Dr.706 特異日(6月23日)
昨日はいろんな人から電話がかかってくる特異な日だった。いつもはあっても1~2件なのだが、昨日は5~6件もあった。毎年6月22日がそういう日だということではなくて、時々日常とは違う特別なことが重ねて起こる日がある。人生や世の中って科学や理屈通りではない不思議なことが一杯あって、だから面白い。それはともかく、そのうちの一つの電話が40年ほど前にドクター丹後が参加していた学生キャンプ団体「神戸市ジュニアリーダー」の後輩という方からだった。その方は今は徳島にお住まいだが、娘さんが現在丹波篠山市に勤めていて、この間の選挙で市会議員になった人の中にこんな(変な)人がいると娘から報告を受けて、それが丹後(当時のキャンプネームは確か『笑顔の使者』だった)先輩ではないかと思って電話をくれたらしい。約40年ぶりの電話で懐かしく嬉しかったが、ご本人自身の記憶は思い出したような出さないような曖昧なままで、申し訳ない感じだ。ただ自分の記憶力は退化中で過去だけでなく現在も危ない状態なので許してください(今の自分が「ドクター」なのか、「笑顔の使者」なのか「絶こうちょう」なのかも定かでなくなってきた)。
☆昨日は初代校長を勤めた(多分)篠山東雲高校の振興会の会議に出たが、発言中一つの事(積極的な新入生勧誘策で入学者を増やしてほしい)を言っている間に、もう一つの言いたかった事(卒業生に市内企業の素晴らしさを紹介できるように、教職員が市内企業を知るツアーに参加してほしい)を忘れてしまうほど忘却力は進んでしまっていた。昨日の電話が5件だったのか6件だったのかも曖昧になってきたが、会議中の写真を撮ることとブログ内容を「得意日」にすることは忘れていない。勝手もの忘れかもしれない。


Dr.705 友あり遠方より来る(6月22日)
高校時代の剣道部仲間が集まった。去年の秋に黒枝豆収穫パーティーをして以来だ。この五人(この頃は6人)はほぼ毎日のようにグループラインで他愛ないこと(入浴剤タブレットを飴と間違えて舐めた等)を話し合っているが、このおしゃべりがどれだけ毎日に潤いを与えてくれることか。今は川西市や芦屋市・三田市などに住む仲間とあの頃のことを話していると青春時代が蘇る。今はもう誰も人生の荒波を経験して、それなりに傷やしわが増え老化も進んでいるが、それぞれの得意分野や老練した(一部青い所も残る)考え方も垣間見え本当に面白い。同級生の中には他界した人もいる中、こうして生き延びこんな会が開けるとは。本当にありがたいことだ。これからも恵まれた人生や関係者の皆様に感謝しながら、自分にできるだけの恩返しをしながら、いつか終わる人生を元気に歩んで行きたい。あっそうか、これが寅さんがいう「生きてると、生まれて来てよかったと思うことがなんべんかあるじゃない、そのために生きてるんじゃないのか」というセリフの「生まれて来て良かったこと」の一つに違いない。一生に何べんかしかない貴重な一回がもう終わってしまったかと思うとちょっと焦りもするが、そんなセコイ考えを脱して明るく生きないと成熟した仲間に入れてもらえない。本当にいろいろ成長していて、それでいて偉そうぶらない素晴らしい人たちだった。
☆黒豆の植え付けをした後、今は離れ離れに住む高校同級生達と楽しい時間を過ごさせていただきました。





