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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.115 何歳までいけますか(8月20日)

娘の中学校PTA草刈りに参加した。大勢のお父さんお母さん方と一緒に校庭の草刈りや植木の剪定作業を行った。休憩時間に顔見知りの陶芸家と初対面の農業者と一緒に話をしていると、共に40代半ばという彼らだが体力的にきつい作業が多く、仕事は55歳くらいまでしか続けられないのではないかと思っているという。そして55歳などとっくの昔に経験した人生の先輩であるドクターに、「自分たちはこれからの体力の落ち方が経験がないので分からないんですけど、何歳ぐらいから体力って落ちるんですか」と聞いてきた。自分たち同士でしゃべってる時とは違う、年長者に対する尊敬の念が感じられる丁寧な言葉遣いに気を良くしたドクターは「それは人によるな」と余裕ぶった態度で、内容の無い返事をした。そして続けて「私は60やけど(ホントは61だが、若い彼らと張り合うために1歳サバを読んだ)、村では若者やで」と、40代で引退を考えるなどまだまだ早いということを暗に言おうとした。「昔の人ってホントに元気ですよね。自分達とは人種が違うような気がします」と、自分たちはか弱い人種だと言わんばかりだ。か弱い人種の後輩と、鍛えた人種の先輩の間に位置する、ドクター世代(昭和30年代世代)は何人種だろう。何人種かは分からないが幸せな世代であることは確かだ。親世代のような戦争も知らないし、財政危機や地球温暖化をはじめ課題山積のこれからの世代でもない。高度経済成長で築いた親の財産のおかげでお気楽に成年時代を過ごさせてもらった(自分だけかもしれませんけど)。年金や医療費の心配はあるけど、まあ何とかなるだろう。苦しんでいる人や世代もある中、こんなお気楽で申し訳ないという気持ちはもちろんある。せめてすべての人・世代の幸せを願うことは一生懸命やろう。願うだけかい、だからお気楽人やねんと言われそうだが。

☆草刈り日和の中、作業をするS中学校のいろんな世代。黄色長靴のおじさんはお気楽世代であることは間違いない。作業中になんで写真撮ってますねん。

 

☆作業後に行われた3年生親子活動。はじめはワーワー張り切って参加したが、最後の方は応援しながら居眠り。これもお気楽世代の特徴だ。

 

Dr.114 理解できない(8月18日)

社会科の授業の仕方やすべての職員からの好かれ方など、もともと理解できないものは多かったが、この年齢になるとさらに理解できないものが増えてきた。昨日送られてきた国税庁の「よくわかる消費税軽減税率制度」なるパンフレットも内容がサッパリ理解できない。これが何故自分のところへ送られてきたのかも理解できない。ようやくわかったことと言えば、来年10月から消費税率が引き上げられるということだ。ところで、消費税率の引き上げについては、大方の皆さんは反対だろうが、ドクターとしては引き上げ分が有効に使われる(国の借金の返還や年金の充実、特に退職後冒険教育指導に携わっているものの年金の充実等)ならやむを得ないと考えている派だ。しかし、これも本当に有効に使われるかどうかも理解できない。ともかく世の中どんどん理解できないことが多くなって、このままでは人生の目的や意義なども理解できないまま終わりそうだ。その方がいいような気もするが、これもどちらがいいのか理解できない。

☆ドクターには理解できない「消費税の軽減税率制度に関するパンフレット」

☆移動中に見かけたJR列車の写真とカレーピラフと普通のピラフを半々に持ったドクター作夕食。なぜこれが今日のブログに載るのかも理解できない。

 

Dr.113 夜の気がかり(8月17日)

気がりがあって夜中に目が覚めることがまれにある。かつての気がかりは、生徒のことだったり、職員の事だったり、保護者の事だったりだったが、定年退職してからはこれらのことは関係ないので何も気がかりなことはないはずなのだが。昨夜途中で目が覚めて眠れなかった気がかりは、先だっての豪雨で壊れたままになっている橋の修理のことだった。橋と言っても、我が家の作業小屋の前を流れる川を渡るだけの小さな橋だ。去年コンクリートで新築したその橋自体は無事だったが、その周りの土の部分が増水で洗い流されて壊れているのだ。隣の人に教えてもらったセメント技術で自力で補修しようか、前に作ってもらった業者に依頼しようか迷っていたのだが、やはり餅は餅屋ということで、無理はしないで業者に頼もうと決めてからは落ち着いていられたのだが、昨日その業者の連絡先が分からないことが判明し、そこから俄然自分で直さなければならないと思い込んだようだ。「ようだ」というのは、自分のことなのに変だと思われるかもしれないが、昼間は他にすることもあってそんなに気にしていなかったのに、無意識化では気になっていたのか、夜中のトイレ起き後に急にその気がかりが去来して離れなくなったのだ。もっと大きな悩みを抱えている人や現役時代の自分の悩みとも比べても屁でもないような悩みなのに、気がかりとしては一丁前に自分を眠らせてくれない。悩みの大小は客観的な基準では決められないというのか、決めたとしても自分にとっては今の自分の気がかりがやはり大きな悩みになることが分かった。このことに気づいてからは、これを明日のブログ(今のこれです)に書こうと思って、今度は内容を忘れないかが気になって眠れなくなった。といってもその内寝てしまいましたけど。

