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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.251 あなたはきっと想像以上だ(1月17日)

早いもので、もう娘の中学校のPTA卒業記念号に会長としての原稿を書く時節になり、『あなたはきっと想像以上だ You are fantastic !』というタイトルで、「自分の限界を低く決めつけずどんどんやりたいことに挑戦していってください」というようなことを書いた。挑戦するには自信が必要だが、初めてやる事なのだから根拠のない自信で良いというようなことも書いた。考えて見ると「自分の限界を早くから決めつけずどんどんやりたいことにチャレンジして自分の人生を面白がって上機嫌で生きていこう」という呼びかけは、在職時から『リミッターを外せ』『上機嫌力を磨け』『まだまだいけるぞ』みたいなキャッチコピーで生徒たちに呼びかけて来た。せっかくいいもの(潜在能力・ポテンシャル)をいっぱい持っているのに、偏差値教育の弊害か、日本人特有の謙虚さか、すべてにおいて遠慮がちな子ども達をたくさん見て来たからだ。しかし定年後のこの頃では「がんばらなくていい」「無理するな」「自然体で流れに任せてボチボチ行こう」みたいなことを自他に呼びかけているから不思議だ。未来のある若者に言うことと、老い先短いおっさんに言うことは違っていいとも思うが、自分の言動にこだわらないというのか無節操ないい加減さは一貫している。もしかしたらドクターのいい加減さは自分の想像以上かもしれない。

☆芦屋六麓荘辺りをうろついていると豪邸が多い。この豪邸の主人たちも最初からこんな生活(と言ってもどんな生活か想像でしか分かりませんけど)を想像してたわけでもないでしょうし、ドクターも定年後にこんな(豪邸を見て回って嘆息するような)生活は想像外だった。でもこれも悪くないか。

 

 

Dr.250 おっさんの生態(1月16日)

退職後の観察の結果、定年後のおっさんが昼間に集まる場所は図書館とスポーツセンターであることを突き止めた。さらに最近午前中の喫茶店にも、モーニング目当てのおっさんが多数集まることが判明した。これは特定の喫茶店の話ではなく、モーニングが美味しくリーズナブルな価格のところは例外なく一人または二人のおっさん客で埋まっている。この状態では若者や女性(おばはんを除く。おばはんは適応力が高くどんな場所や状況にも動じない)は入りにくいだろう。よくも近くにこれだけ多数のおっさんがいたかと思うほどの様相で一見の価値はある。集まったおっさんには以下の共通点があることも突き止めた。①スポーツ新聞を好む、②新聞を持って席を立つ人がいる時、知らない人同士でも「これどうぞ」と渡したり、「それおくれ」ともらったりする、③携帯電話の着信音が大きく、「誰か鳴っとんで」と一人の人が大きな声で言うと周りの人がみんな自分のポケットを探るが、大概鳴っているのは最初に大きな声で言った人のやつである(しかもガラケー)、④若い女性ウェイトレスが近くに来たら何やかやと話しかけ、レジで支払いの時には「この時間はおっさんばかりですね。そういう私もそうですけど」と言い「お客さんはまだ若いですよ」と言われてニンマリする(ドクターの場合)等だ。きっと他にもおっさんのたむろする所があるに違いない。これからも研究を続けよう。

☆おっさんがよく集まるタイプの喫茶店。中にはその様子をレポートする困ったおっさんもいる(写真)。

 

Dr.249 流れに任せて生きる(1月15日)

流れに任せて生きるという信条の下に流れに任せて生きているが、この3連休のように何もない定年後生活者にとってもさらに何もない毎日が続くと、さすがにいつもの生活が退屈になってくる。それにいつものようにブログを書いていつものようにトレーニングへ行っていると、いつもと同じことをするのにこだわっている自分に気付く。昨日のトレーニングなんか身体がしんどくやる気もないなか惰性で身体を動かしただけだ。流れに任せてこだわりをもたずしかも毎日をお気楽に生きるというのが理想のはずだったが、最近の日々は結構これに近い感じでいい線言っていたように思っていたが、ここに来て飽き・マンネリ・惰性という天敵がやってきた感じだ。だからと言って波乱万丈な出来事を期待している訳ではないが、定年後生活先駆者としては何とかこの天敵に対処する考え方をつかんで皆様にお伝えしたい。「感謝と貢献」がキーワードであることは方々でもいい、自分でもそう思っているのでこれを頼りにこだわらないで上機嫌に生きる毎日を実践して皆さんのモデルにしてもらえるようになりたい。これがうまく行けば少しは貢献になるかな。

