Dr.853 挫折は好機(12月17日)
本を読んでいると、「挫折や失敗や不幸は自分を成長させる試練であるから、そういうものに出くわしたら自分を豊かにする好機ととらえるべきだ」というようなことが書かれていた。厳しい自然環境の中で生まれた宗教などにもその様に説くものがあるということだ。この観点から言うと、そこそこまあまあなお気楽人生では人間としての成長がないということになる。人間的な成長もいいけど、お気楽まあまあに最後まで生きられるなら、それでいいようにも思うが、そうは問屋が卸さないということか。ドクター人生を振り返ってみると、その都度都度には大変なこともあったように思うが、著者が述べられているような「3年間の入院」や「身体が動かなくなるような事故」というようなものには出くわさなかった。何度か言うように、人生の幸不幸に絶対的な尺度はないと思うので、その出来事の大きい小さいは一概には言えないとは思うが、今考えると神のご加護で有難い人生が送れているように感謝している。今後どのようになっていくのかという不安はあるし、今回の本のように「人生に挫折は有意義」みたいな言葉に出会って誰の人生にも厳しい挫折が訪れるのかと思うと益々心配になるが、これも何度も言うように、考えてもどうしようもないこと(この頃では人生のほとんどがそうではないとさへ思っている)は流れに任せ、淡々と生きて行きたい。
☆雪景色の中、昨日の一般質問を振り返るドクター。「ふるさと教育のさらなる充実」と「地元と協働した高城山の整備」についてだったが、完璧な満足ではないが、ここでも他の人生模様と同じく「そこそこまあまあ」って感じで感謝している。


Dr.852 いかにして生きるか(12月16日)
本を読んでると「いかにして生きるか」という、昔20代が悩んだテーマを今は40代が悩んでいる、というようなことが書いてあった。40代でも少しは悩んだが、公務員という立場は捨てなかったドクターとしては、60代の定年後にこのテーマと格闘している。30代でも40代でも現役中は、次から次からやるべき用事がやってきて落ち着いて悩んでいるヒマがないという感じで、忙しいことは忙しいけど、人生の大きなテーマには深入りしなくても良いという利点はあった。遅かれ早かれ、「いかにして生きるか」というテーマはやってくるということだ。特に定年後は、会社(組織)という枠がないだけに、自由もあるけど自分で一からやりくりしなければならないという大変さもある。年金で最低限の生活は出来る(今のところは)というのは有難いことだが、無前提で「それじゃ何をするか」という問いの答えを見つけなければならないという精神的な課題はより大きい。「贅沢な悩み」と言ってしまえばそれまでだが、悩みに絶対的な尺度があるわけではなく、悩んでいる人はみんな主観的に深い悩みの中にいる。自分の悩みが贅沢と気づけば結構悩み解消に近いかもしれない。今のところのドクターが出している「いかに生きるか」への答えは、「考えてもどうしようもないことは流れに任せて、ともかく今日一日を充実して生きる」というものだ。そして、一日が充実してたかどうかは、「晩飯の一杯が美味しいかどうか」で判断するというものだが、これはまだ模索中の指標でどこまで勧められるかは分からない。
☆この前タイヤ交換で整備屋さん事務所で待ってたら急に霰が降ってきた。人生も寒かったり酷暑だったり、雨も降れば暴風もある。どんなときにも対応できる「いかに生きるか」答えを見つけたい。



