Dr.152 手当(9月28日)
「人生の目的は何か」「何のために生きるのか」という問いはよろしくないという主張を読んだ。なぜよろしくないのかは詳しく理解できていないので省略するが、ともかく「どのように生きれば、より幸福に(ドクターの場合はお気楽に)生きられるか」という問いの方が良いということだ。確かにこの問いの方が具体的な答えと言うのかやり方が浮かぶ。ドクターがこれまで「より良い定年後生活のヒント」として見つけてきた知見がそのまま役に立つ。例えば①日々やることをいっぱいにして不善な考えにふける時間をなくす、②向こうから押し寄せてくる「やらざるを得ないこと」をたんたんとこなしていく、③ぱっとしない日々の中にかすかにある小さな幸せを見つける、等だ。今回はそれに「不都合が出てきたところに手当しながらなんとか(最後まで)もたす」を加えたい。身体でも家でも物でも長く使っているとガタが来る。それに手当しながら保ち続けようというあまり積極的ともいえないかもしれない生き方だが、実際的にはこれなしでは生き延びられないし、手当も結構時間つぶしになってその間は無心でいられる。それに「お手当」というと、何かもらえたような気分にもなる、・・ことはないか。まあともかく手当しながら行くところまで行きたい。
☆愛車にガソリンを入れるドクター。ガソリン補給にオイル交換、定期点検に車検と車の維持には結構手当がいるけど、手当てすると車は調子よい。調子よい車は快適だ。
☆川から水を引いているドクター池もときどき水が出なくなる。その時にはエンジンポンプでつまりをとる手当をしなければならない。山水を待ち望んでいる金魚のためにも手当を続けたい。