Dr.577 課題は絡み合っている(2月7日)
最近、丹波篠山市を絶こうちょうにするにはどうすれば良いか考えている。丹波篠山市には魅力が一杯ある(立地:都会に近い田舎、伝統文化、特産物、人情等)が人口は減少、高齢化が進んでいる。例えばこれを解決するために、結婚相談所などのイベントで若者を結び付け結婚する人を増やせばよいという考えがある。これも一定の効果はあるだろうが、でも若者の非正規雇用や低賃金・長時間労働がそのままだと結婚しても即子どもの増加には結びつかない。子どもを育てる環境が整っていないと、子どもを産みたくても産めず余計にストレスを抱えることになる。子育て環境の充実には親の経済状況を改善するだけでなく、出産育児環境の整備、男性の育児休業取得や待機児童の解消なども関係する。その後の教育環境の整備も含めて子育て関係に予算を積み込むことには、子育てに関係しない人の理解もいる。長い目で見て子育て環境の充実で人口が増えれば、人口減による地域活力の低下(公共交通機関の削減、商業施設の撤退、医療機関の削減、工場等働く場の減少など)が防げて、その地域全ての人にとって恩恵はあるはずだが、短期的な視点からはわかりにくい。このように課題は絡み合い、解決策は簡単ではないが、ここはあきらめずコツコツと施策の充実を図り、理解を広めていくしかない。これには無理をしてでも明るい未来を描く上機嫌力と絶こうちょう力が要る。
☆この冬一番の冷え込みの中、市の絶こうちょう化を考えた。寒さの後には春が来る。
Dr.576 リミッターを外せ(2月6日)
「リミッターを外せ」というのは昔ドクターがS高校の生徒達に向かって呼びかけていたフレーズだ。バイクや車のモーターには過熱を防ぐためそれ以上回転数が上がらないようにするリミッターという装置がついている。高校生の君たちも知らず知らずのうちに自分の限界を決める思考のリミッターを身に着けてしまっているのではないか。頭の中のリミッターを取り外し何事にも挑戦して自分の力を伸ばしていってほしいと呼びかけたものだ。この懐かしい言葉を思い出すきっかけは、昨日ロータリークラブでお話させていただいた時に、その会員のお一人に娘さんがS高校で学ばれたという方がおられ、卓話後に「昔、絶こうちょうはリミッターを外せの話をされていたのを思い出す」と話しかけていただいたからだ。しばらく忘れていた言葉だが、自分で言うのも何だがなかなかいい言葉だ。これからまた講演などで使わせていただこう。ドクターが講演で話す内容はどこかで誰かが言った言葉の借用が多いが、この「リミッターを外せ」は自分で思いついたものだ。それを忘れていたというのは情けないが、情けなくても自画自賛でも泥縄ドタバタで生きて行くのがドクター流だ。でもこの言葉もまた、人に話すということは自分に返ってくる。これがまたこたえるけど、まあしゃあないか。
☆伝統と栄光のロータリークラブ。社会でご活躍の皆さんに今更「リミッターを外せ」は言わなくても良かったが、今のドクターには必要な言葉かもしれない。思い出させてくださってありがとうございました。
Dr.575 絶こうちょうに生きる(2月5日)
ドクターの講演では「絶こうちょうに生きるヒント」「絶こうちょう教育のヒント」「自分の得意分野で絶こうちょうの地域づくりヒント」等『絶こうちょう』や『ヒント』という言葉を使うことが多い。『ヒント』はドクターが言うことが唯一の正解ではなくヒントの一つですよということで、気楽に何でもしゃべれるという利点があり、『絶こうちょう』は元校長が人生や定年後に悩みながらも意識的に絶好調・上機嫌を装い自らを鼓舞する生き方を示し、皆さんもちょっと無理してでも元気に生きましょうというメッセージが込められている。特に『絶こうちょう』は現役時代の学校HP校長ブログ名「校長先生絶こうちょう」に由来し、ドクターの代名詞にもなっている。何度か言うように「人生は苦」なので、生きてると辛いことや苦しいことに遭うのが当たり前だが、その時苦しい顔や落ち込んだ気分になっても事態は解決しない。