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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.36 二つ良いことさてないものよ

「二つ良いことさてないものよ」この言葉は、郷土が誇る心理学者河合隼雄先生がおっしゃっていた言葉だ。ドクターは昨日この世で最も気の合う友人が教頭を務めるA国際中等教育学校(多国籍・多人種の中高生が学ぶ県立学校)におじゃまして、生徒たちが昼休みに文化祭ダンスの練習をしているのを覗いたが、人懐こい生徒達で、笑顔もフレンドリーな態度もすばらしく、いろんな国の生徒たちが一緒に活動している姿は感動的だった。こんな学校で生徒たちと触れ合いながら過ごしたかった。現役時代にこの学校(のこんな様子)を知っていれば是非転勤を希望するところだった。現役引退した身としてはかなわぬ夢だが。退職後、お気楽人生を満喫しているドクターとしても、こんな生徒たちを見るとムクムクとかつて子どもたちとワーワーやりあって過ごした楽しかった日々が懐かしく思い出されて、未練が出てきた。心に迷いが生じたときに、運よく冒頭の河合先生の言葉を思い出した。人間いくつになっても、どんな場所でも迷いが生じるが、どちらを選択しても良いことこと悪いことがあるのだから、動き出した道を進むしかないと思いなおすことができた。

☆ドクターに学校への未練を生じさせたA国際中等教育学校生の活き活き文化祭練習。

 

☆この学校で教頭先生を務める無二の親友と。管理職としての悩みはあると思うが、こんな素晴らしい生徒たちと過ごせる幸せはかけがえがない。「二つ良いことさてないものよ」。この言葉を友に、そして同敷地内多文化共生センターで働く指導主事の先生に贈りたい。

 

Dr.35 個性

教育界では「個性を伸ばす」とか「個性を大切に」とか良く言われる。この場合の「個性」は自分らしさ、自分の特徴(特にプラス面を言う)のことで、他の人と違う独自性が強調され、自分らしさ(言い換えれば他人と違う性質)を発揮せよと言うことだ。でも、私のやっていた狂言では本(台本・師匠のお手本)通りやることが大切とされ、昔からの型どおりやることが大事で、個性は型どおりやってもやっても自分らしさを消しても消しても後からにじみ出てくるもの、それが個性だと教わった。昨日も新企画「ドクターうろうろ」(こんな名前でしたっけ。直ぐ忘れても動じないのがこの頃の私の個性)で、いろんな学校・施設を訪問して旧知の方と話してると、別の旧知の方が「声を聞いて、丹後さんだと思いあいさつに来ました」と言って顔を見せてくれた。どうも私は声に個性があるらしい。また他の多くの方から直接・間接(メール等で)に「相変わらず元気そうですね」と言われる。どうも「元気」「お気楽」「いい加減」「安請け合い」というのも私の個性らしい。「声」にしても「元気」等にしても、それが自分の個性だからがんばって発揮しなければならないという意識はない。どうも個性は無理して発揮するものではなく、狂言師匠がおっしゃるように、自然とにじみ出るのが本当のようだ。声が個性的と言われる経験からこんなことを考えたが、願わくば「顔がかっこいい」「人生の酸いも甘いも経験した人間的な深みがあなたらしい」と言われたい。この身の程知らずの厚顔無恥ぶりも私らしいか。

☆かつての上司で、現在フィギアスケートオリンピック選手も通う私立高校の校長を務められるO先生と。尊敬する先生からも「一緒に勤務したころから、楽しそうにやってましたね」と言われた。

☆「ドクターうろうろ」で訪れた、かつての教え子で現在神戸市和田岬でケーキ屋さん(店名ハニーレモン)を営むK君と。大したこともしてないのにずっと「先生、先生」と私を大事にしてしてくれる優しい彼が作るケーキは、自然な個性が出て美味しい。ドクターはエクレアがお気に入りです。皆さんも『ドクターのお気楽な毎日』を見たと言ってお立ち寄りを。

Dr.34 旧交を温める

このブログでは退職後の生活をレポートし、皆さんに誰でもいつかは訪れる退職後生活の参考にしてもらおうというのがねらいの一つだ。今のところ退職生活は絶好調だが、その良さの一つにかつて一緒に勤めたり旧交があった方々を訪ねることができるというのがある。忙しい現役時代にはできなかったことだ。今回はまず嬉野台生涯教育センター時代にお世話になった現在O市教育長のK教育長をお訪ねした。嬉野台生涯教育センターにHAP施設を作ってくださった方だ。K教育長がおられなかったらHAPはなく、冒険教育をライフワークとするドクターもSAPもなかった。兵庫県教育会の重鎮だが、気さくな方で今回も「タンゴちゃん、齢取ったな。あの頃は40代だったかなあ」と暖かい言葉をかけていただいた。ほんとにこの方との出会いがなければ、人生は大きく変わっていた。人との出会い、ご縁の大切さを思う。そして次に創設期のHAPを一緒にやったF先生が、現在教頭を務める中学校にお邪魔した。スポーツマンの校長先生も加わり共通の知人の話で盛り上がった。F先生とは高所訓練ということで、9mの高さの丸太の上で入れ替わったことを強く覚えている。入れ替わるためには安全具を付け替えなくてはならず、一つは安全確保をしながら、もう一方を付け替える。2つとも外してしまったら落下する。しかし高所で緊張してどれを外してどれを外してはいけないのかが分からなくなりパニくった。これもドクターの人生によくあるやってもやらなくても良いことを一生懸命やる事例の一つだが、後から覚えているのはこんなことが多い。人生を豊かに生きるコツの一つかもしれない。学校にお邪魔している時、何人かの中学生も見かけた。きっと校長先生もF先生もこの子たちといろんな格闘をして行くんだなと思うと、そのストレスがない今の境遇を幸せに思うと同時に、少しさびしさも感じた。

☆退職後は旧知の方を訪ねることができる。嬉野台でHAPを一緒にやったF先生と。次はあなたのところへ伺いますよ(企画名ウロウロドクター)。

☆ドクターが週1回特別招聘(しょうへい)講師として勤める姫路のある大学の共同控え室。講師と言っても何かを教えている訳でもなく、特別と言っても何が特別なのか分からず、招聘と言っても誰に呼ばれたのかも分からず、出勤しても自分の写真を撮っているだけでは公私混同ですね。

 

Dr.33 灯台下暗し

身近なことには案外気が付かないことが多い。例えばきれいな景色・自然・植物にしても移動中に見かけたスナップを紹介してきたが、自分・自宅の周りにもきれいなものはいっぱいあった。昨日は田植えが終わって家族で食事に出かけたが(この辺では「さなぶり」という。妻・母・子供二人と出かけたが、家族の写真は目立つことの嫌いな妻の厳命により御法度です)、例え食事が廻るお寿司であっても、例え食事中の会話がそんなに弾んだものではなかっても、家族みんなで揃ってささやかな外食が出来るということは幸せなことだ。このように幸せにしたって、すぐ目の前にある何気ない小さな幸せは見逃しやすい。これからも灯台が照らす、明るいハイライトの光の中の景色や楽しさだけでなく、その下にある暗さ(気が付きにくい場所)の中にある景色や喜びも見逃さないようにしていきたい。

☆自宅の通用口横の奇麗な花や自室机上植物の葉先の小さなつぼみに気が付いた。普段見過ごしやすいところの美しさや幸せにもっと気づいていきます。田植えが終わってホッとしてちょっと余裕がある雨の朝だから言えるのかもしれませんが。

 

「ドクタートラクター」の内容を追記しました

「ドクタートラクター」の内容を追記しました。
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  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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