Dr.764 神の御下賜(9月7日)
このところ「神」シリーズが続いている。何度か言うようにこの「神」は特定の宗教の神ではなく、人智を超えた宇宙の意志・何か大きなもの・運命・縁・流れとかと一連のもので、人間は自分の力・意思だけで生きているのではなく、こうした「神」のお力やお助け・お導きによって生かされているという考え方によっている。この考え方が真理かどうかは分からないが、ドクター的にはこうした大きな力の存在を想定した方が生きやすい。上手く行っても・良いことがあっても自分の力だけで成したのではなく、上手く行かなかったとしてもそれは自分の不甲斐なさの精だけでなく何かの示唆であると考えた方が、謙虚で逞しい生き方が出来ると思っている。その方が生きやすい。だから良かったら皆様にもお勧めしたいと思って「神」シリーズが続いている。何も自力による試み・努力を否定するものではなく、自分のやりたい方向に向かって精一杯取り組むのは良いと思うが、がんばったから成功してがんばりがたりなかったから成功しないというほど人生そんなに単純ではないということだ。そんな感じで「神」や「流れ」を敬って生きている(正確には生かされている)ドクターとしては、時折、試練やご褒美をいただく。昨日の頂き物は息子とゆっくり農作業が出来たということだろうか。貴重な思い出として心のアルバムにしまっておきたい。きょうはどんな一日になるのか楽しみにしながら。
☆昨日は農作業の前にイチジクの収穫をした。これも有難い天からの恵みものです。


Dr.763 神の試練(9月6日)
前回は神のご加護について書いたが、今回は一転「神の試練」についてがテーマだ。というのも昨日は後もう少しで一つの田んぼの稲刈りが終わるというところにきて、急にコンバインの刈り取りが出来なくなった。最初村の機械に詳しい方に見てもらったら、ベルトを回すワイヤが切れているということが分かった。そもそもの原因はドクターが早く一つ目の田を終わらせて、もう一つ目へ行こうと焦って、一度に想定よりも多くの稲束を刈ろうとして負荷をかけ過ぎたことにあるようだ。村の人曰く「だいたい故障は焦った時に起こる」ようだ。これも含蓄のある言葉でうちの村には人生の達人が多い。それはともかく、この故障を神の試練と捉えて、こんな時にどうするか、ここから何を学ぶかが試されていると思い今回の故障に対した。先ずはこのコンバインを買った業者に連絡をとり修理に来てもらった。この時期はどこでも故障が頻発し、なかなか直ぐには来てもらえないのだが、何とか30分ほどで来てもらえた。診てもらうと店へ持ち帰って修理する必要があるという。そうなると今後の稲刈り予定が狂うと困っていると代車を貸してくれるという。代車到着までの間を息子と村の神社の駐車場で過ごして、何やかやととりとめのない話しが出来た。そうこうしていると新品の代車を載せたトラックが到着し、その代車で雨が降る前に刈り残した稲を刈ることが出来た。刈り終えた籾を乾燥機に入れて軽トラを駐車場に入れた後まもなく雨が降り出した。こうしてこの日の作業は予定通りではなかったが、何とか終えることが出来た。この試練から「人生予定通りには行かない」「予定通りに行かなかった時は出来る範囲で最善を尽くす」「後は流れに任す」等の教訓を得た。一連のドクターの対処は神から見ればどうだったのだろう。確かに試練は多くの学びを得られるが、出来ることなら「神の試練」よりも「神のご加護」からの学びの方にして頂きたい。こんな調子の良いことを考えている奴には、新たな神の試練があるかもしれないと畏れている。
☆午前中は神のご加護で何とか臼摺を終えることができたが、午後の稲刈りではコンバインが故障して業者に来てもらうという神の試練が与えられ、最後は代車による稲刈り終了という神のご加護で一日が暮れた。今日もよろしくお願いいたします。


