Dr.491 生きる理由(10月30日)
『生きる理由』『生きる目的』については様々に語られる。今回新たに「男はつらいよ」の寅さんが「生まれてきてよかったなって思うことがなんべんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃないのか」と語っているのを知った。これもいい言葉だ。普段はそんなにいいことにいっぱい出くわさないけど、1年に何回か「いいなあ」「良かったな」と思うことがある。後から思い出して何度も幸せな気分になれる。基本的には辛いことや苦しいことが多い人生だけど、時々幸せな時間・ことが訪れる。そんな時に生きてて良かったと思う。生きてないと出会えないのだから、普段は毎日良いことが起こるなどと期待しないで、たんたんと日々のしなければならないことをやっていく。するといつか分からないけど、たいていは突然に、思いがけないいいことが起こる。ドクターにも何度かそんな体験があるので、「生きてるといつかいいことがある」というのは間違いないが、ポイントはあんまり期待し過ぎないことだ。期待し過ぎるとなかなかやってこない現実に疲れてしまう。期待していない時にこそ、良いことや良い知らせがやってくるというのも体験から言える。さて今日も良いことが起こる期待は奥にしまって、たんたんと今日やるべきこと、やる羽目になったことに平常心で取り組んでいこう。
☆昨日知り合いの方から「悩んでいた時、ドクターが数年前に書いた文章で元気をもらいました」というようなメールを頂いた。こんなことがあるから生きているのかな。

Dr.490 趣味を持てとは言うけれど(10月29日)
定年後は勿論、定年前でも人生の充実には趣味を持てと言われる。ドクターの周りでも歴史研究や茶道、ランニングにバイクに音楽演奏などそれぞれの趣味を楽しんでいる人は多い。趣味があると人生が楽しくなるのはよ~く分かるけど、問題はだからと言って趣味とは無理に持つものでもないだろうし、無理したとしても長続きはしない。趣味ってやっぱり、健康のためだからとか人生には必要だからとかいう理屈でやるものではなく、損得勘定を抜きにした好みの問題だろう。かくして、ドクターなどのように無趣味な人は「趣味を持て」「趣味があると楽しい」と声高に言われるほど肩身が狭くなるのを感じる。そこで今回は無趣味派を代表して「趣味がなくても元気に生きられる」ということを主張したい。もしかしたらドクターは、「ブログやSNSなどは威勢のいいことばかり書きすぎる」「無趣味で静かに生きてるけど、こんな失敗した、こんなことで悩んでますみたいな、マイナスなことも書け」「その方が人間らしいし、同じような逆境に生きる人には励みになる」みたいなことを主張するのが趣味かもしれないという懸念もあるが、趣味趣味と声高に言わなくても生きて行けるし、生きてると自然に見つかったり、自分で気が付かないうちにやってることが趣味だったりということもあるかもしれない。ドクターの場合も自分では趣味だとは思っていないが、冒険指導したり、毎日運動したり、ブログ書いたり、お菓子や菓子パン食べながらコーヒー飲むのも趣味と言えばいえるか。もっと言うと、寿命まで生きるのが趣味かもしれない。
☆昨日「八上城へいざ出陣」が新聞に載った。もしかしたらイベント参加好きも趣味かもしれない。趣味、趣味言わなくても好きなことをしてら結構人生面白い。それを趣味っていうんでしょうかね。無趣味派の弁護になったかな。


Dr.489 波多野秀治の母(10月28日)
来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀が丹波の八上城を攻めた時に、粘り強く抵抗する波多野氏に降伏を勧めるために人質として自分の母を差し出したという伝承がある。降りてきたら命は助けると言っていた信長は「やっぱり強敵の波多野氏は生かしておけない」と波多野兄弟を殺してしまった。その無念を晴らすべく残った家臣たちは光秀の母を磔にして最後の戦いをしかけ八上城は滅んだという伝承だ。光秀にしてみれば自分の母を信長によって殺されたも同然なので、その恨みが本能寺の変につながったとつながっていく。高城山には「伝はりつけの松跡」という看板もたっている。昨日の『いざ出陣高城山』というイベントで、参加者の皆さんに大胆にも高城山の歴史を語っていた時に、この伝承を紹介して、そこで「光秀の母」と言わなければならないところを、「秀治の母」と言ってしまった。秀治の母なら残った家臣は、自分の主人波多野氏の母を磔にしたわけで、全く何のことかわからないことになる。そいえば、昔高校で日本史を教えていた時にもこんな言い間違いをよくしていたように思う。早々に日本史教師を辞めて冒険の世界へ入ったのは正解だった。
☆麓の出陣式で怪しげな歴史解説「高城山の歴史」をして、参加者を先導して見晴らしのよくなった高城山に上がってきました。