Dr.704 隗(かい)より始めよ(6月21日)
自分の水田横の用水路の泥上げを行った。本年度から村の水利組合長を流れでやらせていただいているが、村の皆さんに各自の田頭(たがしらと読み、自分の田に隣接する意)の水路の掃除は自分で責任もってやってくださいよとお願いする立場としては、先ず自分から始めなければと思ってのことだ。やってみると鍬がどうにか入るような小さな用水路で周囲が坂になっているところ(ほとんどの用水路は斜面の下を走っている)は、長年にわたって土が水路にかかり草や根が水路の上側に被っていて、それを取り除きながら水路に溜まっている土や砂利をすくいあげるのは結構しんどい作業だ。それでもこれを放っておくと大水が流れた場合などは溢れてしまう恐れがある。水路は一か所潰れるとその後に水が流れない。溢れた水が田や畑の土手を潰すかもしれない。だから水路掃除は大事だが、その総延長は膨大なのでとても数人の水利委員で全てをやることはできない。なので田畑の所有者にお願いするしかない。お願いするには自分が出来ていないと始まらない。だから昨日の溝掃除となったのである。あれっ話が元に戻ってきた。話がグルグル回って元に戻ることを「隗より始めよ」とは言わなかったけ、先ず「隗より始めよ」の意味を調べることから始めなければならないか。そもそも「隗」ってなんだ。そもそも今回の内容がこの「隗より始めよ」のタイトルで良いのか。そもそもドクターは何故毎日こんなだらだらした文章を書いているのか。そもそも何のために議員になったのか。何のために生きているのか、話がややこしくなってきたが、こういう場合はどんな諺があったけ。
☆昨日の溝浚えから始まった今日のブログだったが、話がややこしくなってきた。これを表すタイトルとしては「支離滅裂」あたりかな。


Dr.703 ハイテク・ローテク(6月20日)
ドローンによる除草剤散布デモンストレーションがあるというので見に行った。ドローンによる農薬散布は既に実用化されているので、ドローンを使った農作業は既に最新ハイテク(スマート)農業とも言えないかもしれないが、目の前でドローンの緻密正確な動きを見るとやはり驚愕してしまう。飛行の高さ、経路、撒き幅なども数センチ単位でスマホのアプリで操作できる。ドクターが何日か前に背負い散布機で二日かけてやった面積を数分で終わらせてしまうし、ドクターのようにどこが自分の田だったかと迷うこともない。恐るべき科学の進歩だ。しかし、このハイテク機械もいつまでも最先端のハイテクではなく、いつかはそれを超える機械や手法が出てきて、やがてはローテクとなって行くのではなかろうか。人間はどんどん科学技術を発展させ、その恩恵を受けて生活は随分楽になったが、それにともなって出て来る問題や生活様式の変更に苦慮する面もあって、科学の進歩は万能ではない。ドクターのあまり機械を使わない(正確には使えない)ローテク農業も、機械を使わない分身体を使うので体力維持やストレス発散になり、自然や季節を感じながらの農作業は心の栄養にもなる。農作業だけでなく生活のいろんな分野でそれなりにハイテクも使わなければならないが、基本的には自分はローテク人間だ。ローテクの良さを忘れないように生きて行きたい。
☆数センチ単位で除草剤を撒くドローンを使ったハイテク農業のデモンストレーションを興味本位で見に行ったローテク男。





Dr.702 様相一変(6月19日)
今朝小雨の中をいつものように田んぼの様子を見ながらランニング(歩くおばさんよりも遅い)をしていると、昨夜の大雨でいつもは穏やかな川や溝に濁流が激しく流れ様相は一変していた。あまりの違いに戦慄が走るほどだ。天気の良い日ののどかな風景からは全く想像できない激しさだ。自然の厳しい面を思い出さされるのと同時に、人間界にもこの様相一変する人がいることが思い浮かんだ。何かの拍子に日ごろの穏やかな表情とは一変した激しさを見せられる。そりゃ人間誰しも多面的な顔を持っているので、状況によって相手によって態度が一変するのはあるとは思うが、人間が浅く裏表を擁するほどの深さがないドクターとしてはよくもこれだけ変われるものだと驚くばかりだ。態度や感情が一変する人も何度もその一変を見慣れれば、一変する人だという構えが出来るのか、毎回そんなに驚かなくはなる。それと比べると今朝の溝川を流れる濁流の激しさは衝撃的だ。これまでも何回か自然の激しさを体験してきたとは思うが、やはりこの激しさには慣れられない。やはり自然は舐めてはいけない、要注意だ。
☆家の側溝を流れる水の様子。濁流とは言えないがいつもののどかさとは変わっている。自然も人も一筋縄ではいかないが、もう少し単純に穏やかに暮らしたいものだ。