それなら無理とにでも笑顔を作り、今は調子が悪いとしても生きているだけでありがたい。最悪ではないと自分に言い聞かし調子が良いと思い込む。かなり強引かもしれないが、作り笑顔でも笑顔が病に効くという研究結果もあるほどだから、絶こうちょうと思い込む作戦もやってみる価値はある。少なくとも周囲の人には暗い顔や愚痴より好影響を与える。理屈はこうだが、実際に重い課題がある時に絶こうちょう振るのは大変だがこれも習慣だ。「習慣は人を変える」という教えを信じてやってみようではありませんか。問題はこの教えを唱えているのがドクターということだが、大丈夫「受け売り」を得意とするドクターのことだから誰か他の人も唱えているはずです。
☆この前の人権講演会の写真を係の人から頂いた。「絶こうちょう」を説く本人が絶好調なのは分かる。
Dr.574 言葉と行動は違う(2月4日)
ドクターの講演を聞いた知人が、「話はわかったけど、なかなかプラス思考になれなくて」とおっしゃた。「いやいや誰でも言うのは簡単ですけど、その通りに(行動)するのは難しいですよ」とは応えたものの、その方は行動的で意欲的な方だと思っていたので意外だった。誰でも言うの(言葉)や思う(思考)のと実際に行動するのとの間には大きな壁がある。分かっちゃいるけど〇〇できないって感じだ。ドクターも「人から頼まれたことは断らない」「勇気をもって一歩踏み出す」「チャレンジすると人は成長する。成長すると視野が広がり面白い未来が待ってる」「過去と他人は変えられないけど、自分と未来は変えられる」等と話しているし、本当にそうだと思っている。だけど、いざ自分がその立場に立つと、躊躇・逡巡・迷い・戸惑い・不安・悩みなどが渦巻いて来て、追っ払っても追っ払ってもまとわりついて来て、元気が奪われてしまう。元気が取り柄の自分が元気を失くしてしまう、それでは一体何のためのチャレンジか等とさへ思ったりする。こんな時の対処の仕方も講演では「こだわらず成り行き(ご縁・天の意志)に任せる」「人間本来無一物」「死んでたかもしれない体験も過去にはあったのだから、その時死んでたかもしれなかったと思えばどんな結果になっても生きてるだけでありがたい」等としゃべっているのだから、その通りにすればいいのだろうが、これがまた実際にやるとなると簡単ではないんだな。
☆上は悩みを抱えた研修中の写真。ライン仲間からは「疲れてるんちゃう」と心配のメッセージを頂いた。下は今朝のドクター。悩みはまだあるんですけど・・。
Dr.573 映像祭はええぞー(2月3日)
丹波篠山市の映像祭に参加した。優秀なビデオ作品を選ぶ部門とは別に、丹波篠山市の観光・特産・地域や学校・行事の様子などを映像でPRする部門の制作者としての参加だ。製作者と言っても別にドクターがPRビデオを作ったわけでもないが本当の制作者から依頼されて、映像上映後の関係者として舞台に立った。舞台に立つのは得意だし、その映像に出演しているので満更関係がないわけでもない。ドクターがPRした作品は、今回のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で注目を浴びる地元の八上城で、これまた地元の特産品「鯖寿司」を食べるという内容のものだ。普通の格好で舞台に立ったのではおもしろくない(観客の皆様がです。決して自分がではないですよ)と思って、わざわざ甲冑を着て登場した。これは着付けやら甲冑の搬送やらを手伝ってくださる方がいてできたことだ。もっと言えば、ドクターにこのプレゼン役をやらせようと企画された方があってのことだ。いろんな人のご縁や助けで流れに乗って出来ることをするのは得意とするところだが、この日もそういう感じだ。やるからには全力でと、舞台上ではボケや「エイエイオー」のときの声もあげてやれるだけのことはやらせていただいた。こんな感じで映像祭もドクター人生も進んで行く。ええぞー。
☆波多野秀治の甲冑を着けて映像祭に出陣するドクター。みなさんのご縁に載っているといろんな体験が出来る。ええぞー