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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.622 他人事と自分の事(3月25日)

市の絶こうちょう化には「社会全体の課題を自分の事として考える」ことが大事だと思う。誰もが市や県や国や世界の問題を他人事と考えていたのでは、解決できない。一人でも自分の事と思う人が増えなければと思う。新型コロナでも気候温暖化でも経済への打撃でも自分の事と思って、自分にできることに取り組まなければならないと思うのだ。実際に多かれ少なかれ自分の生活とも関連がある。丹波篠山市の絶こうちょう化でも移住定住促進や農業や観光で市と関わる人が増えることが大事だと思ったら、自分のできること、知人に一度丹波篠山を訪れてみるように呼び掛ける、空き家を持っている人がいたら市の空き家バンクに登録するように勧めるなど自分のできることをすることが大事だ。市の人口減が進めば自分の生活とも関係してくる。話は飛ぶが、諸事情で2月中頃から帰省していた大学生の息子が関東に戻るという。4月からの新学期に備えるためだし、いつまでも自宅に留めておくのは良くないことは頭では分かっているけど、いざ別れの日が近づくと寂しさも募る。永遠の別れではないのにこのざまだ。やはり自分事は大きなインパクトがある。ここまで社会全体の課題を自分事にできないかもしれないが、狭い意味の自分事だけで生きるのではなく、社会や市の課題を自分事として、その解決に向けて動けるようになりたい。

 ☆春の田植えに向けて準備が進む村の風景。ドクター田の準備はまだまだだが、地域の田んぼの準備が進むのを自分の事として喜びたい。それにしても、今朝の「紙ウサギロペ」は始まる時間がいつもと違って見逃してしまった。自分事はこんなことでも大きくこたえる。これを絶こうちょう化にも参考にしたい

Dr.621 ボチボチ行きましょう(3月24日)

いろいろと心配事(まえ~に愛南町の町長から頂いた貝を奥様が今頃調理してくれたのが美味しかったので食べ過ぎて胃の辺りがムカムカする、今朝キッチンに入ったら急に電波時計の秒針が回り出した、去年買った桜の鉢植えが未だに新芽を出さない等いろいろ)があるけど、世の中なるようにしかならないと開き直ってボチボチ行きましょう。「なるようにしかならない」というのは、だから「何もしない」ということではなく、やることをやった後は結果を気にし過ぎて元気を失くすよりは、「(世の中の出来事はそう自分に都合よくばかり回らないと覚悟して)たんたんと行きましょう」ということで、決してなげやりの勧めではなく、落ち込み過ぎを防ぐ思考方法の一つだ。「ボチボチ行きましょう」も放っておくと暢気に暮らせない自分へのエールだ。そんなこんなで新型コロナの感染拡大やオリンピック延期の話など不安が多い世の中だけど、ボチボチ気を楽にして行きましょう。

 ☆部屋に入ると人の目を気にするかのように急に秒針が回り出した電波時計。無電柱化が進む篠山城跡前の道路とその様子を伝える新聞記事。いろいろあるけどボチボチ行きましょう。

Dr.620 一歩ずつ(3月23日)

4月が近づきやることが増え始めた人も多いのではないでしょうか。ドクターもそれなりにあれもこれもやらなければと心が急いてきた。こんな時こそ一歩ずつ、一つずつ取り組んで行こう(と、これまた自分に言い聞かせてます)。スーパーマンでない凡人の身としては、一日に出来ることは限られているし、生きるためにしなければならないこともある。そもそも生きて、毎日をどう過ごしたいのかということも忘れないようにしたい。生きるための基本(食べる・寝る・運動する・生活費を稼ぐ等)を大事にしながら、その他の用事に取り組んで行こう。そしたらやっぱり一歩ずつ、一つずつしかできないし、そうやって日々を紡いでいけば、それなりに結構進めるのではないかと思う。というわけで、この週末のいろんな行事に一つずつ取り組み、一つずつ終わってきましたが、何かこうやり残した感もありモヤモヤもある。でもまあ精一杯にはやったのだからまあいいか(と思うようにして自分の心を落ち着かせています)。

