Dr.1031 夫々の退職後(8月14日)
現役時代は過ぎてしまえばあっという間のように思う。しんどさもやりがいもあるが、いずれにせよあっと言う間と感じる。
実際には3~40年で生涯の大半の時間がそれにあたると思うが、最近ではその後も結構ある状態になっている。退職後も勤める場合も多いが、どこでどのようにどれだけ働くかは人それぞれで、現役時代以上に個人差と言うのか自分の生き方が問われる。
働かないで、あるいは働く時間を短くして自分の時間に使う人もある。退職後経済的には何とか暮らしていけるとしても、何もしないと生きる意欲や健康にも悪い。
現役時代よりもゆとりをもって、より幅広い社会貢献を意識しながら毎日を充実して過ごすのが理想だが、現実的にはなかなかうまく行かない。
退職後が長いこの頃では、もしかしたら現役時代は退職後に備えて人間性や興味あるコトを準備する役割もあるのかもしれない。
いくら準備が必要と言っても充実した毎日への準備は一筋縄ではいかない。何に幸せを感じるのか、自分の生き方、人生の目的は何かなど、準備することは生きる本質にかかわる深く大きいことだ。
考えに考えた挙句、考え過ぎずに流れに任せるというようなドクター流人生観にたどり着く場合もある。結局人それぞれだが、結構大きな問題だ。
☆退職後の今は私学の管理職を務める後輩の元校長先生と。今後の生き方が大事なのは先輩も同じだ。
Dr.1030 いろいろな心配(8月13日)
いろいろな心配が続いている。自分のことと言うより、家族や周囲の人に関することが多い。
といっても、心配になるのは自分だ。別にその人たちが心配してくれと頼んだわけではない。
心配だけどどうしようもないことが多い。心配事の究極は命のことになる。命に比べると他のことはどうでもよくなる。
命に係わる心配をしていても、自分にはどうすることもできない場合は、祈る以外は日常を行うことになる。
日常を止めれば心配事が解決するならそうするが、そんなことでもない。だとすれば、いつも通り、精一杯に自他に役立つことを笑顔でやっていくしかない。
人間やはり生きてると辛いことや心配ごとにあふれている。そんな中でも前を向いて進んで行くしかないですね。
☆お米の出来や刈り取りの心配もあるけど、そこまで入れると心配事は限りない。心配事を突き詰めると、何が自分にとって大事かが見えてくる。
Dr.1029 できる時に(8月12日)
お盆も近いがバタバタしていて、いま一つ実感がない。ゆとりある生活で、季節の移ろいを感じながら、季節行事も味わうというのが良いのかもしれないが、多分ドクターの場合そうなったら退屈で時間を持て余すことになるだろう。
現役時代バタバタしながらも、海外も含めて家族旅行によく出かけた。今から考えると、よくやったと思うし、あの時やっておいて良かった。今しようと思っても、いろんな理由でなかなかできそうにない。
今のバタバタ生活も、そういう機会が与えられたからできることで、後になってやろうと思っても出来るわけではない。それが分かっているなら、今の生活にもっと幸せを感じれば良さそうなものだが、幸せは感じるもののごっつうという感じではない。
それなりにしんどいこともあるし、嫌なことも言われる。現役時代にもいろいろしんどいこともあったが、今思い出すと良かったこと嬉しかったこと楽しかったことの方が多く思い出す。
どうも記憶は良い思い出の方が強く残るようだ。
となると現在の生活も、後から思い出すと良い思い出として思い出すのだろう。
過去が良い思い出として残るというのは良いことだが、できれば現在進行中に良い思いとして生きたいが、それにはもう少し修行が必要なようだ。修行が成就するのが先か、人生が過去の思い出だらけになるのが早いか分からないが、どっちにしても最後は良い思いで人生が終われるということ。
ともかく、出来る時に出来ることを出来るだけ楽しくやっていきましょう。
☆お堀にデカンショ飾りやボンボリが登場し、お盆が近付いているような気配は感じるがバタバタしてます。
Dr.1028 ワクワク農村未来プラン(8月11日)
ワクワク農村未来プランの市職員向け説明会に出席した。
丹波篠山市の農村には「若い人がいない」「農業後継者がいない」等いろいろ課題があって元気がないところがある。そこにがんばっている例などを参考に、自分の村をワクワクするような村に再生させようという試みを全農村で展開しようという施策だ。
狙いは大事だと思うし、自分の住むところをワクワクする村にしたいという思いはある。関係人口や交流人口で外部の人の力を借りるのも大事だと思うが、成功例には必ず中心になる献身的な人がいるように思う。
その人を取り囲むようなグループができて原動力になっていく。中心の人には人を引き寄せる何かがある。
自分がワクワク農村づくりでどういう役割を果たすか。意欲をもって関わって行けば自然と役割が決まって行くように思う。これも自然体、流れか。
ともかく、まずは自分自身がワクワク過ごせるように日々を機嫌よく生きたい。
しかめっ面にワクワクは似合わない。
☆市職員向け「ワクワク農村未来プラン」の勉強会。隣に座った女性職員から、教育長ブログを褒められワクワクした。もしかして自分はワクワクさせてもらうのは得意かもしれない。
Dr.1027 認知症を考える(8月10日)
市民センターであった「ぼけますから、よろしくお願いします。」という認知症の映画を見た。
映画監督でもある娘さんが自分の両親の姿をカメラで撮ったドキュメンタリーだというから、リアルで身に染みた。
ドクターももの忘れが心配で、核酸サプリを飲んでるほどだ。毎日やってる足し算や引き算の計算ドリル(サプリのおまけ)の速度は上がっているが、これは物忘れ改善と言うよりは、計算に慣れて来たからのような気がする。
そんなこともあって関心があり映画を見たが、最初は老夫婦ともに余裕も笑いも夫々の個性もあって何とかなるのかもと思われたが、後半認知症が進んで、けど自分の存在意義に対する疑念は強まって(さらに進めばそんなことも考えられなくなるのだろうか)自他と格闘する場面は見てるのもつらかった。
自分としては、何とか最後まで自活できるように、頭や身体や経済的な条件などは整えたいとは思うが、思惑通り行くとは限らない。自活と言っても、今でもそうだが、多くの人のお世話になっている。今は少しは恩返しも出来てると思うが、そのうち世話になりっぱなしになる状態が来る。
未来は予測できない面も多く、流れに任すしかないとは思うが、今のうちに出来ることや、人のために出来ることはできるだけしておこう。
しんどい映画ではあったが、考えることは多かった。最後まで上機嫌で生きたいが、難しいのだろうか。
☆市民センターであった「ぼけますから、よろしくお願いします。」という映画の上映会。皆さん関心があるのか、結構見に来られていた。