Dr.1351 施餓鬼(8月19日)
母の施餓鬼法要を近くのお寺で行った。この1年に亡くなった家(家族)が順に拝んでいただく。5名ほどのお坊さんや村の役員(社寺係)の皆さんなどが関わっていただき、集まる家庭も多いので(今回は3家庭)多くの人が集まった。
先日の初七日から昨日の施餓鬼、そして今夜の百箇日と一連の亡き母に関する行事が集中している。仕事もあるので慌ただしく時間と行事が過ぎていく感じだ。
ゆっくりとお別れと言う感じではないが、この慌ただしさは却って寂しさを紛らわせてくれているのかもしれない。
慌ただしさに流されるのは、自分の生き方としてはよくある。いわゆるバタバタ人生だ。性に合っているというのか、そういう生き方が定めなのかもしれない。ゆっくりゆったりした生活では、深く考え過ぎてしまう。それはそれで悩みやすく大変なような気がする。
落ち着きがない、味わいがない、深みがないと言われそうだが、所詮人生こんなもの、一度の人生だから有意義に生きなければならない等と気張るよりはいいように思う。あんまり身構えすぎると却って生きにくくなるタイプ(ドクター含む)の人には、この流れに任せてバタバタして生きて、気が付いたら最後の時が近い、こんな生き方も大いにありだと思うのですが、皆さんどうでしょうか。
☆慌ただしくバタバタしている間にもうお盆も過ぎてきました。ボチボチバタバタしていきましょう。どっちなんかいって感じですね。
