Dr.667 固定観念を疑おう(5月13日)
人口減少は全国的な傾向なので、自分の市町の人口減も止めることはできないと考えるのは固定観念にとらわれている。市の絶こうちょう化でも人生の生き方にしても固定観念にとらわれずに柔軟に考えた方が発想も広がり解決策も見つけやすいし、生きやすくもなる。唐突な話だが、先日ふとしたことから「顎髭は剃らない方が清潔だ」という話を知った。何でもその研究によると医療従事者などが毎日顎髭を剃るとその切口から細菌が侵入するので、衛生的には顎髭を剃らない方が清潔ということだ。一般的には顎髭は剃っている方が清潔感があるように思われているが、それは固定観念と言うのか通常の見方で、一歩進んでその考えを疑えば、髭を剃らない方が衛生的と言う合理的かつ一般論とは正反対の結論が得られる。顎髭の話から市政の革新や絶こうちょうの人生論まで話を持っていくのは行きすぎなような気もするが、何事も一般常識や世間の見方にとらわれない柔軟な思考(固定観念を疑うこと)が思わぬ解決策や生き易さにつながるというのは言えるのではないでしょうか。
☆昨日は議会広報委員会が早めに終わったので昼から田植え機を移動していたら、(選挙があったのに)もう田植えが出来るのかというお声を聞いたが、田植え機を動かしたからと言って田植えが直ぐにできる状態にあるというのは固定観念です。時間がある時に移動させただけで、田植えはまだ先です。ドクター丹後の微妙に伸びた顎髭、顎髭は伸ばした方が衛生的であるとか何とか言ってますが、単に剃るのが無精なだけかもしれません。何でも言説は鵜呑みにしてはいけないってことですかね。


Dr.666 不要不急の人生論(5月12日)
本日の新聞でYさんが「自分の人生は不要不急みたいなものだ」というようなことを書かれていた。新型コロナウィルス感染拡大とともに言われだした「不要不急の外出は控えて家にいてください」という言葉に触発されて書かれた文章だとは思うが、眼下のコロナ問題を離れて哲学と言うのか人生論としての色合いが濃いい。ドクター丹後としても、現実生活では特にこの5月から始まった市会議員としては、その案件が必要なのか不要なのか急ぐのか急がないのかの判断は必要だが、自分の生き方と言うのか人生論としては不要不急の判断は急がない方が良いと思っている。そもそも自分の人生の意味(何のために生きるのか)が分かってはじめて、それに照らしてこの出来事は必要なのかそれほど必要でないのか是非とも急ぐのか何時でも良いのか等の答えが出てくると思うが、その根本の人生の意味論にはあまり踏み込まない方が自分の生き方として良いと思っているからだ。勿論生き方は人それぞれで、自分の人生の意味を追い求めて果敢に生きる人生を選ぶ人があってもいいが、ドクターの性格やこれまでの人生経験からは、「人生はただ生まれ、運命や様々なご縁に導かれて自分にやれることをやれる範囲で精一杯やって、お迎えが来たら終わる」それ以上でもそれ以下でもない。人生を粗末にするつもりはないが、あまり大層に考えすぎると却って息苦しく折角の人生をしくじるように思う。自分には流れにお任せして、たんたんと朗らかに上機嫌に絶こうちょうに生きるのがあっている。
☆自分の家から見える山の中の藤が奇麗だ。たまたま丹波篠山市のこの田舎にこの家系の中に生まれこの時代を生きている。昨日のような晴天もあれば雨の日もある。人生論としては「不要不急」にとらわれない方が性に合っている。