Dr.762 神のご加護(9月5日)
昨日は雨の予報が出ていたが、本格的に雨が降る前に稲刈りが出来た。降ってきたら止めようと、軽トラに積んだ米コンテナとコンバイン用のブルーシートを持ちながらの作業だったが、何とか予定の田んぼを刈り終えシートを被せた途端に雨が降ってきた。刈り取り作業にしても、いつもは水が溜まっていてコンバインが通れず手刈りしなければならない箇所があるのだが、今回は何とか機械で刈れたり、その機械も動かないようになりそうな時が2~3回あったが、何とか最後まで動いてくれたりした。これを「神のご加護」と言うのだろう。特定の神ということでなく、「困った時の神頼み」の「神」だ。人知・人力を超えた存在を確かに感じる。人の役割としては、人事を尽くすことと、人知を超えた存在(神)に好かれるような言動を心掛けることだと思う。決して利己的だけであってはいけない。ドクターが普段からそれほど立派な言動をしているという自信はないが、天命(流れ・ご縁)でやってくる役割は引き受けるように心掛けていることと、人知を超えた存在(神)に対する畏敬の念は持ち続けている。それが良かったのか、今回の天候や機械運に恵まれた稲刈りとなった。こんなことがあると益々、そうした大きな力の存在を認めたい。大きな存在への賛否はおいといても、全てが人間の力で何とかなうるという思い込みは傲慢な生き方につながる心配がある。「神のご加護」に感謝して無邪気に喜ぶ、そういう生き方でこれからも行こう。
☆雨降り前に稲刈りを終えることが出来たのに加えて、息子と一緒に農作業が出来た。これも神のご加護と有難く嬉しく思っている。神様ありがとうございます。



Dr.761 プラス思考(9月4日)
何事も楽天的に捉えるプラス思考が生きやすいが、人間は進化的な特徴もあってマイナス思考(最悪を想定する)が一般的である(ドクター説)。最悪を想定して常にそれを心配して備えるマイナス思考は生きて行く上では必要なことかもしれないが、精神的には生き辛い。かと言って無理にマイナス思考をプラス思考にしようと思っても無理があり、あまりこだわりすぎるとプラス思考の出来ない時分に失望し落ち込む。そんな中自然なプラス思考人を村の中に見つけた。その人が立ち話のついでに「(丹後さんはー村ではドクターと言わない)いつも早く稲刈りしてやのに今年は遅いですね」と言われたので、「いやあ、今年は選挙もあって植えるのが遅れたから」と答えると、「今年は遅く植えた方が苗の育ちが良いみたいですよ」と言い、私が「でも本当は早く刈りたいのですが、田んぼに水が溜まっていてコンバインが入りにくいんです」と言うと、それには「今年は水が溜まっていた方が稲の生育には良いですよ」と言う。万事がこの調子で、ドクターの心配症発言を、プラス思考で補ってくれる。農業は自然が相手のこともあり自分の思うようにはいかないことも多い中で鍛えられたのか、なかなかの腰の据わったプラス思考だ。ちょっとしたことで一喜一憂して大騒ぎのドクターとしては見習うことも多い。プラス思考満載の楽天家にはなれそうもないので、流れ重視の自然派を目指すのだが、こうした身近にいる達人に学びながら自然道を磨いていきたい。
☆ビッグで友達お勧めのビール(発泡酒?)を買ったが、少しでも自分に有利な情報があれば飛びつくようでは、泰然自若の域には遠いか。


Dr.760 地域人材(9月3日)
廃校になった旧福住小学校の跡地活用を担うNPO法人 SHUKUBAが主催された「古文書講座」に参加した。講師は神戸大学の先生だ。古文書は兵庫教育大学の大学院で学んで以来約30年ぶりだ。古文書や歴史の話も面白かったが、講座には若い人も含めて大勢の人が参加していたのと、主催法人の理事長や理事を福住ではよく見かけるいつもの方々(ドクターよりも年配)が担っておられるのに感銘を受けた。ドクターがかつて篠山東雲高校校長でお世話になった時に地域活動の中心として活躍されていた皆さんが、今も地域の中心となって活躍されているのだ。新しい人がいないといえばそうかもしれないが、有意な地域人材が長くその地域を支えるのはすばらしい。地域をよく知る人だからこそできる地域を適切に運営できるし、新しい人たちもその輪が広がりかけている。各地域には中心となられる地域の人がいる。その人を中心に、若者や移住者も巻き込んで地域づくりが進んで行くのだ。翻って自分の地域はどうか、お前はその中心になれるのかと問われれば心もとないが、自分のキャラに応じた役割で地域に貢献したいという思いはある。ここでもご縁と流れや大きな意志(地元の意志を含む)に従い、たんたんと自分の出来る範囲でできることをやっていきたい。古文書講座は面白かったし、福住地域は移住者も多く活性化しているように思うが、地元には地元の、長くやっていればそれだけの課題やしんどさもあるのだろう。でも皆さん、明るくお元気なご様子だった。見習うとこころは見習いながら自分のできることをやっていきたい。
☆地域の人によって「古文書講座」が行われた旧福住小学校校舎。この講座にはご縁と流れで参加することになって、多くの学びを得させていただきました。やっぱりご縁と流れで生きるのが大事。




