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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.346 大失態(5月19日)

これまでの人生において何度か致命的な大失態をやらかしている。その都度大勢の人に迷惑をかけ、もはや「人生も終わった」というような感じの失態をやらかしてきた。しかし其の度に神様仏様大いなる存在様の意思と関係者の皆様の寛容に助けられ何とかこの齢まで生き伸びてきた感じだ。大失態の内容は申し上げにくいが、若い頃は「若気の至り」、年齢がいってからは「思慮が足りずに」やらかしてしまっている。悪意がないことだけが唯一の言い訳だが、悪意がなくても失態は失態、責任を取らなければならない。今回も関係者の皆様の善意に助けられ何とか命(社会的な命)をつないだ形だが、この反省を活かし残された命(社会的・生物学的)を社会のために、自分の力が少しでも役立つことに尽くしたい。このブログも続けるかどうか迷ったが、読んでくださる方がおられるなら細々とでも続けていきたい。失態を活かしてドクターが今後どのようにするかを暖かく見守っていただければありがたいです。
 ☆自分の失態は失態としても、植えた苗には水を入れてやらねばと朝早くから用水路の水を入れるおっさん。人生の大失態を活かして深みのある人間になれ。

Dr.345 若い頃(5月17日)

冒険教育に引率に来られた中学校の教頭先生と話していると、その中学校の教員平均年齢は31歳位で50歳代は誰もいないらしい。初任者や臨時講師だらけという凄い時代になってきている。でも若者は未熟なところもあるが、若さや元気さや情熱、何より子どもに近い年齢・存在ということで悪くない。自分の若い頃を思い出してみても、授業は「仏像のマネ」や「金印のスタンプ」「卑弥呼の笛」「隠れキリシタンの祈りの録音CDを聞かす」など怪しげなものが多かったが、部活の空手道部では毎日生徒と一緒にランニングや練習をして自分自身の腕も上がって国体出場したり、わんさかいた同僚や先輩と連日のように近所の酒場や三宮で飲み騒いでいた。ついでに中年の40代や管理職の50代を思い出しても楽しかった思い出ばかりが浮かんでくる。61歳の現在は、猛暑の中の冒険指導やほとんど毎日の夜の会議、頼まれた役職などで充実感よりも先に疲れが勝っているが、これも後から思い出したら、好きなことがやれて少しは人のため地域のためにも働けていた良い時代として思い出されるのだろう。「思い出は美化される」ということだろうが、毎日の生活の中に後から思い出せばキラキラしている要素が一杯あるということだ。疲れや目の前の心配事ばかりに目を奪われないで、若い頃でもおっさん期でもいつの時代にもある、今の輝きを忘れないようにしたい。
 ☆冒険指導でやってることは若かった10数年前も今もそんなに変わらないが、参加者や環境や思い付きで全く同じと言うことは一つもない。熱さや疲れや慣れに目を曇らせないで、今の有難さや充実感に気付いて毎時間を大切に子どもたちと過ごしたい。

Dr.343 アイムソーリー(5月15日)

久しぶりにトレーニングに行って、久しぶりに市内中学校や小学校でALTをしているコーディーに出会った。子ども達もお世話になったことがあるので、彼が「アナタノコドモハドウシテマスカ?」と尋ねてくるので(一応英語で)、「マイサンは関東の大学1年生(フレッシュマン)になって、マイド―ターは地元のハイスクール1年生になった」と答えた(何とか英語で)。何とかブロークンイングリッシュが通じたのに気を良くしてドクターが子供の1人が家から離れたので「寂しい」というところを咄嗟に英語が出てこず、「アイムソーリー」(すみません)と言ってしまい、「(あいむ)ロンリー?」と正しい英語を教えてもらった。何年もスピード〇ーニングをやっていてこのレベルだ。それにしても咄嗟に「アイムソーリー」が出てくるのが自分らしい。いつも謝っている人生を象徴しているようで、納得するような寂しいような。ともかく「ロンリー」というぴったりくる表現を覚えることが出来た。人生はロンリーが基本だと思うが、ロンリーだからと言って惨めなわけではない。これからはロンリーを味わいながら、うまく付き合っていきたい。今回中身のない話で「みなさん、アイムソーリー」。こっちの方がしっくりくるか。
 ☆ドクターが4月から時々通う「丹波篠山暮らし案内所」のメンバーと。早速旧友に送ると、笑顔は良いけど、おまえも横の若者のようにシャツを外に出すようにアドバイスされた。おっさんの癖でシャツをインしてしまいました。「あいむそーりー」

