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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1544 耐えられないタイプ(2月23日)

 新聞の投稿で、定年後ゆっくりしたいと思っていたが、早々に耐えられなくなって仕事を探したというのが載っていた。

 人には、仕事とかやる事とか何も無くても大丈夫なタイプと空白の時間に耐えられないタイプと二手あると思う。「あなたは、耐えられないタイプやね」と妻から言われた。自分でもそのように思うし、何歳までも仕事があるわけではないので、いつかは仕事を離れて、充実した時を過ごす暮らし方を身につけなければならないと考えている。

 いくつか仕事以外の打ち込むものの候補はあるが、実際にやってみないとそれで行けるかどうかは分からない。これまでの人生を振り返っても、仕事も含めて人生時間の中心を占めるものは、自分の意思だけでなく大きな流れでやって来たように思う。

 「また流れ任せか」と言われそうだが、自分が生まれて来たのも、自分に備わった個性や社会・地域・家庭での役割や状況も自分の意思だけで決まったのではない。というより、自分の意思と思うものまで、大きな存在の思し召し(おかげ様)のようにも思われる。

 こういうタイプの人間は主体的に自分の時間の使い方を決めるのは苦手で、何か外から役割が与えられる方が生き易いのかもしれない。

 ともかく、これからの人生時間の過ごし方は、どこまで時間があるのかも含めて、流れとご縁にお任せするのが良いかな。そういうタイプです、ドクターは。

 ☆園児たちの一生懸命な生活発表会見てきました。不審者扱いでなく、こんな機会が覗ける役割。大変な面もあるけどやりがいもあるし、時間の使い方で悩まなくてもいいし、有難いことです。

Dr.1543 説得力(2月22日)

 いろんな案件の解決は一般的な結論では済まないことがある。一人一人、一つ一つに個別性がある。一般論ではない対応をとらざるを得ないこともある。

 こうした場合に周囲に理解を得られるようにするには、理解を得られるような説得力が必要だが、ドクターには説得力がない。自分の説得力の無さは、これまでの幾つかの経験からも明らかだ。

 大学時代の空手道部主将としてや高校空手道部顧問として退部したいという部員を説得できたことが無い。相手の意思を尊重すると言えばそうなのだが、論理的に相手を説き伏せる論破力がない。

 これは良くも悪くも生き方にも関わることで、ドクターとしては相手の意思を尊重する、世の中には絶対と言うことはないのだから一つの結論にこだわらない、よく言えば融通無碍、悪く言えば信念がないという感じの生き方がある。

 説得力の無さを自覚しながら、たんたんと自分が出来る最善をやって行く、それしかできないし、それでいいんじゃないでしょうか。というわけで、自分の無力に打ひしがられながらも、自分の良さも見失わないようにしていきます。

 ☆40数年前に買ったネクタイを締めて気合を入れて臨んだのですが、説得力なくまだまだ先が見えませんけど、希望は無くさないようにして進んで行きます。人生難題もあるけど、前へ進んで行きましょう。

Dr.1542 いろんな役割(2月21日)

 世の中にはいろんな役割の人が必要だ。多くの人とつながって、いろんな事業や企画を立ち上げ進めていく人。後についていく人。組織で働く人。

 先頭に立って引っ張て行く人は凄いと思う。でも同じタイプだけでは発展しない。自分はどんな役割かを考えることは必要だ。

 ドクターも小学校の学級委員から中学校時代の生徒会長、高校剣道部や大学空手道部のキャプテンから、冒険教育代表、校長など先頭に立つ役にはついてきたが、これらは全て既存の団体で自分で組織を立ち上げてやっていくタイプではない。

 定年後にささやま冒険教育を立ち上げたが、一人だけで組織を大きくすることはできていない。それなら自分の役割は何か考える。

 周りの人のことを考える、雰囲気を盛り上げる、音頭をとるなどは比較的得意なような気がする。それには自分が心身ともに元気でいなければならない。心身のストレスをとって元気でいる心の整え方。この研究実践が目下の課題だ。日々が勉強なので、今日もしっかりと努め、今後に繋がるような時間を紡いでいきたい。皆様ご一緒に探求の旅を続けましょう。

 ☆今朝も雪ですけど、その日の天気を活かした学びを深めたいと思います。

Dr.1541 無為(2月20日)

 何かのために仕事や業務をやる事はあるけど、そういうことではなくただやりたいから、習慣だからやっているようなこと(いわば無為自然なこと)も結構あると思う。

 何のためにもなっていなければ生産性がないという人もいるかもしれないけど、人生自体が必ずしも生産性のために生きているのではないように思っている。

 遠方の友とたまにあって飲んだり語ったりするのも生産性のためではないけど、生きる嬉しさ楽しさに繋がる。

 ドクターの日課の一つに毎朝の散歩のようなランニングがあるけど、これも少しは健康にいいだろうけど、そのためというよりは習慣でやっている。

 これからも、義務で何かのためにやらなければならないことはあるだろうが、大半は何かの役に立つかどうかなど気にせず、やりたいからやる、何かあんまり深くは考えないけどやっている、生きているみたいなことで行くのかな。

 無為自然でこだわらない人生、生かされている人生、ご縁と感謝と人に元気をお届けすることを忘れないように、たんたんと、ぼつぼついきましょう。

 ☆池の見回り行きました。気になるから行く、それだけです。

Dr.1540 友あり遠方より来る(2月19日)

 列車で1時間30分ほどのところに住む大学時代の友人が会いに来てくれた。1時間30分はそれほど遠方ではないかもしれないが、お互いに気になっていたけどバタバタしていて20年ほど会えていなかった。

 ドクター無二の友人は2年前に亡くなってしまったので、今回訪ねて来てくれた彼が今では一番の友人と言っても良い。大学空手道部で最後まで残った4人のうちの一人だ。

 60代半ばこの辺の年代になると、学生時代の若い頃の友人が気になり出す。いつまで生きられるかは分からないので、身体が元気で会いに行く行動力も残っているうちに会いたいという思いが募るのだろう。

 高校時代の剣道部仲間とは年に何回か会っているし、ラインの交換もしている。それに加えて、大学時代の空手道部仲間とも再開できれば嬉しいが、こちらはまだ全員が揃えるかは分からない。

 いくつになっても新しい友達ができることは素晴らしいが、そうは簡単にいかない。古くからの友達を大事にしながら、新たな人との出会いも積極的に進めて行きたい。私的なつながりのポイントは相性にあると思う。公私ともにできるだけ多様な人との出会いを通して、学びと癒しを広げて行きたい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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