☆天気が良かったので田んぼの畔に他所からとってきた袋に入った土を撒いて畔直しをした。天気や近くにもらっても良い土があるので、ちょっと傷んだ畔を直してちょっとした運動にもなる。流れに任せた上機嫌な生活結構良い線言ってるように思うんですけど。あと一息が難しい。

 

 

Dr.248 自分が生まれた時代(1月14日)

成人式の日の新聞社説で、今年成人になる人が生まれた20年前はスマホでなくガラケーが中心であったようなことが書かれていた。年々時代の変化のスピードは速くなり、近未来の世界では人工知能が現在の人間の仕事の大部分にとって代わるとも言われている。ひょんなことから手に入れた、ドクターが生まれた日の新聞(61年前)のコラム記事では「脈動するアジア 救いのない(人口)過剰 対策もまだ見られぬ」と題して、中国やインド、ネパールやビルマ(ママ)では人口過剰が貧困を招いていると論じ、貧困対策に手いっぱいで人口抑制策にまで手が回っていないと嘆いている。人口を増やすのが大きなテーマになっている現在とは隔世の感がある。20年前にしても60年前にしても自分が生まれる時を選べるわけではないが、生まれた時代によって自分の人生は大きく違ってくる。生まれた時代だけでなく、生まれた国や家庭といった自分の力とは関係のない要因が自分の人生を大きく規定する。だとすればここはドクターが言うように身の回りに起こる出来事をすべて自分の努力の結果だと一喜一憂せず、自分に与えられた運命と言う大きな流れに乗って行こう。余計なことを考えず安心して乗っていれば浮き沈みはあってもちゃんと行くべきところへ運んでくれる。どうせなら面白いところまで運んでほしいと願ってしまうところが悟りきっていないドクターの未熟なところだ。

☆ひょんなことから手に入れた自分が生まれた日の新聞を見ながら、人生について悟りと迷いを行き来する中途半端なドクター。

 

Dr.247 変わらない本質(1月13日)

先日の市内小学校教頭研修会で謝辞を言ってくれたのは、ドクターの高校時代の剣道部1年後輩の先生だった。その先生は「講師(一応ドクターのこと)が言われるように、人間万事「塞翁が馬」なので、出来事に一喜一憂せず自分がやる事になったことを精一杯やって行きたい」と語られた後、「講師は高校時代から今と変わらず頑張りすぎるなと言われていたので、私も無理に昇段試験を受けなかった」というような話をされた。「いやあ、そんなこと言いましたか。いくら何でも運動部やってて頑張らなくてよいはおかしいでしょう」と返したが、どうも自分では覚えていないがそんな昔から「がんばらなくて良い」と言っていたようだ。自分としては紆余曲折の人生経験を経てようやく今の境地「流れに従って生きる。無理をしないで(がんばらないで)、出来ることを出来る範囲でやりながら上機嫌で毎日を生きる」に達したと思っていたが、昔からあんまり無理しない派だったことが判明した。人の根っこ(本質)はあんまり変わらないということか。それなら自分の根っこを冷静に見つめ、それにこれまでの人生でつかんだ生き方のコツ(生きる知恵・人生のヒント)を味付けして、今の自分に一番ピッタリくる生き方を見つければ良い。

☆研修担当の教頭先生が研修会の様子を撮った写真を送ってくださった。一見しただけではこれが何の研修になるのかと思われるかもしれないが、みんなで楽しい時間を共有することの大切さについて改めて教えてもらった会だった。ドクターのいい加減な指示に気持ちよくお付き合いいただいた皆さんに敬意を表するとともに、各教頭先生の個性を活かされ、子ども達のために頑張らないで頑張られることをお願い申し上げます。

 

 

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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