 ☆市の絶こうちょう化に欠かせない農業の振興。農業の多面的機能の一つである共同作業による地域のつながり。この日も大勢の村人が参加して日頃よく会う人や滅多に会わない人とも顔を合わせる大事な機会になりました。そして週末やるべきことの一つが終わって行きました。

Dr.619 最悪想定のその後(3月22日)

長年の読者の皆さんはとっくにお気づきのように、ドクターがここに書いていることは自分に言い聞かせていることだ。昨日の「最悪を想定しておくと実際にはそれよりはマシなのでいいですよ」も、自分に向かって言った言葉でもあるのだ。その心構えである会合に出席し、そこでの首尾は最高ではなかったけれども心配した最悪の事態も起きずホッと胸をなでおろし、事前最悪事態想定の効果を確認したのだが、その後が甘かった。ホッとして、その次の何でもないと思っていた村の会議に出て、思わぬ展開で来年度の組合長候補になる羽目になった。農業はやってるけど、専門家とはとても言えない自分にそんな重要な役が回ってこようとは全く予期しておらず、後の懇親会を楽しみに軽い気持ちで参加したのがいけなかった。急な最悪シナリオ展開で、皆さんが助けてくれるというから大役を引き受けざるを得るしかなくなった。そこでこの経験を活かして、皆さんと自分にアドバイスだが、最悪シナリオ想定は効果はあるが「一つ終わったからと言って油断してはいけない」、この言葉を贈りたい。ホッとして無防備だと、昨日の例で出した空手の突きや蹴りではないけれど、本当にきつい一発を食らうことになる。でも、この教訓で行くと、絶えず最悪想定を繰り返して身構え続ける人生となり、それはそれで人生なるようにしかならないのでお気楽に行こうが通用しなくなる。やっぱり人生は、市の絶こうちょう化と同じく簡単には行かない。

 ☆昨日の一回目会合先の施設に飾ってあった甲冑を眺めるドクター。一つのことが終わっても、また次の事前最悪想定という 心の甲冑を着 なくてはならない。それはそうだが、あまり続くともうどうにでもなれと開き直ってしまいたくなる危惧がある。

Dr.618 最悪を想定する(3月21日)

日頃の「お気楽な生き方の勧め」と矛盾するようだが、「最悪を想定する」こともお勧めしたい。何事でも最悪を想定して万が一に対して身構えておくと、それが起こった場合のダメージを幾らか軽減することが出来る。無防備なところにやって来た一撃はこたえる。ドクターはこれを大学時代の空手練習からつかんだ。組み手の練習で腹に突きや蹴りを受ける場合でも、お腹の筋肉を締めて身構えているときつい一撃でも結構耐えることが出来るが、油断して無防備な時にもらった一撃は耐えられないほど痛い。空手以外の人生諸事でも最悪を想定しておくと、実際に起こることはそれよりもマシなわけで、また備えているのでダメージに耐えることが出来るし、仮にダメージがこなかった場合などは得した気分、ルンルン気分さへ感じる。最悪を想定するのは、毎日をお気楽に暮らすためにも適したやり方なのだ。今回の新型コロナにしても、ドクターが最近気になっている市の絶こうちょう化についても最悪の想定から見れば、まだ随分がんばっている。油断は禁物だが、最悪想定から見ればまだましと思って気分を明るく持つことも大事だ。丹波篠山市の最悪想定シナリオは人口減による市の消滅だが、それから比べると現状は油断してはいけないが結構健闘しているともいえる。これからも最悪想定思考法で気分を明るく持ちながら、元気を出してさらなる対策を考えていきたい。

 ☆ついに本当にトレーニング2000回の時がやってきた。この時期なので華々しい記者発表はできなかったが、最悪想定では新型コロナ対策でジムの閉鎖も考えられたが、実際にはその時トレーニングに来ていた篠山東雲高校時代の教え子に祝ってもらえた。教え子とのツーショットなど長らくなかったことで、これはひょっとしたら最悪どころか最高の記念日だったかもしれない。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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