Dr.851 今日は仕事ですか(12月15日)
午後からの用事のためネクタイを締めて行ったトレーニングセンターで、受付の方から「今日は仕事ですか」と声をかけられた。いつもはネクタイなしの普段着なので、疑問に思ってのことだったのだろう。そこでこちらの答えは「えっまあ、仕事のようなそうでないような」という曖昧なものになってしまった。議会広報の表紙写真を撮る目的で市内のある地域で行われる「しめ縄づくり」を取材しに行くという用事なのだが、仕事と言えば仕事だし、そこで自分が何か特別な役割(写真撮影以外)を求められている訳ではないので、狭い意味での仕事ではなし。結局は、そんな機会でもなければ話が出来なかった地域の方と、地域の課題も含めてお話しできたので、議員として市内各地の課題に触れるという意味では大切な仕事となったわけだが、このように議員の仕事や定年後の生活では、どこまでが仕事でどこからがプライベートを分けるのは難しい。むしろそんな区分けに拘らず、日常全てが「生きる」という意味で大切な用事をしているという思いで、どれも大事にしかし力を入れ過ぎず、たんたんとしかし楽しみながら取り組んで行きたいと思う。
☆珍しくネクタイ姿でトレーニングへ行ったので、「今日は仕事ですか」と聞かれたドクター。その後、地域の「しめ縄づくり」を取材に行った。もちろん「生きる」という大事な仕事だ。



Dr.850 あるものがない(12月14日)
今朝は新聞休刊日で新聞がなかった。いつも早朝に菓子パンを食べながら新聞を見るのを日課にしている。今回の休刊日は事前に分かっていたので、今朝は他の本や冊子を読みながらその時間を埋めたが、毎回新聞がないときつい。新聞が配達される普段は、新聞を読むのが当たり前のことだが、いつもあるものが無くなって見て初めてその有難さが分かった。朝食を食べる時にラジオで英会話を流すのも平日の朝のルーチンだが、これもチョット変なところを触って周波数が変わってしまい、今朝はラジオ英会話に戻すことが出来なかった。そんなに熱心に聞いている訳ではないが、BGMとしても英会話がないのは寂しい。そんなこんなで、いつもあるものが無くなった時、その有難さが分かるということを重ねて経験した。毎朝のランニング(ウオーキング)や美味しく食事を頂いたり、一杯飲んだり、熟睡したりすることなど、今のところ当たり前に出来ていることの有難さにも、無くす前から気付いて、感謝しながら出来るだけ長く恩恵にあずかれるように努めるようにしたい。平和や美味しい空気、安全な食べ物など他にもいっぱい、その有難さに気付かなければいけないものはあると思う。できれば今回の新聞やラジオのように、有難さに気付くことはできるかもしれないけど、無くなる体験があまり増えませんように。ちょっと厚かましいけど。
☆用事があって普段いったことのないところの景色をみることができた。これも当たり前のことではなく、いろんなものがあるから可能になった有難い体験。


Dr.849 あっという間の時間(12月13日)
同じ時間でも退屈な時間は長く感じ、楽しく没頭している時間はあっと言う間に過ぎるという。ドクターの昨日は苦手なパソコンによるハガキと宛名書きであっという間に過ぎた。宛名書きには年賀状などによく使われている便利なソフトがあるのだが、これがなかなか機械(パソコン)オンチには厄介な品物だ。パソコン教室の先生に指導を受けながら、30枚ほどのハガキを作成するだけで1日かかった。冒頭に戻って、あっという間に過ぎる時間は充実没頭した時間の証だと言う説には違和感がある。不得意な宛名書きソフトを使ったハガキ作りは、流れでやむなく引き受けた役のためのもので、これに時間を取られることは仕方がないことだとしても、決して自分がやりたいこと、望んだ楽しい時間ではない。しかし、流れによる人生派のドクターとしては、流れでこの役が終わるまでは、自分にできるベスト(とは言わないまでもソコソコのこと)はやるしかないと思っている。でもまあ他の急用もなくあっという間に1日が終わったことは、今日は何をしようと悩まなくても良かったわけで、これはこれでアリかもしれない。毎日は勘弁してほしいけれど。
☆先週の紙のリサイクルの日に妻から頼まれた紙の運び屋。頼まれごとやその日にやらなければならないことを中心に1日の流れが決まり、あっという間に1日が終わる受け身の生き方。これでいいのかあかんのか自問は続く。



