然子どもたちがいて、新参訪問者のドクターにもあいさつや話しかけてくれる。特に20分休み中だった小学校では子どもたちが元気に遊んでいて、いろいろと話しかけてくれた。「おっちゃんも学校の先生」、これは旧知の先生と一緒に居たドクターに1年生がかけてきた言葉だ。「昔はね」と答えたが、未だに先生臭が出ているのかと気になるとともに、小1の鋭い感覚と物怖じなく新奇の来校者にも話しかけてくる元気さに心が弾んだ。その小1生たちは『仲間集め』というのか、ジャンルごとに指定されたマスにサインをもらう活動をしていた。「先生」とか「5年生」とか「職員室の人」とかの欄にもう幾つもサインを集めている子もいれば、まだ空白の子もいた。ドクター訪問に対応して頂いた校長先生も早速子どもたちにサインを頼まれておられた。やっぱり学校はいい。子ども達といると元気が出る。授業もマスクを付けながらだが、だいぶ落ち着いてきたと言う。だが、これから行事や暑さ対策など考えなければならないことは一杯あるようだ。やっぱり自分は学校の人かと郷愁に浸る反面、もはや退職後の生活も長くなったので正直違和感も感じる。現在の自分の拠り所・アイデンティティはどこにあるのだろう。最近なったばかりの議員でもまだないし、冒険指導も昨今はないし、素人に毛の生えた程度の百姓でもなく、安定した家庭も打ち込む趣味もない。根無し草のようなふわふわした存在。でもそれで元気に暮らさせていただいているのは有難い。今後は退職後のふわふわ人生の元気な生き方を提案する人を模索しよう。きっと同じような問題を抱える人はいるはずだ。まだまだ探求途上だが、今のところの答えはやっぱり「流れとご縁に任せて、やる羽目になったことを適度にやる」なのだが。

 ☆学校の様子を伺うため小中学校を訪れ、「やっぱり学校はいい」とも思うが今ではもう自分の場ではない。法人の共同作業にも出たが農業も地域も未だ本腰を入れた寄る辺ではなく、もしかしたら今の一番のアイデンティティはブロガーかもしれない。いつまで続くか分かりませんけど。

Dr.725 ややこしい世の中(7月16日)

最近ネットバンキングというのが流行りなのか多くの金融機関が勧めてこられる。多くのと言ってもドクターが講座を持っているのは主に3つほどなのだが、その3つの金融機関ともにネットで残高などが見られるようにした。正確には行員の方に散々手伝っていただいて見られるようにしていただいた。ネット口座開設には途中のIDやパスワードが必要だったり、そしてそれは開設後には使えなかったり、以前に開設していたのがあればそのIDやパスワードを使わなければならなかったり、変更するには以前のものを郵送で送ってもらわなければならなかったり、そもそもIDやパスワード設定にも必ず大文字を入れなさいと言うところもあれば小文字だけでいいところもあったり、数字やアルファベットが並び順で良い所もあればだめなところもあったり、ログインパスワードや取引パスワード・ユーザーネームやログインIDなど少し違っているけど同じような名前のものがあったり、それが3銀行あったり、もはや何をいっているのかも分からなかったりするほどだが、ともかく機械オンチにはややこしい世の中になった。でも何とか設定して使いだすと、いちいち銀行に行かなくても残高確認や振込が出来たりして便利は便利だ。結局どんどん進化する社会に嘆きながら付いて行くしかないか。これもまあ流れに任せて行けるところまで行きたい。

 ☆去年の今頃のNHK大河ドラマ盛り上げポスターと撮った写真。ドラマも自分も進んでいるような止まっているような。

Dr.724 どう考えるか(7月15日)

大雨で命の危険がある場合やコロナ禍で身体的・経済的危機に陥った場合などを除き、何とか日常生活が送れている状況では、毎日を機嫌よく暮らせるかどうかは現実実態よりも、それをどう解釈するかも含めて何をどう考えるかという自分の思考方法にかかっていると思う。例えば、現在ドクターの頭の中での大問題は、田んぼの稲や豆の生育状況(農作業の手配や、周りの田畑との出来の比較)や9月議会での一般質問をどうするか等だが、考え方によっては今年は選挙で田んぼの準備が遅れたので、作物を植えられただけでもありがたいし収穫何て少しでもあれば御の字と考えたり、市議会に当選出来て議員活動が出来ているだけでも夢のようなこと自分にできることを精一杯すればそれでよい等と考えれば、どちらも大問題とは言えなくなる。自分や家族の健康状態が悪くなれば、たちまち心配事は入れ替わる。だとすれば、今これらの問題に悩んでいられること自体が有難いともいえる。だがやっかいなのは、頭の中の問題だ、他の人の大問題と比較するとちっぽけな問題だ等と言っても詮無いことで、その人にとっては大問題は大問題で、ことによっては生死にかかわってくることもある。人生の問題の大小は客観的な基準では測れない。人生の問題やその日その日を上機嫌に充実して生きるかどうかは主観的な当人の考え方にかかってくる。とすれば、自分が日々を、そしてその積み重ねの人生を絶こうちょうに送れる考え方を身に着けられるかどうかが根本的に大事なことと言える。そうは分かっていても、この適切な考え方を身に着けるのが簡単ではない。一度見つけたと思ってもまたすぐ迷いが生じる。かくして今日も快適な考え方ができるかどうかが問われている。

 ☆考え方によっては家や田畑の農作業で見かける子ツバメを眺める日々が送れるだけでも幸せを感じられる。

Dr.723 折々のことば(7月13日)

新聞休刊日の朝、忘れていつもと同じ時刻に起きてしまって、いつもなら新聞を読む小一時間をどうしようかなと思って、手帳を読み返したり、昨日の新聞をもう一度読み返したりした。物忘れが進む身としては手帳のスケジュールは無くてはならないものだ。残念なのはこの頃では冒険指導や講演の依頼もなく、ほとんどが真っ白なことだ。手帳の後ろのメモ欄にはこれまで出会った名言や大事にしたい言葉が綴ってある。近年は代々の手帳から抜き出した名言中の名言、ドクター丹後の生き方エッセンスとなる字句が記されている。真相はこの頃は良い言葉を見つける感度が鈍化して、1年たっても手帳の後ろがほとんど埋まらないから、これまでの言葉で特に気に入ったものを書き写しておかないと真っ白なまま1年が終わるからだ。ともかく、今年の手帳に書き写した語句は、長年かかって大事にしてきた自分の生き方そのものだ。いくつかを紹介すると、「あなたが仕事を選ぶのではなく、仕事があなたを選び、あなたを呼んでいる」「『何のために生きるのか』ということはこちらから問うことが出来るものではなく、『人生から問われていることに全力で応えていくこと』つまり『自分の人生に与えられている使命をまっとうすること』だけができること」等々だ。その後昨日の新聞を読んだが、これも物忘れが進む身としてはありがたいことに、昨日読んだ内容をほとんど忘れているので、新鮮な気持ちで読むことが出来た。その中に「折々のことば」という小欄があって、筆者が出会われ感銘を受けられた言葉が紹介されているが、こちらはドクター手帳の言葉とは違って毎日更新されている。よく感度が鈍らないことだ。触発されて「折々のことば」を手帳に書き写したが、もの忘れが進む身としては、この新しい習慣をいつまで覚えていられるかが心配だ。

 ☆新聞休刊日の朝、これまでに感銘を受けた言葉を書き写した手帳を読み返し、改めて自分の生き方を確認するドクター。これだったんだ、自分の生き方は。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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