Dr.665 レジリエンス「回復力」(5月11日)
連休中の農作業は肉体的にきつかったし、身体のあちこちに切り傷や打ち身もできた。とはいっても、擦り傷、手指の皮めくれ程度の大したものではないが、それが今朝見ると、擦り傷跡に皮がはり傷跡はあるものかなり直ってきている。自分の肉体の持つ回復力の凄さを感じた。そこで思い出したのだが、心理学などでストレスなどの打撃から元に戻ろうとする力を「レジリエンス」(回復力・復元力)などと呼んで、人は多かれ少なかれその力を有しているので、その回復力を上手く使ってストレスフルな社会を生き抜くことが大切だという話だ。上手く事が運んでいる時はその波に乗って絶好調で盛り上がって行くが、ひとたび打たれると弱くチョット嫌なことが続くと直ぐにメゲテしまうガラス心臓のドクター丹後としては、何としてもこのレジリエンスを鍛えていきたいと思ったものだ。レジリエンスを高めるには、「現実的楽観性」や「柔軟性」を大事にし、「自分がコントロールできることだけを見る(他は流れに任せる)」「(自分の弱点を直すより)自分の強みにフォーカスして自分の生きたい人生を生きる」等すればいいと言われる。農作業傷跡の回復力を見て、自分の中に確かに肉体的回復力はあるということに自信をもらったドクターは、精神的な回復力「レジリエンス」も確かにあると思って元気に歩んで行きたい。
☆連休中の農作業で傷(といってもかすり傷ですけど)ができたドクター手も、早くも傷跡に皮がはって回復してきた。これからの人生でも多くの傷を受けるだろうが心の回復力を信じて、明るく絶こうちょうで歩んで行きます。




Dr.664 力のでる言葉でない言葉(5月10日)
議員活動や合間を縫っての田植え準備でバタバタしている早朝(7時頃)、道路横の田んぼで畔着け作業をしていたドクター丹後に、散歩で通りかかった同級生が「(議員当選)おめでとう、顔が活き活きしてるわ」と声をかけてくれた。こちらは早朝からの水当てや農作業でヘロヘロだったので「もうバタバタで倒れそうやわ」と答えたものの、「人からは元気そうな顔に見えるのか、自分では慣れない議会と時間が限られている中での急農作業で疲れたように思ってたが、ひょっとしたらまだまだ元気なのかもしれない」と元気が出て来た。他にもドクターの現役校長時代の言葉に感動したという人の声や道端で出会う子どもたちや地域の方の明るい挨拶や励ましの言葉は元気が出る。半面、最近のコロナ禍で不安から中傷や心無い行為が増えているという。当人に悪気はないとしても、言われた人は元気を無くす。ドクター人生訓では、「幸せは人に与えることから始まる」というのがある。まずは自分の発するその言葉で、言われた人が元気が出るのか出ないのか、それを考えるようにしたい。人に元気を与える言葉を心掛けていると、やがては無意識にできるようになり、そういう人には仲間や幸せが集まってくる。「与えたものが返ってくる」というのも教訓好きのドクターは教訓にしています。
☆議会出席時には軽トラに百姓衣装を積んでお城近くの駐車場にとめて柔軟な対応ができるようにしています。「備えあればう患いなし」これはありふれた教訓ですけど。



Dr.663 張り切りすぎ(5月8日)
連休明けと共に、さあ議員活動だと張り切ったドクター丹後は、知り合いの小学校管理職やら市役所職員の方やらに「新型コロナで困っておられることはありませんか」と聞きに回った。市民の声を政治に反映するという決意で議員になった以上、職場が再開するのを待ちわびて声を聞こうと訪問したのだ。ところが何事も張り切り過ぎは良くない。特に市役所各部を訪問する時などは事前に議会事務局を通さなければならないというルールがあることを知らなかったのだ。議員になった以上は、知り合いだからと形式ばらずざっくばらんにお話をお聞きするというのはできにくいらしい。声を聞いたり実態を把握するのも配慮を要するということが分かった。今後の議員活動の教訓として活かしたい。張り切り過ぎず自然体で行くというのも、これまでの人生で学んだはずだったが、より一層肝に銘じて今後の人生訓に活かしたい。ともあれ、その後の会派例会で今後の活動方針を協議したが、新型コロナ対策の緊急経済対策を中心にいろんな意見が出て、先輩議員の皆様の市政に対する熱い思いに改めて感動するとともに、この皆さんからしっかり学んで一日も早く政治家としての力を付けていかなければならないと思わされた。農業振興・農村と観光振興・丹波篠山で起業しようとする人の支援策・移住定住者増策・特産物振興・空き家活用策・丹波篠山市の魅力を活かした企業誘致策など多様な意見で納得するものばかりだった。加えて今回当選した新人仲間の頑張る姿も近くにあって元気をもらっている。本日もがんばりま~す。
☆昨日は張り切りすぎて、いろいろ動き回ってご迷惑もお掛けしたが、収穫もあったり、見事な天気や景色、家に帰ったら励ましのお手紙拝受、絶こうちょう丹後、今日も一日絶好調でがんばれま~す。





