ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1343 食べて飲み働く(8月10日)

 教え子の1人が「食べ、飲み、一生懸命働く充実感、人にとってこれ以上の幸せはない」という言葉を教えてくれた。

 欲張りな人間は、ついついこのほかにも何かを得たいと思ってあくせくすることが多いと思うけど、生きて食べて飲んで働ける、これで十分幸せじゃないかと気づくことは大切だと思う。

 この「飲んで」のところが、ドクターの大きな楽しみの「晩酌の一杯」という意味があるかどうかは知らんけど、今の自分はまさに、元気に動けて(多少腰は痛めてますけど)、美味しく食べれて、汗をかいて、一日の終わりに美味しく一杯頂くという毎日が送れていることが有難い。

 これがいつまで続くのかだろうかと言う不安や、気の合わない人との人間関係など多少の心配は抱えているが、そんなものは課題のうちにも入らない。という気もするし、チョットしたことが大きく気になったりもする弱い所がある自分であるのも知っているし、まあ日によって、時々によって快調であったり、元気が無かったりするのが現状。

 しかしまあ、冷静な時には、恵まれている自分に感謝しながら、生きられるところまで、少しは人の役に立つことをしながら、上機嫌で生きたいものだという真っ当な気持ちでいられる。

 揺れながらも上機嫌を確保していく、そしてそれを周りの人にも広げていく、そんな日々を過ごしたいと思っています。今日もボチボチ頑張り過ぎないで頑張ります。

 ☆ひとり機嫌よく咲くユリの花。こんな感じで行きたいものです。

Dr.1342 できる時にしとく(8月9日)

 剣道部仲間からいろんな情報が入る。一人はオーストラリアにいる娘さん所に2週間の旅行中。又別の人は、夫と一緒に1週間ぶりに家に帰ったら、観賞植物が傷んでいたとラインで送ってきた。

 また別の人は、只今北海道に旅行中、お土産はクマか猪かと尋ねてきた。昨日も今日も明日も仕事中のドクターは、「出来る時にしたいことしとくに限るでー」と返信した。

 齢行くと思い出が大事になるという。そういえば、かつて子どもが小さい時、国の内外に家族旅行したけど、それがいい思い出で、今となってはなかなか家族で旅行はいけない。

 仕事上の思いでも、その時々の思い出があるが今となってはどれもできない。ということは、今の職でも、今しかできないことばかりなので、後から思い出して、良い思い出となるよう悔いないようにやっておきたい。もちろん自分の思い出のために仕事をするのではないことは百も承知です。全力で取り組んでいたこと、チャレンジしたことが心に残るので、今できることにもそれを当てはめて精一杯やろ言うということです。

 過ぎ去った時間を後から思い出すのと、今の時間を充実させるのとは、また違った難しさもありますね。現役当時もいろいろあっただろうけど、今思い出すといい思い出ばかりです。今の仕事も後で思い出すと、良い思い出だけが残るようになるのでしょうか。

 ☆こんなのも良い思い出になるんでしょうね。昨日やったデカンショ行灯審査。こんなん後からしたくてもできないですもんね。

Dr.1341 がんばらない(8月8日)

 「がんばる」「がんばってください」はよく使う言葉だ。子どもや若い時なら、伸びしろというのか頑張る余地が至る所にあるので、「がんばれ」の激励も良いとは思うが、長年生きてくると「頑張ろうにも頑張れない」「無理して頑張らない方が良い」状態もあるのではないだろうか。

 もちろん、「頑張れる人」や、「頑張るのが好きな人(頑張ることによって元気が出る人)」は、がんばればいい。しかし、世間にはそうでない人もいるし、年齢と共に頑張らない方が良い人も増えてくるのではないだろうか。

 何もさぼろうと言っているのではない。ドクター的には、無理ない範囲で努力はした方が達成感はあるので、出来る範囲での頑張るはいいのだが、それを超えた、あるいは自分の持ち味を超えたがんばりは結果も出ないし、不達成感の方が大きいし、心身へのダメージもあるので、無理に頑張らないくらいが丁度いいのではないかと思っている。

