Dr.1117 あと一回は(11月24日)
久しぶりにスーツを買った。春秋ものはいくつかあるが、冬用があんまりないため思い切って購入した。
受け取りに行くと店長が品物を確認しながら「良いものを買われましたね」と言うので、「人生最後の買い物だと思ってちょっと張りこみました」と答えると、「そんなことないでしょう。後1回はいけますよ」と言う。「後1回?」と言うと、まずいと思った店長が「1~2回は行けますよ」と訂正したが、増えても2回かいと思ってしまった。
後スーツを何回買うか買わないかは分からないけど、人生そんなには残っていない。「人生百年時代」とは言われるけど、例外な方を除いて元気に動けるのは80代半ばまでだろう。となると、後20年ほど、長いようで直ぐ過ぎそうな気もする。
なんやかやと言いながらも、定年後も早4年目に入っている。この20年をどう過ごすのか、紳士服店店長の言葉から考える良いきっかけをもらった。ゆっくりもしたいが、退屈も嫌だし、バタバタもどうかと思うが、どちらかというとやる事がある方がいいか。結論は出ないが、ともかく今日一日を精一杯頑張り過ぎないように頑張ろう。
☆久しぶりに勝ったスーツを着るドクター。買ったものはすぐ着る(使う)傾向は昔から変わらない。生き方も死ぬまでそう変わらないのかも。

Dr.1116 口癖(11月23日)
ラジオで「あなたの口癖を教えてください」みたいなことを聞いていた。
いろんな口癖が紹介されていて、例えば「よういわんわ」、「かまへん かまへん」、「しらんがな」みたいな言葉が上がっていた。
そこでドクターも自分の場合を考えた。まず一番に浮かんだのは「まぁいいか」だ。人生を大体で生きる身としては完璧は何事においても縁遠いので、100%の出来でなくても不完全でも「まぁいいか」と許容する姿勢が出た言葉。これは本当によく使う。
この頃よく使いここでも書いているのが「流れに従う」だが、これは思想としてはあっても口癖ではないか。上の「まぁいいか」はこの「流れに従う」の一面は表しているようにも思う。自分の想いはともかく、それ以外の様々な要因を受け入れて生きて行くのが「流れに従う」だが、その生き方には「まぁいいか」がよく似合っている。
他には「しゃぁない(仕方がない)」もよく使うが、これも諦念を表している。他にも言葉としてはそんなに口にしないが「かたよらず、こだわらず、とらわれず」も頭の中ではよく使う、口癖ならず「頭癖」のフレーズだ。
結局ドクターの場合は、「無理しない」「受け入れの人生」ということで、それに伴う口癖言葉も、考え方頭癖も多用するが、それにも徹しきれない(悟り切れていない)ところもあって、迷いが出てきて、その迷いを振り切るために「まぁいいか」「しゃぁない」を使って凌いでいるということだろう。
という訳で、もうしばらく「まぁいいか」と「しゃぁない」とはお付き合いが続きそうだ。この口癖を卒業するって人生を卒業するってことだろう。それなら急がず当分これらを使う方が良いのかな。どうも結論がはっきりしないが「まぁいいか」。
☆今田地区の美しい紅葉と口癖「まぁいいか」で生きるいい加減中途半端人生観のドクター。徹底しない生き方のようだが、自分には合ってるし、もう少し整理して生きるのがしんどい人の助けにもなればと考えている。

Dr.1115 お疲れが出ている(11月22日)
久しぶりにこのブログを見た高校剣道部仲間が「ちょいお疲れが出ているのではないか」「息抜きせんとなー」とラインくれました。
そういわれれば、ここんとこ「絶好調ブログ」ではなく、「しんどいこと多いけど、何とか折り合いつけてそこそこで行きましょうブログ」になっているような気がする。
読んでくれる人(自分含む)を元気にしたいというのが意図で、読んでくれる人にご心配をおかけするのは本意ではないけど、今後どのような路線(語り口)で行くべきだろうか。
「人生は苦(思い通りにならない)」という思いはあるので、毎日調子の良い書きぶりでは無理があるように思うし、結構日々をしんどい思いで暮らしているという人も多いと思うので、「しんどいことあるけど、何とか進んで行きましょう」というのが共感を得られると思うけど、世の中の皆さんは「しんどいこと多い毎日だからお気楽なブログが見たい」と思われているかもしれない。
どっちもありそうに思えるので、結局ブログ書きぶり方針は「流れに任す」と言うことになるのだが、この「流れで生きる」ドクター哲学はどう感じられているのだろう。「お気楽」か「無責任・無主体性」か。結局このぶろぐの主テーマはこの「流れに従って、流れを信頼して自分の使命(と言ってもそんなに気張らず、生き方?なぜ生きるの答え?みたいなものかしらん)を考える」みたいなことになるのかしらん。よう分かりませんけど。
☆半分は仕事、半分は自分の興味で訪れたチルドレンズミュージアム。この中途半端さが(ドクター人生、このブログの)特徴ですね。

