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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.327 面倒な人生と『指割れ靴下』(4月24日)

生きているといろいろ面倒なことに出会う。というより人生とは面倒なものだ。面倒が嫌なら生きるのをやめるしかない。自分も含めて誰にも生きるのをやめてほしくないので、面倒と上手く付き合う方法を提案したい。もうこうなったら人生とは面倒なものと諦め(誰かが言うように「諦め」は「明らかに見る」ことで決して消極的な意味ではない)、自分から積極的に面倒に向かっていくというのはどうだろう。何事も逃げていると余計に追いかけられるという人生経験を逆にとっての策だ。ドクターはその第一歩と言うのか、「人生は面倒なものだ」という教訓を忘れないために、そしてそれと付き合うコツを会得するため、敢えて面倒な『指割れ靴下』を履くことにした。卑近な例で申し訳ないが、この『指割れ靴下』は、履くのも脱ぐのも通常の靴下の2~3倍は時間が掛る面倒なものだ。急いでいる時は普通の靴下を履きたくなるが、そこは敢えて時間を掛けながらこの指割れ靴下を履き、急いで何かをするという気持ちを挫(くじ)くのだ。どうせ人生は面倒だし、急いで生きても最後は死ぬだけ。だとすれば面倒に一つづつ対処しながら毎日を生きて行くしかない。面倒だけど面倒なことは一つづつ片付けて行かないと前に進めない。ここは焦らず完璧な解決は諦め、ボツボツ出来る範囲の対応をしていきましょう。それで十分なんじゃないでしょうか。
 ☆面倒な『指割れ靴下』を履きながら、人生の面倒にボツボツ付き合うコツの会得を狙うドクター。まあみなさんボツボツ行きましょう。

Dr.326 見学者(4月23日)

N高校のHAP指導に2名の見学者が来られた。2名とも若者だ。これから冒険指導者としてやって行こうという意欲も持った方々で、時間(まる一日)とお金(交通費)をかけて先輩の指導を見て自分の参考にしようという姿勢には敬意を表する。思えばドクターも若かりし頃は冒険教育界で有名な人の指導を何回も受けたり、アメリカの指導者(冒険教育はアメリカが発祥)の研修を受講したりした。創始者の方々のワークショップがあるということで東京まで行ったりしたこともある。しかし最近では自分が指導をするのは喜んでするが、人の指導を見学したり、研修講座に参加しようという気持ちは起きない。若さと向上心がなくなったということかとちょっと思ったが、いやいやそうではなくて自分が何のために指導するかと言うことが明確になってきたからではないかと思い直した。最近の自分の指導を振り返っても自分が一番満足しているのは、自分自身が面白かった時だ。一応毎回ある程度のレベルでチーム作りはできていると思うし、チーム作りのためにはこういう活動をこういう流れでやっていけばよいというようなこともなんとなくわかるが、さらに指導方法の上達がしたいというかと言うとちょっと違う感じだ。誤解を恐れずに言えば「上手い指導方法とは違っても自分が楽しく乗りに乗って参加者と盛り上がっていける活動」をやっていきたい。こういえば自己中心のように聞こえるので、誤解を恐れずと断ったのだが、大きな流れから言うと自分の人生を活き活き生きたくていろんな活動をしており、その一つとして冒険指導もやらせていただいている。だとすれば、指導の理想的なやり方はああだこうだということはおいて、自分が楽しいようにやるというのを大事にしたい。そして自分が活き活き楽しく活動できれば、それは参加者や見学者にも通じると信じる。これってやっぱり自己中?
 ☆自分が楽しむことを第一にしているドクターの指導。見学者には反面教師として役に立ったのではないでしょうか。ともかくこの日も子ども達と楽しくやらせていただきました。ありがとう、N高校の生徒・職員の皆さん。

Dr.325 10連勤(4月22日)

今週末から10連休とか何とか世間では言っているが、ドクターの場合は勤務やHAPで10連勤、正確には11連勤の真っ最中である。空いた日もPTA行事や田んぼ仕事もあるので毎日が勤務という状態が3月末の息子の引っ越しから続いているとも言える。1月2月の毎日が日曜日という状態と比べると雲泥の差だ。ただ毎日やる事がないのと、毎日やらなければならないことで一杯のと、どちらが雲でどちらが泥かというのは難しい。毎日が日曜日も毎日が連勤もどちらも良い面としんどい面がある。それでも強いて言えばドクター的には連勤の方が良い。ドクターの勤務がそう過酷でなかったり、好きなことであったりするからかもしれないが、毎日やることがある、しかもそのやることがいろいろな種類あるというのが、定年後生活者で飽き性の自分には向いているのだ。定年後人生では曜日はあまり関係ないし、現役時代から公私混同の勧めなどを説いていた困った管理職だったドクターとしては、公であろうと私であろうとそんなことはあまり意識せず、その時一番やりたいこと、気になっていることに、公私の時間区別なく取り組むというのが、その人的にも成果と言う点でも良いと考えているからだ。働き方改革、ライフアンドワークバランスが言われている昨今では異端だが、自分の関心のあることに全力で関わるというのが人生の過ごし方という点では良いと思っている。ともかく昨日今日明日続く連勤をバタバタしながら駆け抜けよう。少なくても「人生どう生きるか」という難題に悩んでいる暇はない。
 ☆この日も寸暇を惜しんで夕方から日没まで畔の草刈り、日没後は母親とおしゃべりしながら一杯やってその後即寝、朝起きてラン活やってHAPに行く。忙しいようで充実しているようで人生を短くしているように思うが、それも良いことかも。

