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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2118 普通に生きる(11月14日)

 いろんな生き方の本や新聞投稿など見ていると、「生きている以上楽しくないといけない」派と「生きているだけで有難い」派があるように思う。

 そりゃ、「楽しく毎日を生きる」ことができれば最高だが、そんなに充実感一杯で日々を送れるモノかしらん。後から振り返って、「あの頃は楽しかったな」ということはあるが(ドクター絶こうちょう時代のように)、詳しく思い出してみると当時の日々には楽しいこともしんどいこともあったように思う。

 人からはよく「元気をもらいました」「あなたの元気には負けますわ」みたいなことを言われるし、人に元気をあたえることは意識して心掛けていることではあるが、毎日がルンルンの楽しいことだらけと言うことはない。

 落ち込んでもうダメということもない分有難いと思うが、言わば毎日普通の状態だ。日々ルンルンでもないし、日々真っ暗でもない、普通にやるべきことを「たんたん丹後」とやっている感じ。エンドルフィンかドーパミンか知らないが、幸せホルモンが年齢とともに減るのかしらん。

 例え減ったとしても、歳を重ねて生きて行かなければならない。まずは規則正しい生活で、やらなければならないこと、やるながれになったことをやって行きながら、人に喜んでもらえることや自分が楽しいことをできるだけやって行きたいと思います。

 また、カード異常が出たので、一月ほど前の写真です。撮るものは今もあんまり変わりませんけど。異常が出ても不調があっても、できることをやりながら、歩み続けて行くしかないですよね。そのうちいいコトありますよ、きっと。

Dr.2117 オーケストラのように(11月13日)

 先週の日曜日に地元オーケストラの演奏を聞いて感動した。アマチュアを中心とするといっても、長く練習している方が多く、技量は大したものだ(素人の見方ですけど)。

 ベートーヴェンの「運命」のような曲にも感動したが、オーケストラのハーモニーというのか、いろんなパートが合わさって、一つの曲を奏でるという演奏の在り方それ自体にも心を打たれた。

 曲によっては、一度も楽器をとらないパートもある、少し演奏しては休みに入るところもあり、ほとんどずっと演奏しているパートもある(バイオリンなど)。それでも最大の盛り上がり時には全員が参加する。そのエネルギーはすごい。

 こういう演奏の仕方は、組織の働き方にも言えるのではないかと想像した。時に休むというのか比較的余裕を持って仕事が出来る部門もあってもいいが、ここという時には全員で関わって盛り上げる。こうして全体の調和が保たれ、エネルギー・パワーが発揮される。こんな演奏(仕事)が出来たらいいなと想像した。

 そんなに余裕のあるパートはないが、少しでも休める時には休んで、心身の健康に留意しながら、足元にも注意しながら、自身の健康、周りの人の健康増進に努めて行きたい。

 ☆秋も深まって来て、秋空もきれいです。心身に余裕を持って自他の幸せを。

Dr.2116 無事(11月12日)

 「無事」という言葉は平穏に問題なくという意味だと思うが、本当に何もないという意味で、人がこの世に生まれてきた状態を指し、だから「もっと何かが欲しい」「もっと何かを守らなければならない」という欲ある考えに警鐘を鳴らす意味で使うと学んだ。

 もともと生まれてきた時は何もなく裸一貫の状態と考えれば、何かにしがみつかなくても、何もない状態に戻るだけだから、いろんなものを無くすのに必要以上に畏れなくても良い。

 いろんな悩みも、何かを守ろうとする何かを維持しようというところから起こるもので、それにとらわれなければ、も少し楽に生きられるという考えも一定は理解できる。

 なかなか、「何もない状態でよし」という域には達せられないが、何も持たずに生まれて来たのも事実なので、過剰にしがみつかなければ、より楽には生きられると思う。

 これから起こるいろんなことを受け入れ、維持や持つことに汲々とせず、生きてる間はお気楽に陽気に生きて行きたい。ただこの生き方も出来れば、ということで、こだわり過ぎるのも良くない。結局、日々を流れとご縁に任せ、やる流れになったことを自然体で自分が良いと思うやり方でやっていくといういつもの生き方、考え方に戻って行くのですが。

 ☆ウチの庭から見えるちょっと色づいた山。ウチの家も元は野原でした。あんまり何事にも拘り過ぎずに、たんたん(丹後)とまいりましょう。

 

Dr.2115 難あり有難し(11月11日)

 日常生活に何の心配もなければ、嬉しいように思われるが、金銭的にも、人間関係的にも、仕事やご近所との付き合いなどでも何の心配もないという人はいない。何の刺激も悩みもないというのは人に深みを与えずボケさせてしまうようにも言われている。

 いろんな気がかり、心配事、合わない人間関係等があるのは厄介なことだが、それらをそのままにしていては心身がもたないので、解決に向けて動き(動かざるを得ず)、ストレスがあっても楽天的で陽気な生き方ができるように、考え方を工夫し生き方を探る。

 その努力が人をボケささず、しんどいことがある人の気持ちが分かる深みのある人間にし、自分の心性を向上させて、人にも優しい人間が出来て行くのではないでしょうか。

 心配事から全く解放されたい気持ちもわかりますが、人生がそうはいかないとしたら、与えられた試練には前を向いて対応していかざるを得ない。しんどいけれど、その努力や配慮が自分を向上させると思い定め、前を向いて歩んで行きましょう。「にもかかわらず笑顔」の精神を忘れず、自分の向上のために与えられた試練を完璧に克服とは言いませんが、出来る範囲でぼつぼつ希望を失わず自分らしくやって行きましょう。

 ☆5年前の11月。同じような格好で、同じような写真撮ってますね。5年ぐらいではそんなに成長しないようですけど、何とか元気に過ごせています。このことへの感謝を忘れず、自分に出来ること、しなければならないことをボツボツやって行きます。皆様も、ボツボツ前向きに、試練に何とかご対応を。

Dr.2114 快晴(11月9日)

 この頃は快晴が続き、青い空が広がって気持ちが良い日が続いている。昨日は篠山城跡三の丸広場で行われている菊花展を見に行ったが、快晴の青空と相まって菊の花が美しかった。

 日々の生活には天候と同じく、雨や嵐、曇りの日もあるが、最近の天気と同じく快晴の日もある(はずだ)。直ぐに最近の人生快晴の日がいつだったか思い出せないが、快晴に対する感度を弱めてはいけない。

 曇りや不順な天候には敏感でも、人生の晴れ間を見つける目が曇っている場合がある。曇りだと思っていても、雲の間から光が差し込んでいるかもしれない。その光を見失わないようにしたい。

 ただ、人生の天候も、自然の天候と同じく自分の願いや力だけでは如何ともしがたい。いろんな天候の日があるのが人生、その天候に合った生き方、過ごし方を身につけるのも大事。それとともに、かつて一度や二度はきっとあったはずの快晴の日を忘れず、それを思い出して元気を貯めながら、今度やってくる快晴の日を楽しみに、今日の天候に合わせた過ごし方をしていきます。

 それにしても、昨日の快晴すばらしかったですね。人生の快晴の日が楽しみです。それが今かもしれない、見逃さないようにしましょう。

 ☆快晴の青空の下、開かれている菊花展。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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