ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.774 初体験(9月17日)

この年齢になると初めて体験することは少なくなるが、昨日は市議会本会議で一般質問するという初めての体験をした。若者や子育て世代に選ばれるまちづくりと新型コロナの影響で田舎暮らしが注目されている流れを活かした移住定住促進策について質問したが、結果は散々だった。①市長がどのように答えられるか予測がつかず想定していた内容の半分も言いたいことが言えなかった、②質問の仕方が分からず、もっと的をしぼって尋ねるべきだった、③市当局の答えに反論することが出来なかった、④緊張しなかった、等の反省が渦巻いた。ただ何事も初めてやる事は上手く行かないものだ(ビギナーズラックという言葉はあるが)。次回からはこの反省を活かして改善していきたい。市議会の一般質問は全議員がしなければならないものではないが、今回やって良かったと思う点は次の通りだ。①何事にもプラスマイナス両面があり、良かった点が必ずあるから、②質問項目の設定から通告文書案づくり、関係機関への聞き取りなど準備に労力をつぎ込んだが、結果はともかくそれが終わったということで達成感はあるから、③移住定住策の一つとして本市の移住相談窓口の待遇改善を訴えたが、少しはそれが改善されそうな答弁がもらえたから、④何事でも少しはがんばらないと、その後の解放感が得られないから、等である。ともかく一つの初体験を終えて今後ドクターは成長するのだろうか、はたまた初々しさがなくなるだけなのだろうか、これからの展開が自分でも楽しみだ。

 ☆いつも議会がある時に行く美味しい昼食屋さん。昨日は初体験準備で行けなかったが、今日は初体験も終わってまた美味しい昼食が頂ける。初体験後はちょっと美味しさがアップするかもしれないのが、初体験は何でもやってみるものだということの証になる。

Dr.773 足し算命(9月16日)

今日の新聞で、ご自身もガンで余命宣告を受けているホスピス医の方が、人生は余命でなく足し算命で考えた方が、毎日が充実するみたいなことを書かれていた。平均寿命や余命宣告などから換算して、後何日生きられると余命を考えて毎日を生きると、余命はどんどん減って行くわけで、長く生きるほど心細くなり焦燥感にかられた日々を送ることになってしまう。その点、足し算命ともいうべき考え方で、起点の日から「今日で〇日生きられた。そしてまだ生きている。」と考える方が、自分ががんばって生きている足跡が感じられ、その日を生きる感謝と充実感が感じられるという。ドクターも退職後の人生を平均寿命から換算して、後〇年は生きられるだろう(余命〇年)と考えていたが、そうではなくて60歳の退職の日から数えて、「今日で2年と4カ月と〇日、いろんな体験をして、まだ特に不調なところもなく薬も飲まずに食欲と一杯欲はあって直ぐに寝られる(これは昨日のブログにも書いた)。ありがたいことだ」と考えて過ごす方が良いということだ。今後は「足し算命」で毎日を数え、日々の感謝と楽しかったことや嬉しかったことを綴っていきたい。このブログも何回まで続けるなどとは考えず、気が付いたら773回(だいたいですけど)になっている、そういう感じで生きるということか。

 ☆昨日は今日の一般質問に備えて、かつて勤務していた「暮らし案内所」へ伺ったが、また思い出の1ページが積み重なったっていう感じだ。「後何ページ積み重ねられうのだろう」あっ、この考え方は足し算命ではなく余命癖が出てしまった。気を付けたい。

Dr.772 いつまで今が(9月15日)

このところ新聞で見る訃報欄の死亡年齢が気になる。80代や90代が多いが、中には60代や70代で亡くなられる方もおられ、死因にもよるが現在63歳のドクターもいつ死んでもおかしくない。平均的にはまだ10年や20年は行けそうだが、齢を重ねると身体のいろんなところに支障が出てきて今のままの状態で最後まで行けなさそうなことに最近気づきだした。直接的には目のカスミだが、意識して老化現象を数えてみるといくつもある。朝の散歩(もはやランニングとは到底言えない遅さ)でもスピードが遅く距離が短くなったのは勿論、足首の痛みを感じることも多い。耳鳴りや傷の治りの遅さも結構進行している。疲れやすくもなっている。幸い現在は何の薬も飲んでなく、生活の質も老化は感じるものの比較的快調で食事も美味しく頂けるが、この今の好調がいつまでも続く保障はない。というより、常識的に考えると加齢とともにいろんな支障が出てくるのが普通だろう。だとすれば今の比較的体調が良い間にやりたいことをやっておいた方が良いということになることは分かる。だからといって、特にこれがやりたいという強い希望があるわけではなく、現況に感謝はするものの生活はいつものまんまが続いいている。ここが「流れ重視派」ドクターの弱点かもしれないが、その流れの中から「今の特に痛いところもなくご飯も美味しくいただけ、一杯も飲めて直ぐに眠れる」現況の有難さに気付くことが出来たのだから、今後の人生も成り行き「流れ」を信頼してお気楽に行ってもいいかな。