Dr.324 受け身と流れ(4月21日)

引き続きS高校のHAP指導を受け持った。お昼の休憩中にファシリテーター仲間や見学に来ていた冒険指導に興味を持つ若者たちと話をしていて、ドクター以外のベテランファシリテーターは自分でこの生活を選んでいるので、自分のしたいことが出来ているので活き活きとしていて充実しているという話になった。それはその通りだと思うし異論はないが、そのうちの一人が「受け身ではいけない」みたいな話をしたとき、ドクターのアンテナにピピっつと来た。受け身を一方的に責められたような気がして、「積極的に自分の生きたいように人生を歩んで行ける人はそれでいいが、中には受け身が性に合っているという人もいる、そんな人の生き方まで否定しないでほしい」みたいな反論をしてしまった。反論するということは自分自身が引っかかっている痛い所をつかれたからだ。ドクターとしても積極的に自分の生きたいことを自分で選び取って生きる人生は良いなと一部あこがれるが、自分にはできないし、受け身の人生も悪くないと思っている。というか人生は自分の思い通りに行くほど甘いものではないと思うし、思い通りいかないところが人生の面白い所でもあると思う。自分の力を超えた大きな流れの中で人生が進んで行く。その大きな流れに身を任せて、自分に与えられたなすべきことを笑顔で楽しみながらお気楽に歩んで行くというのが、今ドクターが考える人生論だ。これは基本的には受け身だが、よくよく考えて見ると流れに乗って生きるということは、受け身か積極的かなどということも超えているような気がする。自分の人生を振り返ってみても流れで積極的になった時もあるし(数は少ないが)、やる流れになったことをやってきただけと言えることも多かったが結構面白かった。結局言えることは、人それぞれということか。

☆この日もかつて流れで勤務した嬉野台生涯教育センターでライフワークとなった冒険教育の指導に、流れで自分が初めて校長を勤めた学校の指導を担当させてもらって、流れで一緒になったファシリテーター仲間とワイワイ人生を語りながら、たまたまドクター班に入った生徒達と楽しい時間を過ごした。受け身の人生万歳。

Dr.323 深い話ができるセンス(4月13日)

 先日買った『絶望名言』には深い話がたくさん載っている。どれかを紹介したいと思っているが選ぶのに苦労するほどだ。要するに人間って、生きるってそう単純ではないということがいろんな人の名言を基に語られている。順風満帆思い通りの人生のように見てても実は成り行きでそうなってしまっただけ、しかも裏には人に言えない悩みを抱えているということは古今東西、著名人一般人、老人若者に限らずある。その深さに気付くのは人生経験にもよるがセンスにもよる。そんなセンスなどない方が良いという人もいるかもしれない。ない方が良いと言っても、持って生まれてしまった以上何とかしなけれ
ればならないし、使い方によってはそんなに悪いセンスでもない。S高校の冒険指導をしていてドクターが話の展開から持論である「にもかかわらず笑顔」が大事だよと言う話をしたとき、ある生徒は「それもわかりますが、友達が深刻な相談をしてきた時に笑顔でいるとその友達を傷つけてしまうこともあるから、いつも笑顔というのは悩みます」と言う。深い。この生徒は深い話が出来るセンスを持つ高校生だ。この生徒の人間的な深さを嬉しく思うのと同時に今後の彼の健やかな成長を願いながら、とりあえずドクターは「にもかかわらず笑顔だとは思うし、君の相手を思う気持ちがあれば君が深刻な話を聞いた時に笑顔でいても理解してくれるとは思うが、誤解を与える恐れがある時は笑顔の量を調節してみよう」みたいな話をした。軽い。ドクターの言っていることは「信念はともかく、その場の状況に応じて無難な態度でトラブルをさけよ」ということであり、ご都合主義で生きろみたいな大人のセコイ処世術のにおいがプンプンだ。勢いで言っておきながら今は、こんな雑駁な答えをしてしまった自分はこれでいいのだろうかと悩んでいる。ドクターも深い話が出来るセンスを持っている。
 ☆深い話ができるセンスを持つ高校生の初日の指導を終え、味わい深く嬉野台生涯教育センターを後にする深い話のできるセンスを持つドクター。これからもこのセンスを持つ人の快適な生き方を探っていきます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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