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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.162 追い求めてはいけない(10月9日)

日本人のノーベル賞受賞の先生が、「とことん疑問に思ったことを追い求める」みたいなことを言っていた気がする。気がするだけでいいなら、「夢をあきらめるな」「努力は裏切らない」みたいなことも言っていたかもしれないとも付け足したい。その先生でなくても、この種の言葉は「先生」と呼ばれる人なら誰かがどこかできっと子どもたちに言っているはずだ。これらの熱い言葉は、まだ若い子ども達や一部の才能のある人には言ってもいいが、普通の中高年がこの手の言葉を真に受けて、何かにとことん打ち込み始めるのは要注意だ。特に定年後の人が、「定年後の充実した生き方」や「孤独の癒し方」みたいなテーマをとことん極めようとするのは危険である。底なしの泥沼にはまり込む恐れがある。ドクターがお勧めするのは、何事も追い求めるのはほどほどにして、雑事ややらなければならなくなったこと(妻からの指示等)でバタバタと過ごし、気が付けばもうこんなに生きていたというのが良い。「生き方等を追い求めすぎないほうが健康な生き方ができる」もどこかの精神科の先生が言っていたような気がする。このように世間にはどのようなことも誰かがどこかで言っている(ような気がする)、大事なのはそこから自分に合ったのをえらぶこと(のような気がする)。というわけで、またプチ旅に出ます。

☆自撮りばかりも何なので、たまには秋の風情の方が良い(ような気がしました)。

 

 

Dr.161 自撮りをする人(10月8日)

ある本に、自撮りをする人は自己顕示欲や自己承認欲求が強く、アクセス数や「いいね」の数を非常に気にするとあった。こ・こ・これはドクターのことではないか。というより、ドクターのことを良く知っている人が、この本を書いたのではないかと思われるほど、書かれていることは自分に当たっている。自撮りをする人は自己愛が強く、自分に万能感を持つことが多いが、その割には現実社会では大した評価を得られていないので、ネットの世界でその欲求不満を晴らしているのだという。な・な・何なんだ、この冷静な分析は。当たっていると思われるだけに癪にさわる。自己愛は自己肯定感とは違うのか、自己愛というとマイナスイメージだが自己肯定感だと言えばプラスイメージで高い方が良いという感じがするではないか。著者に聞いてみたい気がするが、多分微妙な違いがあるのだろう。そんなに深く考えないで自撮り写真を載せていたが、この本のお陰で、自撮りをしたがる背景が分析できた。自分の行動の訳が分かって良かったが、問題は「だからどうしろというのか」ということだ。恐らく自己顕示欲も自己承認欲求もほどほどにせよということだろうが、次の問題は「どうしたらそれができるのか」ということだ。結局は「自分で考えろ」ということになるのだろう。やはり「お気楽な生き方」道を自分で探るしかない。これまでと同じような気もするが、読書の秋にふさわしい読書がができて良かった。

☆自撮りをしたがる人、ドクター。一応、黒豆や栗の季節になったことを知らせる絵(意図)だが、言われてみると自分が写っている必要はないか。

 

☆「自撮りをしたがる人は何枚もよく見える構図を探して自撮りする」とあったが、これも当たっている。どひゃー。

 

Dr.160 人生観が変わる(10月7日)

かつてのトレセントレーナーで現在は斎場に勤める方が、斎場で多くの方のお葬式を担当して「人生観が変わりました」と言われた。30代40代で亡くなる方もおられ、人生いつ終わるか分からないという思いを強くしたとおっしゃる。「だから、したいことはできるうちにやっておくことが大事だと痛感した」と言われるので、「あなたのやりたいことは何ですか」と尋ねると、「おいしいものを食べることと未だ行っていないところへ旅行することだ」と言う。やりたいことが「食事」と「旅行」というのはいかにも平凡なように思うが、これらは多くの人に共通する大事な人生充実要素かもしれない。また、K中学校冒険指導が終わった後、遠方から来ている指導者の方々と話してると、定年後に冒険指導をやっているドクターと違い、彼らは冒険指導を中心として生活してきて、それだけでは食っていけない時は副業やアルバイトをやってきたという。「冒険指導の仕事があればそれでいいし、無ければアルバイトをするだけだ」と不安定な生計にあまり不安はなさそうだった。失礼ながら金銭的にはそんな余裕がなさそうなのに、移動中素敵な場所があるとキャンプ用の椅子と湯沸かし器でコーヒーを楽しむなど、心の余裕がある。移動中適当な場所があると近くの公衆トイレで慌ただしく着替えてランニングを済まし、子ども達の送迎など家事のため家路を急ぐドクターとは大違いだ。でもそんな彼らが「校長退職後、好きな冒険指導をちょこっとだけやって暮らすドクターは余裕があっていいですね」という。他人の芝生は青いということか。冷静に考えてみると誰の暮らしにも、好きなことにお金と時間を使う余裕の部分と必要に迫られた仕事や家事や介護などのバタバタした部分が同居しているのではないか。ともかく、いろんな人の生き方や考え方に接し自分の狭い人生観を変えていくとは良いことのようだ。で、やっぱりここで「流れに任せてこだわらないお気楽な生き方」が自分には最適のように思えてくる。

