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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.802 平和の大切さ(10月22日)

兵庫県遺族会の一員として(祖父が満州で戦死している)、淡路島若人の広場で行われた全国戦没学徒慰霊祭に参加した。戦後75年の節目ということで参加者はそれほど多くはなかったが盛大な大会だった。景色の良い屋外で椅子に座りながら、祖父ら先の戦争で志半ばで亡くなられた多くの人のことを思いながら、今の日本に生まれた幸せを強く意識した。今の日本でも各自それぞれ不調や心配事はあって、それぞれに大変だとは思うが、戦時中の生死を懸けた日々から見れば恵まれている所も多い。比較はともかく、今生かされていることの有難さに感謝して自分の出来る貢献をしていくことの重要性を再認識した。普段の慌ただしい生活では目の前のことに気を取られ、ゆっくりじっくりそうしたことを考える時間が持てなかったが、青空の下、海を見渡す絶景の場所で、自衛隊の音楽を聴きながら、一緒に参列した人たちの暖かい気持ちに包まれて、人生の大切さに思いを馳せる時間が持てたことは幸せだった。こうした時間を持てたからと言って直ぐに生き方が変わるわけではないが、少しは自分をより良い方向に変えていきたい。

 ☆絶景な位置に立つ戦没学徒慰霊碑の前で行われた式典に参加し、今の日本に生まれた幸せと、それを踏まえた人生の使命について考える良い時間を頂いた。

Dr.801 現場の悩み(10月21日)

議会が終わった後、市内小学校を回ってみた。何か困ったことはないかをお聞きするのと、地域との触れ合いでどのようなことをやられているのかをお尋ねするのが主な目的だ。3か所ほど回ったが、それぞれその学校特有の悩みを抱えておられるのが分かった。在籍する子どもや保護者との対応は勿論、スロープやトイレなどの設備面、教職員の過重負担、スタッフ不足、交通安全対策等と多岐にわたる。変わったところでは併設する幼稚園児に野菜を食べてもらう工夫や山の芋グリーンカーテンの収穫等があった。個人的には校長定年後の充実生活についてもアドバイスを求められた。何やかやとお聞きするうち、自分も現役時代は日々襲い掛かってくる現場の課題に四苦八苦(ちょっと言い過ぎですけど)していたことが思い出された。定年後の現在は、定年後を如何に活き活き過ごすかがメインとなる関心事で、時々は子どもとの触れ合いで活き活き充実していた現役時代が懐かしくなることがあるが、そういえば現役時代は楽しいことばかりではなかったし、今の生活は現役時代のような頻繁な悩みがない分お気楽な面もあることに思い至った。現役にしろ定年後にしろ、良い面もあれば悪い面もあるということか。現場の悩み解消に一役買うことができれば、定年後生活の充実にもつながる。日々の生活では、自分の今の生活のプラス面(恵まれている部分)をしっかりと見て元気に一日を送りたい。

 ☆秋の気配が出て来た市役所周辺。議会の全員協議を終えて小学校の現場を訪れた。現場には今も昔もいろんな悩みがある、急に議員がアポなしでやってくるなど。

Dr.800 やっぱりユーモア(10月20日)

人間ドックE判定(要精密検査)を受けて精密検査を受けに丹波医療センターへ行った。結局は医師の診察を受けるのに必要な様々な検査(CT・血液検査・心電図等)を受けただけで、その結果を見ての診察は来週となったのだが、その間病院内の待合スペースで待っていると様々な光景に出会った。看護師さんと患者さんのやりとり、患者さんと付き添いの方とのやりとり等が興味深かった。中でも一人の看護師さんは待合スペースで患者さんと話しながら血圧などを計っていたが、その方の喋りにユーモアがあって、しかもそのユーモアが自然なのと思いやりが感じられるのが素晴らしかった。院内待合スペースにいる人は何らかの病気や不調を抱える人で、いつもニコニコ明るい雰囲気に満ちているというわけにはいかないが、その看護師さんの周りには暖かい雰囲気が漂っていた。その雰囲気に誘われるのか応じる患者さんの返答にもユーモアが伝染しているように感じた。改めてユーモアの威力を感じ、ドクターも検査担当の看護師さんに明るく話しかけたが、想定以上の検査で自分の症状が想定よりも悪いのではないかという不安から来る緊張の為か、あまり笑いに繋がることはなかった。やっぱり先ずは自分の心にユーモアを持つことから始めなければ。

