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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.779 定年本(9月22日)

定年後生活研究家のドクター丹後としては、いろいろな「定年本」を読む。「60歳からの~」というタイトルの本も多い。定年後生活のためにどうすればいいのか、いろんな本に共通して書いてあるのが、①やりがいを持って生きろ、②年齢のことは忘れろ、③交友関係を広く持て、④生涯現役と考えろ、⑤何かを始めるのに遅すぎることはない、等だ。どれももっともだとは思うが、普通の人はそれができなくて困っている。「定年本」の著者には、大学教授や研究者、定年のない職業や講演等で食っている人が多いので、普通の会社や公務員等として定年を迎えた多くの人の現状と苦悩が分かっていらっしゃらない。「(本に書いてあることが)良いと思うならやればいい。できないのはやる気がないあなたが悪い」と言われそうだが、それでは「やろうとしても上手く出来ない」普通の人には身もふたもなく、参考にはならない。その点ドクターの主張は、「自然と成り行きに任せよう。流れによってやる羽目になったことを淡々とやっていけば時々は良いこともある」という誰にでも実践しやすい(というより、特にがんばらなくても「運」や「流れ」「天」や「神」を信頼していればいいだけというもの)だが、よおく考えるとこれも結局は何のアドバイスにもならないかもしれない。ドクターとしては結構いいと思うのだが。もっと分かりやすい表現を見つけたら、発表するのでお楽しみに。

 ☆「写真」や「俳句」を定年後の生きがいにする人もいるので、ドクターも撮ってみました。写真よりは「定年後研究」の方が自分には向いているか。

Dr.778 定年ぼっち(9月21日)

定年後の孤独を「定年ぼっち」と呼ぶらしい。このことが載っている本には、ドクターが前々回に書いたのに似たことが書かれていた(ドクターがこの本を真似して書いたのではない、多分)。会社には人生を充実する装置(役割)が備え付けられており、定年でそれを無くしてからは自分で人生充実(生きてて良かった、面白い人生だっとと思える感覚)の方策を探らなければならないというようなことが書かれていた。会社にある人生充実装置とは、①やりがい(会社の目的が自分の生きがいにもなる)、②人との交流、③ルーティン(決まった会議や打ち合わせ等で時間がつぶれるのと精神的な安定にもなるー何をやろうと悩まなくても良い)、④報酬(金銭的なものから人からの称賛まで)などである。定年でこれらのものが自動的についてきた会社と離れるのだから、自分でそれに代わるものを見つけなければならない。人との交流も現役時代は自然とあったので孤独を感じることはなかったが、定年後は意識的に自分で作らなければ孤独になる。孤独は悪いものではないと説く定年本もあるが、この本では定年孤独(定年ぼっち)は身体的にも病気リスクを高めると書かれていて焦る。ドクターの説く「流れや自然に任せた生き方」も著者は否定し、「そんな楽観論ではだめだ」と言う。ドクターの言う「流れ重視の生き方」は単なる楽観論ではなく、「流れを信じ、流れに従ってやる羽目になったことを全力(その時の環境で)でやれば、後は流れが導いてくれる」というものだと反論したくなるが、公式に反論するには本でも書かなければならない。ドクターが本を書く確率は0ではないが、それも流れ次第だ。今はいろんな本やこれまでの自分の体験を参考に、定年後充実策の実験を繰り返すしかないか。

 ☆お彼岸の日に「彼岸花」を見ながら、今日の面白い(絶こうちょうの)時間の過ごし方を考える(流れ次第ということも忘れないようにしながら)。

Dr.777 レジリエンス(9月20日)