Dr.342 エール(励まし)の力(5月14日)

急に携帯電話の着信音が鳴って(一昨日までは着信音オフのスイッチが機種変更以来数カ月入りっぱなしだったのでドクター形態が鳴ることはなかった)出てみると、かつて勤務した高校の保護者だったIさんからだった。Iさんには現職中はいろいろとお世話になったが、直接携帯電話にお電話をもらうことはなかった(ような気がする)。電話の中身は子どもが卒業後も「絶こうちょうブログ」に引き続き「ドクターブログ」も見ているが、前回のやつで『夜寝られない』と書いてあったので心配している。何とか元気を出してこれからもブログ発信を続けてほしいというようなことだった(と思うが、弱った海馬と付き合うドクターの記憶だから間違っているかもしれない)。励まし(エール)の電話だ。ありがたい。もう離れて数年になるのに私のことを覚えていてくださり、さらに公私ともにお忙しいであろうに、わざわざお電話までしてくださる。しかもブログ内容をよく覚えておられ(もしかしたら本人以上に)、それを踏まえていろいろと励ましてくださった。何とかドクターを元気づけようというIさんのお気持ちがひしひしと伝わってきて感謝感激である。改めて、弱っている人のことを思い何とか励まそうとするエールの力を思い知った。これで元気を頂き、昨夜は少しよく眠れた。もともとお気楽癖と落ち込み癖の同居するドクターなので、今後も気分・テンションがジェットコースターのように上下するとは思うが、下がるだけでなくまた上がることもあるということを思い出させてくれた励ましの電話だった。ありがとうございます。これに元気を頂き今後は少しでも下降を緩やかにする、思考のコツを研究していきます。そして成果は同じようなジェットコースタータイプの人の参考になるよう発信していきたいと思います。まずはその第一弾、「励まし(エール)の電話は力を与える」です。
 ☆S高校保護者Iさんのエール(励まし)のお電話で元気を取り戻しつつあるおっさん。

Dr.339 いろいろ楽しそうですな(5月8日)

用事で市役所へ行くと顔見知りの元小学校長に出会って「いろいろやられていて楽しそうですな」と声をかけられた。この先輩は校長退職後に市教委の相談員として市役所に常勤勤務されているそうだ。ドクターは常勤勤務はせず、冒険指導やいろんな委員会や頼まれごとなど「来る者は拒まず」状態で引き受け、その活動が時々新聞や市の広報に載るので、楽しそうに思われたようだ。実際にはいろいろと悩みや寂しさを抱えていることはこのブログなどを通してお話している通りだが、言われてみると先輩がおっしゃるように、いろんな仕事というのか役割をやらせていただきそれなりに楽しくやらせていただいているのは事実で、これは実に有難いことだということに気付いた。頼まれたことは引き受ける主義にしても、誰からも何も頼まれなければ始まらないわけで、いろいろと頼まれることがあるということはありがたいことだ。昨日もかつて嬉野台生涯教育センターに出入りしていて今は小学校に勤める「ゆーみん」青年から職員研修の相談があったが、これももし実現すればありがたいことだ。実現しなくてもドクターがまだ覚えているうちに声が聞けたのは良かった。これも『ごめんねリョウチン』の回に、ドクターの脳みそが完全に死滅しないうちに、かつての知り合いは声をかけてくださいよとお願いしたのが効いたのかもしれない。この流れで言うと「ルパン」も「コム」や「もんち」などその当時の学生リーダー達も早晩ドクターに会いに来なくてはならない。ともかく、いろんなことをさせていただけているのは飽き性のドクターとしてはありがたく、これも健康で、好きなことをさせてくれている家族や環境があるからだ、すべてに感謝したい。もちろんこの気付きを与えてくださったN先輩や「ゆーみん」にも。
 ☆夕方、いろんな仕事の一つを終え帰宅後、昨日使った田植え機を川側で洗うことが出来た。もちろんいろんな人の助けを借りながら百姓もさせてもらっていることも楽しい。そうそう明日とあさっては都合によりブログ更新お休みさせていただきます。これもいろいろさせていただくお陰です。ありがとうございます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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