☆久しぶりのK中学校冒険指導。やることはいつものブラインドウォークとジョージ写真集。いつもの生活も見方を変えれば(価値観を変えれば)、素晴らしさや有難さが見えてくる。生徒の中にもそういっていた子がいた。やはり生徒から学ぶことは多い。

 

 

 

 

Dr.159 異常(10月5日)

「異常」と言っても最近の天候や自然災害のことでも、ドクター家の菓子パン購入数(毎日7~8個)のことでもない。このブログ『ドクターのお気楽な毎日』のアクセス数が伸び始めたことだ。現役時代の『校長先生絶こうちょう』ブログは1日平均1000回以上のアクセス数があったが、この㋃ドクターブログを始めた時は200回程度であり、それから毎月減少して8月には150回程度となっていたが、それが9月から上昇に転じ、10月は今のところ4月を超えている。毎月下がるのが通常だったのから見れば異常だ。誰か(自分含む)がアクセス数の落ち込みに気を落としているドクターを可愛そうに思い、一人で毎日100回ぐらいアクセスしてくれてるとしか思えない。ありがたいことだが最近、最期が近いのかとみに悟りの境地に近づきつつあるドクターは何事も受け入れる心持が完成しつつある。起きてしまったことや自分にはどうしようもないことは受け入れられるようになってきた。アクセス数の毎日の増減などは気にしない(その割には、今回のネタはブログアクセス数から来ているが)で生きていけるようになったので、頻繁なアクセスで貴重な時間とパソコンを酷使されてる方がいるとすれば無理をなさらないようにお願いしたい(無理なアクセスを止められる場合は少しづつ減らされるようにもお願いしたい。急に減るとまた心が動揺して、折角の悟りの境地がなくなりそうなので)。

☆ブログ管理サイトで毎日のアクセス数をチェックする悟りの境地に入ったはずのドクターと月ごとのアクセス数グラフ。下がるのが常態のグラフが上昇するという異常な状態になっている。できればこの異常な状態が続いてほしい(どこが悟っとんじゃい)。

 

Dr.158 ドクターで良かった(10月4日)

小学生の冒険指導をしたが、彼らの性格が良かったのか、こちらが年齢をとって孫を可愛がる心境になったのか、ともかくとても可愛い連中だった。最後の振り返りでは、「仲間を信じることの大切さがわかりました」「みんなが応援してくれるから挑戦できたと思います」「みんなで解決に向けて意見を出し合うことが大事だと思いました」「楽しかった」等という感想の後に、いつもおちょけていた子がもう一ついいですかと言って「ドクターで良かった」と言ったのを皮切りに、「ドクターで良かった」という声が相次いだ。その場の雰囲気もあったと思うが、子ども達からこんなに「あなたで良かった」コールをもらったことはなく、思わず眼がしらが熱くなった。すかさず子どもたちから、「ここで泣かんかい」というツッコミも入ったが、ホントに面白くって楽しい連中だった。中には、ドクターの年齢を「60位でしょう」とか、体重は「80キロくらいでしょう」とか鋭い観察眼を持った子もいて、子どもはまだまだ未成熟のところもあるけどあなどってはいけないということを再認識させられた。「子どもから学ぶ」という、ドクターが教師になろうと思った原点を思い出させてくれた。教師生活を終えた今、どれだけ学べたかと言えば心もとないが、いくつも思い出す顔とエピソードがある。それらは間違いなく今の自分の血肉となっている。教師を辞めた今も冒険教育などで子どもと関われる幸せを噛みしめながら、ふとこんな心境は人生の終わりに感じるものではないのかしらんと思った。本当に人生の終わりが近いのかもしれない。気を付けよう。

☆天候に恵まれた嬉野台生涯教育センターでの冒険活動の様子。

 

 

☆個性満開の生き生き子どもたちでした。子どもたちが大きくなる過程で、いつかまたこの日のことを思い出してくれたら嬉しい。これってやっぱり終わりが近い人の心境か。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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