Dr.488 見掛け倒し(10月27日)
三木市で行われた「ふれあいフェスティバル」で沢山のブースの一つとして嬉野台生涯教育センターが出店した「HAP体験コーナー」の指導をやった。親子連れやステージ出演後の大学生などが立ち寄ってくれ、短い時間で普段の冒険指導とは違うけど、それはそれなりの楽しい時間で協力の大切さを知ってもらうことも出来たかな。衝撃だったのは、近くのブースでやっていた血管年齢チェックを受けた時のことだ。測定までは「実年齢は62歳だけどそうは見えないでしょう」「そうですね、お若いですよね」とか言いながら臨床検査技師さんと盛り上がったトークをしていたが、数値が出ると技師さんの顔が曇り、結果を印刷した紙をもらったドクターの顔が引きつった。なんとそこには「あなたの血管は老化が早く、血管年齢で言うと84歳です」とあった。「改善のためには、運動と食事に気を付けてください」と言われたが、運動は毎日してるし、食事は野菜も含めていろんなものを食べるようにしている。お酒は毎日飲んでるけど。外見は若作りしてるけど実年齢は結構いってる、一見食べ物や運動には気を付けているように見えるけど、血管老化は非常に進んでいる。これはドクターの特徴「見掛け倒し」を見事に表している。この「見掛け倒し」は持って生まれた性格でこれまでこれでやってきたので急には変えられない。「見掛け倒しは」悔しいけど、見かけはそこそこいけるわけで、初対面の人や取っ付きはじめには良いという利点もある。今後は「見掛け倒し」を活かした生き方と、少しは中身の充実・改善に努めていきたい。
☆ふれあいフェスティバルのオープニングからHAP体験までは順調だったが、血管年齢測定で血管も性格と同じく「見掛け倒し」ということが分かって、これからを深く考えさせられた一日だった。



Dr.487 家のとうき(10月26日)
「家のとうき」と言っても、うちの家が焼き物で出来ているという「陶器の家」でも、我が家の雪対策など「冬期の家」の話でもなく、ドクターの住んでいる家を登記申請したという話だ。家の登記をしたと言っても家を新築したという豪勢な話でなく、これまでからずっと住んでいる築40年以上になる我が家をやっと登記しようとしているのだ。それでは今までどうなっていたかというと、平成26年に亡くなった親父の名義のままだった。なぜ今まで放っておいたかと言えば、土地は直ぐに相続登記したが、住宅の登記を見ると曾祖父や本家の先祖、その他にも知らない人の名前があったり、もっと言えば今ない建物がいっぱいあって、どうしていいか分からずそのままにしていた。要するに親父も一部を除いてそのままにしていたということだろう。このままでは家を売ろうにも売れないし(今のところ売る予定はありませんが)、後の世代になると余計に分からなくなるだろうと、この際気合を入れて、専門家の助言も受けながら現況の家の状況を登記し直そうと思ったわけです。その第一陣として、親父名義になっている部分をドクター名義に登記し直そうとしている。後は滅失登記とか何とかややこしい部分は専門家に任そうと思っている。話がややこしくなってきたが、要するに家の登記申請を自分でやろうと近くの法務局へ行って申請したら何とか受け付けてもらえて嬉しかったという話です。この申請をするだけでも結構何種類も書類を整えなければならないのでなかなか大変で、それが受け付けてもらえたのは、ひと仕事をやり終えた感じでちょっと達成感がある。やっぱり家の登記でも冒険教育でもなんでもがんばった後はちょっと達成感が来ますね。やっぱり時々は頑張ってみるのもいいもんだ。毎日は勘弁してほしいけど。
☆法務局へ家の登記申請をしに行って、何とか受け付けてもらえたのを喜ぶドクター。何でもがんばったことの結果が出れば嬉しいものです。このブログ更新・写真掲載も昨日はなかなかうまく行かず、今日は今のところスムーズで後は「公開する」タブを押すだけだけど、これがうまくアップできればこれも嬉しいです。上手く行きますように。それっ