 ☆医療センターの受付で緊張気味のドクター。その後ユーモアの大切さの再認識と自分の医師診察が来週になった安堵感からか笑顔になった。単に成り行きと先送りのいつもの生活パターンに戻っただけかもしれない。

Dr.799 地域の中での役割(10月19日)

地域の農業法人の黒枝豆集荷作業に参加した。これまでから関心はあったもののなかなか作業には参加できなかったが、今年は法人副組合長を引き受けたこともあり幾つかの共同作業に少しだが参加している。世間では地域農業の担い手不足が言われており、ドクターの村でもご多分に漏れず自力では耕作できない人がいて、この法人がその田畑を預かって耕作する中心となっている。その法人も地域の人が自分の田畑を耕作しながら、地域内外のアルバイトの助けも借りながら経営している。作業に参加してみて、やはりどこの組織でも中心になる人のがんばりがないと維持できないのだなあと実感した。今の法人を支えておられる方々もかつては夫々の企業等で活躍されていたのが、定年を機に今度は地域の法人を支える役割を担ってくださっている。大変なご苦労だとは思うが、定年後のやりがいや生きがいになってもいるのかなと勝手に推測する。振り返って、それではドクター丹後は地域でどのような役割を果たすのかと問われれば、只今模索中と答えるしかない。市会議員をはじめ様々な役割をやらせてはもらっているが、どれも組織の中心というにはほど遠い。ただ、地域の中での役割を果たしながら、定年後の人生の充実にも繋げたいという思いはある。どの組織でどんな役割を果たすことになるのか、ここでも流れとご縁に任せて(を信頼して)ぼちぼち行きたい。

 ☆地域の農業法人の共同作業に参加して、地位の中で活躍する多くの皆さんの存在に思いを馳せるドクター。果たして自分はどんな役割が出来るのだろうか(どんな役割が回ってくるのだろうか)。

Dr.798 たまにある良い日(10月18日)

人間ドックE判定依頼ブログをお休みしていたので、体調を心配して頂いているのではないかと心配する。精密検査は未だだが体調は良く忙しく流れで襲い掛かってくる要件をこなしている。本当に分単位で用事が詰まり、たまたま何とか進んでいるが一歩間違えばハチャメチャな状況だ。そんな多忙な中、母から「そんなに忙しくしてはいけない」、妻からは「お金にならない役は引き受けるな」とかの注意を受ける時間もいるので余計に時間がない状態になっている。そんな中を高校時代の剣道部と黒豆収穫パーティーを持つことが出来た。40年以上前に一緒に部活をやった仲間と集まれるのは至上の喜びだ。寅さんのセリフではないが、「人生って辛いことが多いけど、生きてると何回か生きてて良かったと思える日があるじゃない、その日のために人は生きているんじゃないのか」って感じの時間だった。近況の交換を行った後は自然と昔話に花が咲き、何度か話したような友人や恩師の話になる。最後は「卒業アルバム持って来てや」ってことになり、会場を提供してくれている友人の奥様がいつもと同じように持って来てくれて、それを見てさらに盛り上がる。病気や流れで引き受けている職務や何やかやと気になることは多いけど、今日もぼつぼつしなければならないことを出来る範囲でやって行くとしましょうか。

 ☆高校時代の剣道部仲間と黒豆取りバーベキューで至福の触れ合いの時間を過ごすことが出来ました。この後も村の役員会や何やらバタバタしています。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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