心理学で人の「精神的な回復力」を示す言葉として「レジリエンス」というのがある。最近ドクターの周辺で骨折やマムシに噛まれた同世代の友人があいついだが、長い間(1月や1週間)の入院やリハビリ治療を経て回復した。回復は簡単ではないが、人間にはゆっくりでも傷を癒す力が内在する実例を見せられた。彼らほどではないが、ドクター自身も擦り傷を化膿させて何日も膿み続けた肘の傷がようやく治りかけた。このように人の肉体には回復する力があるのは目に見えて分かりやすいが、そこから類推して精神的にも回復する力が確かにあり、それを「レジリエンス」と言うのだと理解できる。「不登校」や「引きこもり」など精神的な打撃でで苦しむ人も多いが、そのうちの多くの人が回復し社会復帰を果たしている。もちろん回復や復元は簡単ではないが不可能ではない。人の心身にある回復力(レジリエンス)を信じ、回復を早める方法を研究しよう。最も早く早くと焦るのは良くないようだが、このレジリエンスを高める方法は、普通の人が機嫌よく生きるのにも有効だ。運動をする、音楽を聴く、呼吸を整える、そうそう日記を書くというのも良いらしい。このブログもドクターのレジリエンスを高めるのに効果があったのか。

 ☆明智光秀についての講演会に参加して、自分のレジリエンス(回復力)を高めるドクター。何がレジリエンスを高めるか、まだまだ模索中だがこの追求が「定年後の充実人生」のヒントと繋がっている気がする。

Dr.776 連休ですか(9月19日)

世間では9月の大型連休が始まっているようだが、曜日に関係のない生活をしているドクターとしては「連休ですか、それが何か」って感じだ。この4連休はシルバーウィークと呼ぶ人もあるらしい。ドクターも現役で働いている時には週末や祝祭日が楽しみだった。それは働きがいとは別で、いくら仕事が充実してても休息や変化が必要ということだ。逆に言うと現役フルタイム労働時代は、勤務日と週休日で放っておいても変化が与えられていたともいえる。退職後曜日に関係ない労働時間の今は、毎日を自分でどう変化を付けて飽きないように充実した時間が過ごせるように、労働と休息のバランスが取れるようになどに配慮し決めなければならない。これは結構ハードルが高く、齢とともにやれることが限られてくると一層難しくなる。だが、1日を上機嫌で過ごす日程を自分で作り出すというハードルは、やがていつかは誰にでも訪れる。今から練習だと思って慣れておく必要がある。現役の人は休暇中にやりたいことが一杯あって4連休でも足りない感じだろうが、放っておくと何もすることがないしんどさはまだご存じないだろう。そんな後輩の参考にしてもらうためにも、定年後ハッピーライフの秘訣を磨いておきたい。

 ☆この日は地元小学校に新たに設置された2階手洗い場の視察と好きなドライブという過ごし方を組み立てました。

Dr.775 親ガチャ(9月18日)

先日「親ガチャ」という衝撃的な言葉を知った。自分の親は選べないという当たり前の事実を、ゲームに出てくるガチャガチャ(ガチャガチャが何かよく知りませんけど)からとって若者の間で言われているらしい。でも考えて見ると選べないのは親だけでなく、出身地(出身国含)や性別、育つ環境から才能までいくつもある。大事なのはそうした自分ではどうしようもない環境があるという現実を踏まえた上で、どう生きるかということだろう。自分に与えられ環境は変えられないかもしれないけれども、自分の意思で変えられる未来はあるので夢や目標を持って生きて行くことが大事だと唱える人は多い(特に学校の先生など)。ドクター的にはこれはこれで一理はあると思うが、この「がんばればなんとかなる」という思想は、「上手く行っている時は良いが、上手く行かない時に自分の努力不足を責めてしんどくなる」のではないかと危惧している。だからこのブログなどで何度も言うように、「がんばるがんばらないもその時の流れ次第」「大事なことは流れやご縁に従い、その中で自分が出来ることをその時出せる最大の力でやればよい。その結果が成果に結びつけば嬉しいが、結びつかなかったとしてもそれはそれでそれだけのこと。落ち込む必要はない。たんたんと日々を自分も周りの人も気持ちよくすることを心掛けて機嫌よく生きる」ことに尽きる。この今のところの結論(悟り)も一番は自分に向かって言い聞かせているということも、何度か書くとおり。

 ☆自分の市議会一般質問では言いたいことが言えなかったが、精一杯はやった。自分の番が終わった昨日は心置きなく美味しい昼食を頂けた。こんな時間も根底には親ガチャを含めていろんなガチャのお陰だ。感謝して流れに従い生きて行こう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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