 ☆昨日載せたかった写真だが、HP更新フォームが替わって載せ方が分からなかったが、流れでいろいろやっているうちに、写真の載せ方が分かったみたいなので今回載せます。やはり「流れ」を信頼して生きて行けばいい。

 

Dr.771 流れの一日(9月14日)

流れ重視の一日とは例えばこうだ。昨日の朝は前日に頼まれた法人の新米販売お手伝いで始まり、その後彼岸に備えての墓掃除、乾燥機や籾摺り機などの農機の片付け、9月議会一般質問の整理、息子の誕生日祝いお食事会、お風呂、就寝だったが、どれも自分で決めてるようでそうでない。いろんな条件とタイミングですることが決まって行った感じだ。こういえば受け身のようだが、結構充実していた。世間では受け身を悪い意味で使うが、所詮人は受け身でこの世に生まれ、自分で決めた訳でない寿命でこの世を去る。生きている間の人生は自分で決めているようにも見えるが、これとて自分が置かれた(生まれ育った)条件や天性の性格や素質によって大枠は決められている。受け身や流れ重視の生き方を消極的とマイナスに捉えず、決められた流れ(定め)の中で悠々と泳ぐイメージで、天賦の一生を満期(寿命)まで楽しみたい。強いて言えば、「流れに従って生きる」ことを、自分の意思で選び取った感じか。そんなわけで、今日もどんな流れになるかにワクワクしながら、存分に泳いでいきたい。

Dr.770 危機感(9月13日)

この頃時々行っている「冒険広場 ささやま遊び村」へ、子ども達が遊んでいる様子を見に行った。今回も数名の子ども達が、保護者やおばあ様と一緒に思い思いに広場で過ごしていた。ザリガニ釣りをしている子、そりに乗って斜面を滑り降りている子、ウサギの赤ちゃんを触らせてもらっている子、アイスを食べている子などいろいろだ。入り口にはこの無料の遊び場をボランティアで運営されているIさんが、この公園を作ったのは「(子どもたちがゲームばかりで自然の中で遊んでいないことに対する)危機感」だみたいなことを書かれていた。子ども達の遊びから自然が失われていることの他にも、地球温暖化やコロナ危機、人口減少問題や財政危機など様々な危機感がある。ドクターの最近の個人的な危機感は、「平均寿命まで後20年くらいはあると思っていたが、その日々が現在と同じくらい元気とは限らない」ということだ。というのも、最近目のカスミや元気さの喪失を感じることが多いためだ。世の中がかすんでしか見えず、朝起きても何もやる気がしないのでは、後20年の人生をどう過ごそうかと不安になってしまう。Iさんのように危機感からそれを打破する行動に出られればいいが、危機感は感じながらもズルズル今の生活を続けているようではいけない。分かってはいてもなかなか現状を打開する行動がとれない。ここが自然派・流れ重視派ドクターの弱い所だが、自分が今後自然と流れの中で何らかの改善行動を起こすであろうことも信じてはいる(確信というほど強くはないですが、まあ多分)。まずはボチボチがんばります。

 ☆カスミ目をこすりながら、冒険広場で子ども達の楽しそうな様子と開拓者のIさんの熱い思いに触れて、自分の生き方が少し心配になるドクター。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2025年11月14日
    Dr.2434 引き継ぐ(11月14日)
    2025年11月13日
    Dr.2433 今を生きる(11月13日)
    2025年11月12日
    Dr.2432 ご縁を楽しむ(11月12日)
  • ページのトップへ戻る