 自然体で、やりたいことややるべきことはやるが、やれないことややるべきではないことには無理に取り組まない、こんな生き方で行きたいということを言っている。

「ほどほど」や「まあまあ」「ぼつぼつ(ぼちぼち)」のような、お気楽な言葉も知っておいた方が生き易いと思うのですがどうでしょうか。何もこれらのことばを頑張って広げようとは思いませんけど。

 こんな言葉がある方が生き易い方にお勧めしたいだけです。ボチボチですけど。生き易い生き方や考え方、こちらはちょっと頑張って見つけ中です。これも頑張り過ぎない方がいいですね。やっぱりボチボチ行きます。

 ☆ドクター車庫前で見つけた昆虫の死骸とそれにたかるアリ。頑張ろうと頑張らなかろうと、生あるものは、いつかは果てます。自分に合った生き方見つけましょう。

Dr.1340 幸齢者(8月7日)

 80歳になったら高齢者ではなく、幸齢者と言おうという意見を知った。昨日も村の先輩が明後日から70歳になると言われたが、全くそうは見えない。お元気そのもので、農業も村のこともバリバリされている。

 それなりに体力は弱ったと言われるが、朝から晩まで田んぼや畑で農作業、すごいとしか言いようがない。

 長く生きていると体力低下を含めて、いろいろできないことも増えてくる。でも、できないことを数えるのではなく、まだできること、残されている力や役割にこだわりを捨てて取り組んで行くことが大事だということを学んだ。

 若い時と同じようなことや役割が出来なくなったら落ち込むというのはやめたい。その時々の状況でできること、しなければならないこと、やる流れになったことに、こだわりなく打ち込んで行きたい。

 いろいろ気にしたり、悩みやすい性格なので、後期高齢者を超えて、幸齢者になるまで日々を機嫌よく生きられるか自信はないが、いろんな解決策や考え方を見つけるのも得意としているし、流れを信頼して、大きな力に生かされているのを信頼する考えも頂いているので、まあ何とかなるんじゃないでしょうか。皆さん、不安もあるけど、ボチボチ行きましょう。

 ☆大まかでだいたいですけど庭の手入れ終わったことにします。こんな感じで生きてくのでしょうね。

Dr.1339 生きがい(8月6日)

 「生きがい」はあるに越したことはないだろうが、無くても生きられる、というか生きなければならない。「生きがい(あるいは夢)がなければならない」と言っても、無理に見つかるものではないし、無理に見つけようとすると安直なものに留まると思われる。

 例えば、ダンスが生きがいがという人がいたとして、ダンスができる間は良いが、出来なくなると生きがいが無くなるということになるだろう。飲むのが生きがいというのもありだと思うが、飲めなくなったらそれに代わるものが要るのだろうか。

 「生きがい」というかどうかは別として、生きていて楽しみなこと、それをやって元気が出ることは、あると生きる励みになる。

 その楽しみにしても、これじゃないとだめとなると、失くした時の喪失感は半端でない。死ぬ時まで機嫌よく生きるには、生きがいや楽しみはにも固執せず、その時々の状況に応じて、たんたんと生を紡いでいきたい。寿命まで生きること、それまで機嫌よく生きられる、考え方、生活習慣、生活環境を整えて行きましょう。それが生きる意味かもしれません。

 ☆今日も又、昔の写真で失礼します。こんなテーマで中学生に話していたようです。詳細は忘れましたが、多分言ってることは今と変わらないと思われます。その時々の状況に応じてたんたんと。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年5月2日
    Dr.1937 生きがい(5月2日)
    2024年5月1日
    Dr.1936 運がいいんだよね(5月1日)
    2024年4月30日
    Dr.1935 交友関係広い人(4月30日)
  • ページのトップへ戻る