☆昨夜のドクターの夜の気がかり「橋の修理」の橋です。ブルーシートをかけているところが壊れたところです。こんな気がかりでも夜寝られなくなるのだから、大きな気がかりの人はホントに大変でしょうね。全ての人の快眠をお祈り申し上げます。ドクターの「夜寝られない」は昼寝と寝る時間の早さ(20時頃)のせいかもしれませんけど。

 

Dr.112 風に乗る(8月16日)

久しぶりに風に乗って飛んでいるワシを見た。風に乗って生きるのを信条とするドクターとしては、理想の生き物だ。常々あのように生きたいと思うあこがれの存在だ。でも今朝はよく観察していると、ワシも結構バタバタしているのが分かった。羽を大きく広げて悠然と飛んでいる時もあるが、今回見たやつは、それ以上にバタバタと羽ばたきしてる場面が多かった。風に乗るポイントまで上がろうとしてるのかもしれないが、バタバタ中は結構大変そうだった。これを見てしまうと、あの優雅に大空を舞っているように見えていた図も、あれだけがんばって、ちょっとの間だけ休んでいるように見えるから不思議だ。優雅な飛行時間が、次のバタバタのためのつかの間の休息に見えてしまうのだ。バタバタ羽ばたきも、スイスイ風に乗った舞も、どちらもがワシの人生だろう。ドクターのお気楽な毎日の裏にもバタバタ忙しい日常がある。それでも昨夜は子供二人がそれぞれ友達とデカンショ祭りに行ったので、久しぶりにというのかほとんど結婚以来初かもしれないぶりに、妻と二人で近所にできていた地ビールを製造販売しているおしゃれな店のカウンター席に腰かけ、地ビール4種類とフィッシアンドチップスなどを頂いた。優雅な風に乗ったひと時だった。そしてまたバタバタのもがく日常が始まっている。

☆風に乗って舞うワシと旗。風がある時は優雅に見えるが、風が吹かない時間もある。

 

☆風に乗ってやってきた優雅な時間。デカンショ祭りの花火。

 

☆風がないのに無理にはためかせようとするドクター。ここはやっぱり無理はしないで、次の風に乗ろう。

Dr.111 丹吉師現る(8月15日) 

お盆だからか、終戦記念日だからか分からないが、久しぶりに稀代の聖人丹吉師が現れた。丹吉師はドクターの師匠だが、普段はどこにいるか分からない。気が向いた時にやってきて、思いつくままに振る舞い、またどこかへ去っていく。丹吉師は各自がバラバラの我が家を見て、「人生、人間そんなものだ。悲観してはならない」と誰に言うともなくつぶやかれた。「なかなか自分の人格が向上しないで情けないと思っています」というドクターの思いつめた訴えにも、「それで」と一言おっしゃったきり遠くを見つめてしばらく微笑みをたたえて黙っておられたが、その内、お盆の「おはぎ」が残っているのを見つけられると、黙々と美味しそうに食べられ、食べつくすとどこかへ消えてしまわれた。丹吉師が食べ散らかされた後を片付けながら、ドクターはなんだそういうことかとちょっと吹っ切れたような感じがした。結局は、悩んでも仕方のないことは悩まず、今自分のしなければならないこと、する羽目になったことをするしかないかと、直近の自分のしなければならないことである書き物を仕上げるために机に向かった。

☆丹吉師はドクター家のご先祖ではないので祭壇を拝んでも現れるわけではない。いつなとやってきて、勝手に振る舞って、またどこかへ去っていかれる。昨日まで写真の添付に苦労していたが、おかげで今日はものすごくスムーズになった。ただ写真の添付はしばらくは無理だろうと油断していたので、今回は同じような(全く同じではありませんよ)写真で失礼します。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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