Dr.1114 もれなくやる(11月21日)
一つのことをやるともう一つのことを忘れることが多い。
昨日はやることが多かった。大きなもの(頼んでいた品物を受け取る、ガソリンを入れる等だから大きいとは言えないかもしれないが)だけでも8つあった。
全部もらさず出来ることはまずないと思っていたら、何とか8つともやることができた。よくやったと言いたいところだが、考えて見れば8つのことをもれなくやることにかなりの神経・エネルギーを費やしていたように思う。
一つ終わるごとに、今度はあれとこれをして、その次はあれ等と常に考え身構えていた。結果として全部は出来たが、常に忘れてはいけない、忘れてはいけないばかりが頭にあり、一つ一つのことに集中できなかったようにも思う。
これならいつものように大体で臨んで、いくらか忘れることがあっても、一つのことに集中する方が良いようにも思う。というわけで今後は又いくつか漏れが出てくるだろうが、その漏れが必ずその日にやらなければならないことなら大変だ。どれが忘れても良いもの(後回しにできるもの)で、どれがその時にしかできないものか、その峻別にエネルギーが要りそうだ。
とかく何事においても一長一短、ここにもそれが当てはまるとは。何事も一長一短なのだから、「長」の方を見て暮らして行きたい。
☆寒い朝、家の池の前で。寒くても暑くても一長一短ある。「忘れる」ことにも一長一短あるか。

Dr.1113 変わらない本質(11月20日)
兵庫県の学校ダンス研究発表会があって、県内の幼中高のダンスをやっている学校園の子どもたちが丹波篠山市にやってきた。
子どもたちの流れるような動きや、表現しようとするテーマ、パーフォーマンス力には圧倒された。今、学校ダンスは人気が上がっているらしい。そりゃあんな風に動けて、自分を表現できたらやりがいあるだろう。
開会式でドクターは無茶苦茶ダンスを披露して笑いを取った後、「(ドクターには)音感やリズム感ないからこんな動きしかできないが、皆さんは沢山恵まれたものがあるからこの舞台に立てている、感謝しながらステージを楽しんでください。さあ、ショウの始まりです。イッツショウタイム」と叫んでこぶしを突き上げた。
まあまあ受けたが、考えて見るとこんなこと(人目を引くことやってから、言いたいことを言って、そこそこ受けて終わる)は、校長の頃も、指導主事の頃も、教員時代もやっていた。もっと言うなら、中高大の学生時代からやっていたように思う。
この会でたまたま、高校時代の担任の先生や高校教諭時代の同僚先生に出会ったが、懐かしい話をした後、「(ドクターって)昔からかわってないでしょう」と問いかけ、「ちっとも変わってない」という返事をもらって嬉しかった。
これって後から考えると、自分の変わらない部分(本質)を自分が好きだということか。だとすると自分って結構自己肯定感高いなと気付いた。
持って生まれた自分というものが好きな自分で良かった。この辺がお気楽なところだろうが、お気楽でも何でも自分で自分のことが好きって思えることは有難い。こういう気持ちが持てる環境(家族、生い立ち、流れ)に感謝しながら、折角頂いた自分らしさを大事にしていきたい。
☆丹波篠山市田園交響ホールで行われた学校ダンス発表会。約50年前の恩師にお出会いし、子どもたちとポーズをとる64歳、見かけは変わったが人間の軽さは何も変わっていない。変わらない部分を大事にしたい。


